まるで映画のロケのような | 気になるニュースチェックします。

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安部政権は集団的自衛権行使容認の閣議決定にそった、
安全保障関連法案の成立を目論んでいます。
今、安部政権は新たな安保法制の整備へ突き進んでいます。

米国の求めることならたとえ理屈にあわないことでも、日本は従っています。
今年、2015年度予算案では過去最高の防衛予算をさっさと決めました。
人を殺す攻撃型武器の大量買い、安保法制の議論がこれから本格化したらと思うと
ぞっとします。


★何か違う  菅生事件

華々しく社会面を飾る毎日新聞を読んだ都留忠久31は、わが目を疑った。
彼は日本共産党大分県委員長です。
一度に党員4人の逮捕、、、

しかし、何か違う、、、
毎日新聞の記事が詳細すぎる。
事件発生と同時にこのようにタイミングよく、取材できるものなのか。

駐在所の爆破、その見ている前で犯人逮捕、
その一部始終を記事にし、そのうえ写真付きで掲載している。
これはまるで、なにかが起こることが前もってわかっている映画のロケのようだ。

疑問は疑惑に変わっていった、、、
まして後藤たちは武装闘争できるほど、準備は整っていない。
都留は大分地方裁判所の弁護士会事務所に走った。

まだ朝の9時前だというのに、もう3人の弁護士が居合わせていた。
弁護士たちは血相を変えた都留に、記事を読んだことを伝え
これは警察へたな田舎芝居だろうと言った。

清源敏孝40は共産党や労組事務所の裁判に身銭を切って奔走する
気鋭の弁護士です。
彼の所属する自由法曹団は、冤罪事件や人権問題、労組の支援のような裁判や
法律問題に力を貸す弁護士たちの集団です。

都留はその清源に弁護士を引き受けてほしいと頼みます。
しかし、現行犯逮捕を覆すのは難しい。
爆発物不法使用、殺人未遂、、、無実だと言っても爆破する現場を
警官たちがみているのだ、これは大変な事件だった。

ともあれ清源はこの弁護を引き受ける。
そしてすぐに大分刑務所に拘置されている4人に接見するのです。
後藤秀生は何もやっていないと憤懣やるかたない表情だった。

清源は新聞に後藤らがやった直後の写真が出ているが、本当にやっていないのかと
念をおす、そして爆破したときはどこにいたと聞いた。
秀生は駐在所からだいぶ離れた中学校の一番はずれのほうだと説明する。

それでも清源は夜中の零時すぎにあんなところをほっつき歩いていたことが不信だった。
そして後藤は市木からの手紙のことを話す。
「6月2日、午前零時に菅生中学の西側の便所のところに来てください。
 約束の用紙とポスターカラーを渡します」

そして市木にあって帰りかかろうとしたら、後ろの方でドカンという大きな音がした。
いきなりどこかからか出てきた何人もの人につかみかかれ、殴られ腹をけられ、、、
後藤はそのときのことを清源に話す。

清源は市木のことを聞くと
「僕らのシンパじゃ、3月ころから松井製作所で働いちょった。
 いっしょにつかまっちょる」
という。

しかし捕まったのは秀生と坂本、管だけだと言うと秀生は
「そんなはずはない。
 松井酒店のまえで捕まるのをみた」
という。

清源はこれは罠かと感じる。

6月2日の事件直後から、都留の元には同じ共産党員やシンパから
賛辞と非難の声が寄せられた。
「やったぁーすごい」
「後藤がはね上がってやったのか」

都留は一年を振り返り、疑念が日増しに募っていった。
都留はこの二年あまりの共産党の変貌ぶり思い返さずにはいられなかった。
従来の平和革命路線からの転換を余儀なくされた日本共産党に対して
マッカーサーは強行手段に乗り出した。

5月3日、マッカーサーは
「日本共産党は国際的侵略勢力の手先」
と発表したのだ。

そして30日に皇居前広場でおきたデモ隊とアメリカ軍兵士の衝突で
6月6日国会議員7人を含む共産党中央委員24人全員の公職追放を記した
書簡を吉田首相に送ったのです。

さらに朝鮮戦争が勃発すると、党員そのシンパへの公職追放に拍車がかかります。
赤旗が発行禁止処分を受けたり、機関紙が発行停止にさせられたりしました。
また共産党員やそのシンパと目された全国の新聞、通信、放送労働者も追放されました。

このレッドパージによって公職を追放された共産党幹部たちは、地下に潜行します。
そして内部抗争に明け暮れることになり、何々派と何々派の対立で
党員ですら何がどうなっているのか、さっぱりわからずどんどん同志やシンパを
失っていったのです。

そして警察も大きな変貌を見せ始めていた。
民主的警察制度が崩壊し、実質的には戦前の官僚支配に逆戻りしました。
このような状況の中、菅生事件が発生したのです。