前記事の続き)

Facebookの台頭で様々な縁が生まれてるけど、
例えばユーミンの歌うDESTINY♪のように
出会うタイミングも場所も服装も選べないような…
そんな心揺さぶるドラマチックな展開からは
どんどん遠ざかってる気がするのがちょっと寂しい。

それは本来人知の及ばないところで生まれるものだった。
だからこそ神秘的であったり運命的であったり敷居の高いもので…
結果、出会うも出会わないも…
会うときに限ってサンダルを履いてるのも(笑)
そうゆう運命だったんだな…と受け入れることもできた。
でもそれを、言い換えれば”縁”のようなものを
自身がSNSを通じてある程度操作できちゃうと、
逆に逃げ道や拠り所をなくしちゃうんじゃないかなぁ…
運命や縁を理由に言い訳できないというかね。
言い換えればその分自己責任が重くのしかかる時代なんだな。

幾ら時代が進んでも心の片隅で時々芽生えるようなセンチメンタルは
そのままそっとしておくことも時の流れに任せる事も…
ある種の美学だと思うのです。


悲しいほどお天気/松任谷由実


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実名登録。
あたしみたいな名前の珍しいひとはちょこっと躊躇してしまう。
だからってどうこうなるものではないのだろうけど、
例えばサバンナに群れている草食動物の安心感はないかなぁ…。
赤信号、皆で渡れば怖くない。みたいなのも感じられない。
なんか無防備な剥き出し感…というかね、、(苦笑)
ただ探す方にとっては見つけ易いから
そうゆう意味ではハイリスクハイリターン…。

プロフィール画像。
顔写真なんてバカ正直に晒す必要はないじゃん?
ワンちゃん、ねこさん、ぬいぐるみでもokよん♪
とかも思うけどそれって”顔本”の本質じゃないよね?
とか面倒くさいこと考えてみたり。
まぁ実際やるときは結局あたしも関係ない画像にしちゃうかも?だけど、、
つかそもそもそんなん誰も気にしてねーし…とね(苦笑)

結局のところなんとなく薄ら気持ち悪いんだな。
無意識のうちに流れちゃう個人情報?みたいのがどうもね、、
でもでもこのご時勢それ気にしだしたら何も出来やしないし、
流れたところでその量が膨大だったら結局埋もれるわけで…
その分リスクも少なくなって…そうゆう時代か。。

とかいいつつあたしも手を出すのはもはや時間の問題(笑)
先日はその恩恵にあずかって20年振りの再会を果たしたし、
職業柄もう無視できない状況にある。
いずれもFacebookをやることでこのブログの位置付けを
再確認するためにも避けては通れない感じなんだなぁ。。

(続く)
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忘却シェルター

テーマ:
そしたら僕は何を決心するんだろう?
果たしてそうした結論を選ぶだろうか?
 
「空は相変わらず青いな」
 
目の前には進化を遂げた新たなイノチが見える。
どいつもこいつも不思議そうに僕を覗き込む。
いや、もう慣れてしまった。僕にはどうすることもできない。
そういやもうすぐ女がやってくるんだ…。さっき交わしていた。
どうせ気持ち良くなれん!哀れな儀式だ。
見てみろ、現にアイツの目は釣り上がってるじゃないか!
…憂いを秘めた怪物。面倒見きれない…。
 
笑ってみる。
居心地の悪さを笑っているんだ。…わかるまい。
 
そう。幸い僕には翼がない。
変わりばえのないあの空を自由に飛ぶ事はできない。
仮にもし翼があれば、答えは明白だった。
 
明日の朝。僕は計画を遂行する。
しかし意志ってやつは意外とヤワなんだな…。

-2003年初稿-
 
#
2003年10月10日、日本産最後の朱鷺(トキ)キンが亡くなった。
特にその死因が奇妙であり、見方によっては自殺とも取れるという…。
(無論それを立証する術はない…)
それがあまりに印象的だったので当時書き留めたメモ。
最近ヒナが生まれたとかでふと思い出して、、
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怒れる小さな茶色い犬-120426a

もう終わってしまったのだけど、
相方曰く前クールの月9(ラッキーセブン)で
仲里依紗が着ていた服がどれもこれもイケてたそうで。
んで特にコレ(↑)と同じデザインの猫ちゃんニット?セーター?
が気になったみたく、気付いたらポチってました。
確かにこの猫ちん、ちこっと可愛いので便乗up(笑)

怒れる小さな茶色い犬-120426c


路上のルール♪もいいですね。
この時期はチラホラ彼の曲がどこからともなく聞こえます。
尾崎の事はもちろん学生の頃から知っていました。
ただそれはあくまでカラオケのレパートリーとして…程度で、
(当時はバンドに夢中だったので…)
アルバム曲までちゃんと聞くようになったは亡くなった後ですね。
当時はまだあたしもやっと二十歳を迎える頃で、
余計共感したりしたのを覚えてます。

今思えばあの頃は大人が敵というシンプルな構図だった。
反社会的な内容がリアルに伝わる頃だったんだな。
故にあそこまで盛り上がったんだろうか…とか。
今は幾分?大人による子供への理不尽な締め付けも緩くなって
抑圧され方も時代と共に変わってしまって…
もはやその反動はガラスやバイクではなく。。

不自由であることの自由。
自由である事の不自由。

あたしらが学生の頃は今よりは不自由で…
だからベクトルが一致していたんだと思う。
ただ今思えばそれはある種幸せなことだったのかもしれない。
比べて今の学生はきっと当時よか自由なんだろう。
でも多様化が容認されすぎて…故に各々のベクトルが定まらず。
かえって不自由な状況を生み出していたり…とか。
結局若者はいつの時代も悩めるのか…。。

そんなかんなで今日という日は彼の歌を聞いてみたり。。


尾崎豊/十七歳の地図,回帰線,壊れた扉から

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