制作活動をするため、3ヶ月間渡仏したアーチストである友達が「Onikko Pray and Play」という展示会をするというので行って来た。
もうすぐ節分だし、なんてタイムリーなこと。「だけど一体、鬼って何?」と思いながら電車に揺られて行って来た。
「鬼」そう聞けば、恐ろしいと思ってしまう。怖い顔、金棒を持って教われそうで、食べられてしまいそうなイメージ。豆を投げて外へ追い出さなくてはならないのも、青鬼赤鬼。鬼ってやっぱり恐ろしい、怖いんだ。そんなことを考えた。
でも、それって本当なのかな?
ますます、鬼を見たくなり興味が出て来た。そして、個展が開かれているギャラリーのドアを開けたら!!!
1000体の鬼っ子が待っていた。しかも、奴ら「かわいい」。
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(1000体の鬼っ子は、帰国後2週間で作り上げたとか。スゴいっ!!)
1000体の鬼はそれぞれ顔も形も違う。似ているようで微妙に違う。顔には目が二つ口がひとつ、合計三つの穴があいている。同じ数の穴があるのに、それでも1000体それぞれ違う。
きっと、人間以外の生き物からすれば、人間も同様に見えるのだろう。同じような姿形をしているけど、ちょっとずつ、ほんのちょっとずつ違う。同じようで、でも違っている。同じなのに違いを求め、違いを求めるけど同じ要素を探す。そんな人間を面白いのだと思うに違いない。
並べられた鬼は、どれも小さな子どものような顔をしている。愛らしいんだけど、でもその中に喜怒哀楽がはっきりと見える。可愛いのだけど怪しくもある。
子どもの中にある残酷さとか、大人の中の無邪気さとか。変わって行くようで変わっていないもの。無いと思っているけど、実はずっとそこにあるもの。そういう怖さと愉快なものがゆらゆら見える。
表に見えるものと、裏に隠れているもの。それがシンプルな造りだからこそ、よりくっきりと浮かび上がってくるような気がする。
「鬼」のイメージ、「鬼」が与えるイメージ。それもまた、人間が作り上げたものかも知れない。長い歴史の中で、排除した方が都合がよいことがあって、それを「鬼」とか「悪魔」というイメージに仕立てそこに閉じ込めたという話もある。
実のところは分からない。でもそこに封印されたエネルギーの動きが、怖く不気味でおどろおどろしく醜いものとされる象徴の中に、「闇」として見えたり、感じたりするのかも知れない、なんて思ってしまう。そして、それは「ひと」という神秘にも共通していることなのだ。
やはりアートって奥が深くて面白い!アートの世界って、何かを象徴している訳だけど、象徴的であり、抽象的であるからこそ、多くのことを包括しているからこその色気が感じられるのだろう。
それは、絵画やオブジェ、音楽や踊り、自然が見せるアートにも共通している。そしてまた、古くから受け継がれる物に刻み込まれたメッセージも興味深いな。
なんてファンタスティックな世界に生きているんだろう私たちって!と思う。その世界を今年はもっともっと実感したい!
Onikko Pray and Play in Kobe は2月3日(月)まで
阪急六甲 ONIKO TERRAさん にて開催中
美術作家 Tetsuaki Hazeyama HP
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