私的音盤幻聴記

私的音盤幻聴記

偏愛している音楽を中心に書きます。

Amebaでブログを始めよう!

前回の記事でも少し書きましたが、ここ数年は新しいアーティストを進んでは聴かない停滞期が続いていました。しかし今年に入って少しずつネット上で未知のアーティストを視聴したりしています。そんな中で一聴してビビビッと来たのが今回紹介するAdrianne Lenker

Abysskiss(2018)/Adrianne Lenker

エイドリアン・レンカーはBig Thiefというバンドのメンバーで、そちらの方が多分有名なんだけども、自分が最初に試聴したのがたまたまこのアルバムでした。アコースティックギターの揺らめくようなアルペジオと少々舌足らずな女性ボーカルは、過去のフォーク系の女性シンガーを思い起こさせるところがあり、短い試聴の間にLinda Perhacs、Hope Sandoval、Pentangleといった(自分の好きな)アーティストが頭を過ぎり…ジャケット写真も好みだったので、珍しく即ポチリました。アルバム全体としてもヴォーカルとアコースティックギターの演奏に、時々ピアノやシンセサイザーが入って来るシンプルなフォーク調のサウンドです。音響的に計算されたクールなサウンドですが、ジャケ写の様な寒そうなイメージでは無く温かみを感じる音ですね。

 

因みにBig ThiefはアメリカはN.Y.ブルックリンのバンドだそうで、ブルックリンと言えば2000年代にAnimal Collectiveが幻の英国女性フォークシンガーVashti Bunyanの復活をサポートしたりしていて、2010年代中頃までは自分もブルックリンのシーンに注目していましたが、最初に書いたようにここ数年はチェックしていませんでした。それが少し目を離した隙にこんなバンドが頭角を現していたとは…

 

Adrianne Lenker、Big Thief共に今一番ハマっていて一枚ずつ聴き込んでいっている感じです。

 

 

 

3年ぶりの記事になります。この数年間は新しいと思えたり、ドハマりする音楽に中々出会えずにいて、このブログも放置していました。しかし昨年後半にツイッターのタイムラインで「中森明菜はコクトーツインズを聴いていた」という旨のつぶやきが流れてきて、そう言えば自分も以前記事にして書いたな…とこのブログを思い出しました。その後「不思議」というアルバムはやはり非常に思い入れの強い物なので、どういった経緯で今そのようなつぶやきが為されたのか軽く追って見ました。

 

まず2019年8月14日にNHKFMで「今日は一日YMO三昧」という番組があり、その中で音楽プロディーサーの藤井丈司氏が「明菜は当時コクトーツインズを聴いていた」との発言をしたようで、その反応としてツイッターのタイムラインに上がってきたようです。そして「不思議」はコクトーツインズの影響があるという認識が広がっているようですが、自分は明菜さんはコクトーツインズ等の4AD系、ゴス系は聴いていなかったんじゃあないかと思っていたので少々戸惑いました。その辺りは過去の記事「不思議/中森明菜 その3~すわりの悪い話」を参照して下さい。

 

また、ツイッター内で「中森明菜 不思議」を検索してみると「和レアリック・ディスクガイド」という本、ユリイカ12月号のVaporwave特集で「不思議」が取り上げられている事が分かり読んでみました。「和レアリック・ディスクガイド」では今まで特に評価されていなかった和ものレコードが沢山紹介され、ユリイカの記事では深くかかったリバーブ等で、蒸気の中に居る様な感覚を与える「ヴェイパーウェイヴ」と「不思議」の類似性を語りつつ、両者は別物であると結論付けている文章でした。

その後上記の本を読んだり、その辺りの事をググったりしている内に、2010年代初頭に現れた音楽ジャンル「ヴェイパーウェイヴ」、その元ネタとして日本の1980年代の「シティポップ」が注目された事を理解しました。そうした中から中森明菜のようなアイドル・歌謡曲も再評価され、「不思議」も再発見されたという流れがあるようです。

 

しかし自分は思うのです、「不思議」って今までまともに”評価”された事があったかな?と。発売された1986年当時の雑誌等では圧倒的に不評だったと記憶しています。その後、明菜ファンの中で評価する人は稀にいましたが、世間的には失敗作、若しくは迷盤・奇盤という扱いだったと思います。2000年代に入りネットが普及すると、個人のブログ等で「不思議」について評価する記事も見られるようになりましたが、それが大きく取り沙汰される事も有りませんでした。(自分が以前に書いたブログ記事もそうした小さな感想の一つです。)

 

そして恐らくですが、流れが変わったのはこの記事が出た辺りからではないでしょうか?

https://music.avclub.com/a-one-of-a-kind-album-tried-to-turn-80s-pop-on-its-ear-1798243749

2016年の海外の記事です、記事を書いたIgnatiy Vishnevetskyさんはロシア生まれアメリカ在住の映画評論家だそうです。「不思議」をスージー・アンド・ザ・バンシーズやコクトーツインズ等を引き合いに出し評価しています。これ以降「不思議」=ゴシックロックという認識が定着したのではないかと思います。海外の視点で「不思議」をゴシックロックと解釈するのは当然の流れのように思います、他に似ている物は思いつかないし、時代的にも被っていますからね。日本風のゴシックロックとして世界に知られるのは良い事だと思います。

しかし個人的に歯痒く思うのは、「不思議」がコクトーツインズ等の海外のゴシックロックの影響で作られたと思われかねない事。実際にはEUROX、吉田美奈子、SANDII & 久保田麻琴らによる楽曲自体にゴシック風味はあまり感じられず、ミキシングにより近い物になっています。明菜さんの歌唱力とセンス、作詞作曲者・演奏者・スタッフの持っている技術とセンス、(プラス豊富な予算?)等が偶然にも重なり、何々の影響というのを超えたオリジナリティの高い作品になっていると自分は感じます。そういった事をもっと日本人の側から発信出来ればと思うのですが…自分では語彙力・言語力とも足りていなく儘ならないのです。

 

ツイッター上で「不思議」の話題を見て以来感じていた、嬉しさと違和感について書きました。「不思議」を和風コクトーツインズ、和風4ADと捉えるのも間違いでは無いのかも知れませんが、そのフィルター内に収まらない音楽だと自分は思っています。

 

 

Youth Lagoonも以前記事に書いたことがあります。
2013年に出た2ndアルバムは大層気に入っていました、今回は2015年の3rdアルバムです。
Savage Hills Ballroom(2015)/Youth Lagoon
 
実はこれ買った当初はあまりピンと来なくて、1回聴いて放置状態でした…しかし今回聴き直して中々良いなと思った次第。
 
前作が60年代・70年代のサイケの要素を強く感じさせる音だったのに対して、今作はどこか80年代的な印象。その80年代前半を思わせる打ち込み感、サンプリングの使い方が最初聴いた時はイマイチに思ったのですが…。
 
しかしどうも自分の中で最近は、××年代風みたく分けて聴く感覚が薄れてきたようで、分析的にならず素直に聴いてみると、中々どうしてお気に入りとなりました。
 
それで改めてちゃんと聴いてみると、前作から特に大きく方向転換したわけでも無いですね…打ち込みを多用しながらアナログ感満載のサウンド、それが少し整理され混沌とした感じは薄れましたが音の輪郭が分かりやすくなりました。一曲の長さが短くなっって聴きやすくなったとも思います。
 
しかし音質は今回も徹底してローファイですね、子供の頃にラジカセで聴いていたような音を思い起こさせ、何とも言えないノスタルジックさがあります。
 

前にHope Sandoval & the Warm Inventionsについて書きました。

http://ameblo.jp/metallo/entry-11756562774.html

Hope Sandoval という人は寡作だというイメージが強いのですが、気が付いたら去年新作が出ていたんですね…。

Hope Sandoval & the Warm Inventionsとしては2009年以来ですが、在籍しているバンドMazzyStarのアルバムが2013年に出ているので、感覚的に「え!もう出たの!」て思いました。

Until the Hunter(2016)/Hope Sandoval & the Warm Inventions

 

このHope Sandovalという女性ヴォーカリストの特徴は、少し舌足らずで少女のような声質、気怠そうな歌い方。曲調はゆったりとしたフォーク/フォークロックでサイケ感も強い。

これはMazzyStarで1990にデビューして以来共通していて、正直言って結構ファンである自分でも曲単位で聴くとどの時代のどのアルバムの曲か判断できない…。

 

そんな中Hope Sandoval & the Warm Inventions名義ではMy Bloody ValentineのColm Ó Cíosóigをパートナーとして、よりアコースティックな音楽性をやっている印象ではあった。しかしそれでもMazzyStarとの違いは微々たるもの…。

 

で、この新作も一聴して、前と変わらない今まで通りの音なのですが…しかし買って以来今までに無いくらい繰り返し聴いているのは何故なのだろう?

 

ダーク過ぎずキャッチーな面を感じるというのはある。

4曲目「LetMeGetThere」では男性とのデュエットでハッとなるような新境地。

それとFairport Convention等に通じるブリティッシュトラッド臭を今までで一番感じる。MazzyStarはアメリカのバンドであるのに対し、アイルランド人Colm Ó Cíosóigと組む事による違いが浮き出てきた印象。

Hope Sandoval自身がヴィブラフォンを演奏している曲が何曲かあり、鉄琴好きの自分はメロメロである…。

全体にクリアで見通しの良い印象が今までで一番ある、今までのアルバムでは、ズブズブと地中に潜り込んで帰ってこれなくなるような底なし感があったのに対し、これは最終的には地上の現実に戻って来れる安心感があるようで、それで繰り返し聴くに至っているのかな?

 

Bavarian Fruit Breadと並び現代アシッドフォークの名盤になる予感がしますよ。

久々の更新
最近は自分の音楽的ルーツにあたる1970年代末~80年代の音楽をよく聴いています~主にポストパンクとかニューウェイブとかオルタナティブとかにカテゴライズされるものです。

ウルトラヴォックスは80年代初めに流行ったニューウェイブ/シンセポップを代表するバンドという印象が強いと思いますが、今回紹介する1stアルバムは少し雰囲気が違います。


Ultravox!(1977)/Ultravox!
パンクムーブメントが盛り上がっていた1977年に発表されたこのアルバムは、グラムロックやプログレからの影響とパンクの時代のスピード感やソリッドさが合わさったような音になっています。

グラムロックからの影響と言う意味では、元ロキシーミュージックのブライアンイーノがプロデューサーとして参加しているので直系?ですかね?

また80年代のウルトラヴォックスと雰囲気が違う理由としては、ヴォーカルでリーダーだったジョン・フォックスが78年の3rdアルバム後に脱退してしまい、代わりにミッジ・ユーロが加入してからヒット曲が出たので、一般的にウルトラヴォックスのヴォーカル=ミッジ・ユーロという印象が強いというのもあります。

特に印象的な曲は4曲目「I Want To Be A Machine」
アコギの弾き語りで始まりヴァイオリンが加わり中盤でバンドが加わるアレンジはかなりプログレ的、歌われる歌詞はタイトル通り「私は機械になりたい…」というもので何とも退廃的。

8曲目「The Wild, The Beautiful & The Damned」
終始ヴァイオリンが鳴り響いていて、これもプログレ的なんですが、ドラムは叩きつけるような叩き方、ベースもエッジの立った音で非常にかっこ良いビートの曲になっています。

そしてアルバムラストになる9曲目「My Sex」
後のアルバムで多用することになるシンセサイザーですが、この1stの時点では使用頻度があまり高くないです。しかしこの曲ではシンセが全面に出ていて強い印象が残る。ジョン・フォックスの歌も詩の朗読に近くてとてもクール。


少し余談になりますがウルトラヴォックスのようにシンセを多用するニューウェイブバンドって、デヴィッド・ボウイのベルリン三部作に影響を受けて出てきたんじゃないかと何と無く思っていたのですが、調べてみるとボウイの「Low」が77年1月発売、「Ultravox!」が77年2月発売、どちらにもブライアン・イーノが関わっていて制作時期も被っているようです。Ultravox!は「Low」ほどには先鋭的では無いし評価もそれ程高くないかも知れないけど、そういう情報を考えてみると中々面白い…もっと聴き込んでみたいと思いました。