◎どうすれば見えるか?◎ | 不完全なままで完全である

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◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇

先日、ふと目に留まった過去の記事。

2010年の12月に私が書いた記事でした。

そして、びっくりした!!


でも、正直なところ、この時気づいたことは自分でも腑に落とせてなかったのです。

自分の中から出てきたことで、自分が書いたことなんですが。


だけど、今ではこの記事に書いたことが本当によくわかる!

これを理解するための2011年&2012年だったのかも、と思うくらいです。


あまりにびっくりしたので、再投稿!


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この記事でわたしは、

http://ameblo.jp/megumillier/entry-10737953032.html


ひとつのモノに集中することによって、周りが見えなくなる。

空間があることによって、モノは際立ち存在感が増す。


だけど、本当は空間によってそのモノが支えられている、

ということを書きました。


この時に思ったことは、「顕在意識」と「潜在意識」。

モノが顕在意識であり、空間は潜在意識だと思ったのです。



ところで、先週2010年度のココロとカラダ塾は終了しました。


最終回のテーマは


< カラダは潜在意識の欲求にしたがう >


テキストの中の素朴なフレーズにはたくさんの刺激がありました。

しかし、わたしが一番印象的だったことは、おのころ先生のお話。


DNAの2重らせんは結合水によって保たれている、という。


その二つの相互作用により、それぞれ固有の三次元構造を作り出す。


これを聞いた時に、わたしがミソラちゃんの講座で気づいた、

「空間」と「モノ」の関わりを思い出したのです。



わたしたちは、見えるものを見て、その事象だけをとらえるけれど、

実際はそうではなく、見えないものまで本当は見ている


モノはモノだけとして見えているのではなく、

DNAのようにそれを支える水=空間によって支えられる。


それは、見ようと思わないと見えない

しかし、見たい・知りたいと思うと見えるようになるのです。


見えないものは、どうしても後回しになるし、もしかすると、

そんなものは信じられないし、存在しないものとして片づけられる。

そんなこともあるかもしれません。


だけど、宇宙は存在しています。


わたしたちの多くは地球の外に飛び出したことはないけれど、

その宇宙の存在は知っていて、そしてそれを信じている。

なぜ宇宙を信じられるか?というと、他からの情報に委ねているから。


ならば、どうして自分の内側と外側の領域を信用できないのだろう?

感じようと思わないのだろう?と思ったのです。


もしも、自分の内側からの情報「カラダの症状」を何かの情報とし、

そしてそれに委ねることが出来たなら、「不快」とすることさえも、


今までと違った側面から、もっと大きいところから捉えることが出来る。

カラダの症状だけでなく、行動やココロの動きも同じことが言えますね。


潜在意識の欲求を知る。


本当のワタシは、どんな欲求を持っているのだろうか?

それを知ることって、実はとても簡単なことなのです。


それは究極の面白さかもしれない。

そんなことを思う今日この頃です。