ネグレクトの母、愛人の元に入り浸る父―両親は私に愛情より金を与えた 韓国時代小説 猫は見ていた | FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

FLOWERS~ めぐみの夢恋語り~・ブログで小説やってます☆

Every day is  a new day.
一瞬一瞬、1日1日を大切に精一杯生きることを心がけています。
小説がメイン(のつもり)ですが、そのほかにもお好みの記事があれば嬉しいです。どうぞごゆっくりご覧下さいませ。

小説 お嬢様春泉の秘密 

 第一話 猫は見ていた

~あなたを愛しているけれど、同時に憎んでるもいるわ~。

16歳の私が初めて愛した男は、父を殺しにきた刺客だった。「悪魔的に美しい暗殺者」

を愛した少女の悲劇。

 

つまり、どちらもどちらといった状況なのだ。夫婦は互いに背を向け合い、父も母も若い愛人を作って家庭を顧みない―、それが春泉の育った柳家の内情であった。そんな環境であってみれば、乳母は春泉にとっては文字どおり、〝母代わり〟であったのだ。
乳母といっても実際に乳を与えられたわけではない。玉彈は既に五十が近いのだ。心優しい乳母ではあるが、とにかく気が小さい。今も春泉を守らなければならない玉彈の方が春泉の後ろで小さくなって震えている有り様だった。
が、春泉は、そんな玉彈が大好きだ。母がけして与えてはくれなかった愛情をこの乳母は惜しみなく注いでくれた。
玉彈には昔、良人と娘がいたという。しかし、悲惨な事故で同時に二人を失ってからというもの、ずっと独り身を通してきた。玉彈の亭主と幼い娘は都の大路を全速力で走ってきた荷馬車に轢かれたのだ。まだ六つの娘が可愛らしい仔猫を追いかけて道へふらふらと飛び出していったところに、向こうから荷馬車が走ってきた。
亭主は当然ながら、その娘を助けようと自らも道へ躍り出たところ、二人して馬の蹄(ひづめ)に当たってしまった。亭主は咄嗟に娘を庇ったものの、娘をしっかりと腕に抱きかかえた亭主ははるか遠くに投げ飛ばされ、二人共に身体のあちこちを強く打って亡くなった。
玉彈が春泉の乳母となったのは、彼女が天涯孤独になってしまった二年後のことである。玉彈は元々、柳家で働く女中であった。彼女の良人も父祖の代から柳家に仕える使用人であり、使用人同士で結婚したのである。
天涯孤独という意味では、春泉は玉彈と全く同じであったろう。確かに春泉には両親もいて、父親は都でも屈指の辣腕の商人だ。世間的に見れば、春泉が天涯孤独などと言えば、誰もが首を傾げるはずである。
が、父は娘への過度の愛情を金や贅沢な品々で示そうとするしかせず、母は娘の存在など忘れ果てていたにも拘わらず、最近になって娘の存在を俄に思い出したようだ。といっても、何も急に母性本能にめざめたというわけではない。
母がこれまで放ったらかしにしておいた娘に構い始めたのは、ほんの一、二年前くらいからのこと。春泉は今年、十六になった。つまり、世間でいう〝適齢期〟という年齢に差しかかった頃から、母は春泉という娘がいたと漸く思い出したらしい。
母の目下の関心は、若い愛人とどれほど面白おかしく過ごすかということと今一つ、娘をどうすれば権門家に嫁がせるかというこの二つだけである。柳家は常民(サンミン)であり、その上の階級の両班(ヤンバン)とでは法律的には結婚できないことになっているが、そんなことは千福は物ともしないだろう。
唸るほどの金をもってすれば、この世でできないことなどおよそありはしない。それが、千福の信条であり、実際、それはあながち間違いともいえなかった。ひと口に両班といってもピンからキリまである。判(パン)書(ソ)だ議(ウィ)政府(ジヨンプ)の政丞(チヨンスン)だといった大臣を輩出する名門から、下は貴族とは名ばかりの下級両班である。そんな下っ端はその日暮らしの常民(サンミン)を少しマシにした程度の暮らししかできず、身分は下でも柳家の方がよほど裕福で贅沢な暮らしをしている。
まずは、そんな下流の両班に金を積んで我が娘を養女にと頼み込む。金欲しさに相手が一も二もなく頷けば、そこで春泉を貴族の娘分とし、それから上流貴族の許に縁談を申込みにゆく。
判書を出す家柄であっても、財政は必ずしも豊かとはいえない。山ほどの持参金を持つ花嫁がやってくれば、一時凌ぎとはいわず、以後もずっと柳家の財政的な援助が期待できるというものだ。つまり、春泉を養女とした家、更には嫁に迎えた家、二つの家が柳家の有り余るほどの財力のおこぼれを受けられるのである。
恐らく、父の目論見は正しく、母の野心は遠からず叶うことになるのだろう。
母が春泉を両班に嫁がせたがっているのは、何も娘の幸せを願っているからだけではない。純粋な親心よりはむしろ、己れが両班の縁続きになりたいという見栄と名誉欲を満たしたいがためにすぎないのだ。
春泉にとっては父も母もいないも同然で、それは物心ついたときから変わらない。彼女にとっては、乳母の玉彈だけが家族であり、身内であったのだ。
子どものときから、家にいても少しも愉しくなかった。父が屋敷内の若い女中の尻を追いかけ回す姿、それを見た母がヒステリックに使用人たちを叱り飛ばすのを間近に見ては、自分の室に逃げ込むのが日常だった。
やがて、父は屋敷の女中たちだけでは飽きたらず、外に女を求めるようになっていった。一つには屋敷内では、母の監視の眼が光っているということもあったのかもしれない。母の悋気は凄まじかった。父の手が付いた若い女中を下男たちに寄ってたかって袋叩きにさせ、瀕死の状態で門外に打ち捨てたこともあった。
身籠もった女中は堕胎薬を無理に飲まされたり、納屋に閉じ込めれ、何日もろくに食事を与えられなかった。そんな女たちの中にはあえなく生命を落とした哀れな者もいる。だから、自分には、もしかしたら母は違えども同じ血を引く弟妹が何人もいたかもしれないのだ―と、春泉はちゃんと知っている。
むろん、春泉も女ゆえ、母の想いは判らないではない。良人が常に自分以外の女しか見ていない―それも真剣な想いであればまだ仕方ないと諦めもできようが、明らかに好色な男がいっときの欲求の捌け口を求めて女漁りをしているだけと判れば、腹も立ってくるというものだ。
それでも、母のやり方はあまりにも度を越えていた。身籠もった女に堕胎薬を飲ませたり酷(むご)い折檻をせずとも、子が生まれる前に女どもども屋敷を出してしまえば済むことではないか。仮にも春泉の異腹の弟妹である。柳家の子女として育ててやれずとも、どこか遠くに里子に出して育てさせるというやり方もあったはずで、たとえいかほど辛くとも、柳家の女主人として母はそのようにすべきであった。
春泉がこうして屋敷を度々抜け出し、町に出るのも、ひとえには屋敷にいてもくさくさするだけだという理由があるからだ。最近、母はどこぞに男を囲うだけでは飽きたらず、男を屋敷の中にまで引き込むようになった。
母の相手を務めるのは皆、一様に若くて眉目の良い男ばかりである。母は三十五、春泉から見ても、まだまだ若く美しい。残念なことに、春泉自身は佳人と評判の母とは似ても似つかず、色の浅黒くて糸のように細い眼の父と瓜二つであった。
母が春泉をけして近づけようとしなかったのも、この醜い容貌のせいもあったのだろう。娘を見れば、憎らしい良人を思い出すし、また、同じ抱いてあやすなら、嫌いな良人にそっくりの醜悪な顔をした娘よりは自分にそっくりな可愛らしい娘の方がよほど良い。
実際、母は春泉が見てもお世辞なく若々しい。到底、十六の娘がいるとは思えない瑞々しい美しさを保っている。父が母を妻に迎えたのも、この類稀な美貌のせいだとは知っている。母は常民ではあるが、柳家とは釣り合いの取れないほど貧しい家の出であった。
母の父は銀細工職人で、腕はそこそこなのに、酒と博打が大好きで賭け事には眼がなかった。折角得た金もすぐに酒代や博打代に化けてしまうので、一家の暮らしはいつも切迫していた。
母は市の野菜売りの店で働いていたところ、通りすがりの父に見初められて迎えられたのだという。当時、母には既に末を言い交わした恋人がいたとか。しかし、欲に眼がくらんだ母は恋人をあっさりと棄て、富豪との玉の輿婚を選んだ。その挙げ句に待っていたのが、このけして幸せとはいえない結婚生活だとは母自身は想像もしていなかったろう。
母の恋人は働き者の実直な若者だったという。もし父などと結婚せず、その若者と所帯を持っていれば、貧しくとも、母は幸せな女の一生と魂の安らぎを手に入れられたに違いない。一時の欲に血迷ったばかりに、母は大切な物を失ってしまったのだ。
もちろん、これらの経緯を春泉は母や父から聞かされたわけではない。屋敷内のお喋り好きの女中たちがひそやかに囁き合っているのを物陰で幾度かこっそりと聞いたにすぎない。話の断片をつなぎ合わせてゆくと、大方、このような話の筋書になる。