■□食べ物はあなたの意識で変換される□■ | 不完全なままで完全である

不完全なままで完全である

◇サイキックです、心のことのおたくです、保育士もやってます◇




今週の「ココロとカラダ塾」の テーマは、


「あなたのカラダは、これまでのたべてきたのもの結果」


平たく言うと、おのころ心平の食事学!ですね。

破壊と再生を繰り返して新しいものを作り出す by おのころ




食べた物を咀嚼するとは、意識の破壊である


消化とは、自分に向き合い内観することである


吸収とは、腑に(臓腑の腑)に落とすことである


そして、ジブンとなり、カラダから出て循環されゆく



そう考えると、「食べる」ってなんだろう?


また、ここへたどり着きました。


もっと深いところ、さらに奥があるのではないかと。



食物・食材は形になっているけれど、


本当は形にならないものを食べているんですね。


食べた物が細かく砕かれ、意識せずとも消化され吸収される。


しかし、食べることっていつのまにか知識になっていたのです。


栄養だとかカロリーだとか、食べ合わせあとか調理法だとか。


だけど、本当にこれで健康で幸せですか?



「食に厳しいひとが これほど食にこだわっているのに、なぜ?」


という人が多いのです。 by おのころ



自分を振り返っても、周りを見ても、本当にそう思います。


「食に対して厳しい目がストレスになる」


「欲求の矛先をそこへ向ける」


という実体験から、


「食べることって深層心理を表すのでは?」


とあるとき気付いたのです。


「何かが違う」と。



口にモノを入れて、良く噛まずに飲み込んだり、


ストレスがかかると、消化不良になったり胃が痛くなったり。


胃腸は正常な働きが出来なくなります。


これは、わたしたちの思考と同じなのです。


自分の本当の「欲求=喜び」は何か?


そこに気付かずに、一時凌ぎに欲求を満たそうとしても、


その欲求は満たされることなく、また次を探し始めようとする。



意識的なことと、肉体的なこと。


違うようで、じつは同じ順序を経てチカラになろうとしているのです。



食べるものは何でも、


そんな「単純」だけど「気付かれにくい」モノを、


わたしたちに教えようとしているのではないでしょうか。


そんなことを、「食べる」を考え始めて思うようになりました。



人は意識で食べている。


この言葉を聞き、「やはりそう思っている人もいるんだ」って、


言葉がチカラになりました。




11月のココロとカラダ塾@大阪 追加講座決定!

何かがあなたを変えるかも?!