事件の特異性がわかる巡査の妻の証言 | 気になるニュースチェックします。

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この時期は私の住んでいる地域は毎日風が強くて、外に出るのが億劫になります。
それに風が冷たい、、、、
昨日1月17日は阪神大震災、その年の3月にはオウムの地下鉄サリン事件が起きました。

あれから20年も経つんですね。
阪神大震災の1700戸の仮設住宅が並んだ神戸市西区。
20年も経つのに一部の被災者は、震災は今も続いています。

「この住宅を追い出されたら待っているのは孤独死だけ」
震災直後に入居した借り上げ復興住宅の入居期限は20年
今年は順次退去しなければなりません。

一部の人は期限は聞かされていなかったといいます。
ここに今も入居している人は高齢者が多い。
震災直後から被災者同士、助け合って暮らしてきたお年寄りに
20年たったから出て行けとは、、、、、
もっと優しい対応はできないものでしょうか。


★次々逮捕 菅生事件

秀生は何がなんだかわからないうちに逮捕されました。
けれど逮捕はこれで終わりではなかったのです。
他にも共犯者がいるということで、警官はそっちの家宅捜索に向かった。

カメラマンの早川もそっちに向かいます。
そこは管 耕の家でした。
警官の説明ではここは、秀生がしばしば泊り込んでいたアジトだという。

8人の私服警官は管の家になだれ込み
「後藤秀生の牛の窃盗容疑で逮捕する」と告げた。
秀生は牛を盗んで殺した窃盗容疑で捜索令状もあるという。

警官は管の息子の忠愛の部屋に駆け上がり、部屋中を引っ掻き回す。
そして新聞紙に包まれた木箱を見つけ出すのです。
そのなかからはなんと油紙にくるまれたダイナマイト10本、雷管18本が出てきた。

カメラマンの早川はシャッターを切る。
忠愛は必至でしらないというが、爆発物不法所持で忠愛を連行しようと
警官は手をつかんだ。

管 耕は息子の寝間着を着替えさせてやってくれといい、その間警官たちが
みな泥だらけになっているのを不審に思った。
「今このうえで大活劇があって、共産党が駐在所に爆弾を投げ込んだんです」
と、言う。

犯人は捕まったのかと聞くと、3人捕まったという。
その時別の警官が大声で怒鳴った。
「3人じゃない、2人だ、2人」
つまり犯人は後藤秀生と坂本久夫、市木春秋と名乗ったあの男の存在は
この時点で消し去られていた。

後藤秀生、坂本久夫、管忠愛が相次いで逮捕された。
しかし逮捕はここで終わりではなかった。
後藤守は駐在所の警官5人に寝込みを急襲された。

その容疑は秀生と同じ、牛を殺して食べたという窃盗容疑でした。
阿部定光も警官12人に踏み込まれました。
容疑は爆発物取締罰則違反で、雷管を1本所持していたということでした。

結局逮捕者は5人となった。

毎日新聞社の記者三原ら4人が岩城旅館に戻ったときはもう夜明けでした。
そしてそれぞれ手分けして原稿用紙に書いてゆく。
これをデスクの村枝がチェックして電話で送る。

毎日新聞の1952年6月2日夕刊には次のような記事が載りました。

竹田 2日午前零時、国警大分県本部警備課、桑原警部、井野竹田地区署長指揮の
武装警官隊50余名は、豪雨をついてかねて共産党の山村工作対警工作および
日共軍事指導による爆薬武器集積地区とみられる熊本との県境
大分県直入り郡菅生村を極秘裏に包囲

武器弾薬の集積所とみられる同村字菅生、同村小学校教頭、管久寿氏38
ほかに4所と同郡都野、下竹田、柏原三村のシンパ3か所計8か所を家宅捜索
ダイナマイト24本、雷管18本、導火線約20m、たばこ型爆弾10個
火炎瓶1本、日本刀二振を押収

爆発物取締令違反容疑で管久寿氏実弟無職、管忠愛21らを逮捕した。

警官隊が包囲中、警戒中、日共工作隊員同村字田代後藤秀夫27
住所不定坂本久男23の両名が同村巡査派出所を襲い爆弾を投入
ものすごい音響とともに家屋の一部を破壊し、逃亡しようとしたが
両名とも現行犯で逮捕した。
人命に異常はなかった。


記事にはまちがいが多いです。

後藤秀夫は正しくは後藤秀生
坂本久男は正しくは坂本久夫です。
年齢も後藤秀生は27ではなく25
坂本久夫は23ではなく24です。

巡査派出所は正しくは駐在所です。

毎日新聞の社会面を飾る詳細な記事と華々しい写真
完全な毎日新聞のスクープでした。
他社はどこも気ずいていない。

カメラマン早川が撮影した爆破された駐在所
逮捕された後藤秀生の写真
押収された武器の一部、たばこ爆弾の写真4枚

地図も大きく掲載されていました。
松井村議会議長の談話も載っていました。
「一昨年までまったく静かな平和な里だったのに
 見知らぬ男らが出入りするようになった昨年末から
 日共党員らがアジビラをはり農地問題に関し、村議会、農地委員会などを非難し
 障害、脅迫事件も起こった」

ところが中路が取材したインタビューは、とても不思議なものでした。
駐在所が爆破されることが前もってわかっていたという巡査の妻の証言です。

「派出所が襲われることを主人から聞いたときは、ただ茫然となりました。
 しかし、逃げたり騒いだりすると犯人に察知され、せっかくみなさんが
 一生懸命になっているのに、申し訳ないと思い主人といっしょに
 死ぬ気で頑張っていました。
 主人は靴をはいたまま裏口に頑張り、私だけ奥の四畳半に万一を願って
 ふとんをかぶり待機しましたが、この時ほど死を賭した職業の美しさに
 打たれたことはありません。
 耳が破れるようにガンと響いたときは、目の前が真っ暗に感じられ
 主人が犯人を追跡するのを感じ、うまく捕えるようにと祈っていました」

 菅生村の駐在所に勤務する大戸三郎28の妻、みち子23の証言です。
 この時みち子は妊娠6か月の身重でした。
 しかし、なぜ駐在所が爆破されることを事前に知っていたんでしょうね。

 この事件の特異性を如実に物語るものです。