「華」 | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

来週末引っ越しを控えているため、
日々「物の仕分け」に追われています。

自分には何が必要か?=残しておくもの

ということに真剣に向き合う作業。
それが「仕分け」「片付け」なんですね。
改めて実感!!

片付けをしていると、
「捨てる」「手放す」
という作業が、
いかにエネルギーを使うか思い知らされます。

例えば、本1冊にしてもそう。

その「1冊」を書店で見つけて買ったときは、
その本に心ときめかせ、ワクワクしました。

そして、本を読み、再びトキメキ。
心が動き、感情が動く。

だけど、どれほど心を揺さぶられた本であっても、
本棚に置き、しばらくすれば心が遠のくこともあります。
そういうことの方が多いかも知れない。

再び時間が経過し、
また改めてその1冊を手に取って、
「これからもずっと傍に残しておきたいか?」
ということに、気持ちをフォーカスしてみると、

残しておきたい!と思うこともあれば、
これはどなたかに譲ってもいい、と思うこともあります。

でも、たとえ「どなたかに譲ってもいい」
つまり、処分してしまってもいいと思っても、
一番最初、その1冊に出会ったときの自分の気持ちを感じれば、
「物」を処分する、
という小さな「動き」の中には、
とてつもなく大きな
「それと自分との 関わり」があることに気付きます。

もちろん、本に限ったことではなく、
これが、
洋服であっても、
アクセサリーであっても、
タオル1枚であっても、
どんなものでも同じこと。

これらを手放すということは、
物との出逢いから今までに区切りをつけることであり、
例えばそれが、どんな小さな「ひとつ」であっても、
自分自身を楽しませるために、
(便利で快適な生活を送るために)
華をそえてくれた「ひとつ」であったことに感謝をすることなんですね。

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