もうブログ更新半年に一回のペース。
前回何書いたか忘れてるし。
そうこうしてる間にチビトラは小学校の準備コース。日本だったら年長さん。
家で私とは日本語一本で来てるので、英語力が心配な所だけれど本人は意外と楽しくやってて一安心。何しろ、三歳半から週数回のペースで保育園や幼稚園に行ってるのにさっぱり英語力は付かなかったからこのままどうなっちゃうのかしら・・、とちょっと不安にもなったりしてて。
地元の子に比べたら赤ちゃんレベルだと思うけど、まあまあ追いついて行きそうかな、と思えるようになってきた。
小学校始まる前に私もちょっと焦りがあってアルファベットの読み書きくらいは出来てないと・・、と無理やりやらせたりして、チビトラに「もう小学校行きたくない~、勉強嫌だ~」と言わせたり(深く反省)してたんだけど、ふたを開けて見れば「勉強苦手じゃなくなったよ~、わかるよ~」と。焦りは禁物・・。
何せ、自分が小学校も中学校も全然付いていけなかったから、それを思い出すと動悸がして汗が出てくる。今考えると、当時の自分は、その「付いていってない自分」を意識するのがあまりにストレスだったから、な~んにも感じてない子供、って感じでいつもぼ~~~~~~っとしてた。
今でこそ、発達障害やら色々言われて、「付いていけない子供」をある程度助けるシステムがあるけど、当時はただ、自覚と努力が足らないあほな子と認識されて、忘れ物した、テストが出来ない、と言っては教師に頭や顔をひっぱたかれたり、学校の校庭を走らされたりした。親にはひたすら「やれば出来るんだから」と言われた。つまり、今出来ないのは、やっぱり、「お前の努力が足りないから」と。
自分の子供たちには、そういう思いはさせたくない・・。「自分は出来ない子だ、頭が悪い」とは絶対に思わせるような事にしたくない。生きている事そのものの自信の有無に繋がるから。これは経験してきた人間にしかわからないと思うけど・・。
よく、皆違って皆いい、って感じで「勉強は出来ないけど優しいからいい、とか、運動は出来るから」とか言う人が多いけど、私に言わせれば、そんなのは教育者や親の怠慢の言い訳だと思う・・。そりゃあ、皆が頑張ればすらすら勉強が出来るようになるとは思わないけど、どの子も平均位までわかるように工夫してあげる責任が大人にはあるような気がする。
だって、これは声を大にして言うけど、腹の底から「皆違って皆いい」なんて思ってる教育者はごくごく少数派。誰だって、内心「出来るほうがいい」と思ってる。口に出さなくたって、態度に出てる。そうやって、子供を無言に追いやってる。じゃあ、出来るようにしてやる工夫をしてるか、というと、そうでもなく・。
で、話が戻るけど、ぐるっと回って「何とかして、常に学校でやってることを理解できている状態を保ってあげたい」と強く思う。
でも、だからって「あれやれこれやれ」とプレッシャーをかけては逆効果。「出来ないかもしれない」と自信をなくさせてしまう。自信がなくなると、わかっている事も「間違ってるような気がする・・、他の答えを」とわざとではないけど、あえて、間違ってしまう。
チビトラは特にそういうタイプの子だという事が去年から今年前半にかけてよ~くわかった・・。思い起こせば、自分もそうやって「あえて」間違って小中過ごした。高校はもうずっと授業中寝てた・・、ってか今思うとよく高校入れた・・。
なので、今はとにかく宿題を毎日こつこつ根気よく、その上で私が更に足して練習した方がいいと思った物も、何とかして本人をやる気にさせてから、嫌にならない程度に。
文章で書くとすごくシンプルで当たり前の事なんだけど、こうしてチビトラの勉強に付き合うと、自分がどれだけ短気な人間かが見に沁みる・・。
何十回・・、いや、物によっては何百回繰り返しても読めない単語、書けないアルファベッがトある時・・、「ぎ~~~!」ってなってます・・。「何で?」って・・。いやいや、自分を振り返ってみよう、チビトラは数十倍マシよ、私に比べたら天才よ!と思い直し、またこつこつ。
こうやって書いてたら、また「チビトラがいつか私みたいになったら・・、勉強で辛くなったら・・、自信をなくしたらどうしよう・・」と思い始めて動悸がしてくる・・。・・正直、ここに来るまで自分にとってこんなにも学校生活がトラウマになっていたとは知らなかった。
こういうとき、深呼吸をして自分に「大丈夫、大丈夫」と言い聞かせないとどんどん辛くなってしまう・。当時の教師達や、両親はどれだけ自分達が私を追い詰めていたかなんて全く気が付いていないし、今でも多分悪いのは私のあり方のみ、と思っているだろうし、私が今現在もこうして苦しむことがあるなんて全く思いもよらないはず。
ふ~・・。
何だか混乱して何の話かわからなくなってきた・・。
まあ、そんなわけで、私は自分の子供時代の経験からは「どうやって子供に接することがより良いのか」と言う事を導き出すのはすごく難しいので、色々本を読んでみたりしてる。
子どもへのまなざし/福音館書店
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最近読んだ本の中でやっぱり現場の人の言葉はすごい~、と思った一冊。
その子そのまま、丸ごと受け止めて愛する。
子供が期待通りになるかどうかで愛情を増減しない。
親は、子供のために子供を育てているのであって、自分のためではない。
なんかもう、色々反省した。
去年あたり、私は何だか子育てに焦ってて、チビトラをどうすればうまくコントロールできるのか、に視点を置いてしまっていたような気がする。幼稚園のお迎えに行っても、他の子は皆お母さんの言うことを聞いて一緒に歩いているのに、自分の興味優先でさっさと走っていってしまう我が子を見て、他のお母さんに自分がどう思われているのか考えると怖くなってきて。怖い顔して低い声で厳しく注意すれば言う事を聞いてくれて、自分も人並みのお母さんとして認められるかな、と思ったり。
でも、全然そうじゃなかった。
結局、毎日、いっぱい話を聞いてあげて、隣に座って本を読んで、「大好きよ」って言いながらぎゅっと抱きしめて。そしたら、いつも言うとおりにしてくれるか、て言えばやっぱりそうじゃないけど、こっちの話をもっと聞こうとしてくれるようになった。こっちの気持ちを察して言葉を選んでくるようになった。もちろん、チビトラ自身が成長してるのもあるだろうけど、決してそれだけじゃないのを肌で感じる。
この経験を、勉強のサポートにも活かす事が出来て、本当に良かった。
で、何でこんな事をだらだら書いてるかと言うと、実は単に自分への戒め。
子供に何か問題があると思ったときは、実は問題があるのは自分側。子供を責めるよりまず自分を見つめる。
子供が素晴らしいのは、親の手柄でもなんでもなく、その子そのものが素晴らしいから。
と、胸に刻むべし~!自分。