『妖星ゴラス』1962年公開 東宝作品。感想。~SF学のススメ。 | まじさんの映画自由研究帳

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SFとは、一つの仮定=科学的な空想に基づいた事象から、可能性を検証する一種の学問である。

先日、東京現代美術館でやっている特撮博物館へ行き、無性に『妖星ゴラス』が見たくなって借りて来た。日本の特撮黄金期の傑作である。

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もし、地球に巨大な隕石が衝突すると分かったらどうするか?
迫り来る隕石を破壊する?または、地球を捨て、新たな新天地を探す旅に出るか?あるいは覚悟を決めその時を待つか…。人類の選択肢はさほど多くはない。

1998年、ハリウッドは隕石衝突をテーマにした2つの映画を公開公開した。ドリームワークスの『ディープインパクト』とディズニーの『アルマゲドン』だ。同じ年の公開だと言うのに、隕石の大きさもほぼ同じ、解決策も隕石に原子爆弾を仕掛けて爆破。計画の狂いから、自己犠牲によるお涙頂戴オチで、ネタ丸かぶりの醜態を世界に晒し、この年のラジー賞をにぎわせた。と、同時に我々はハリウッドのイマジネーションの限界を見た。この二つの映画では、せいぜい直径10km程度=地球の1/1000程の隕石、もしくは彗星が襲ってくる。

だが、もし衝突コースにある小惑星の質量が、地球の6000倍もあり、大きさも地球の3/4もあったら…。勿論、月よりも遥かにデカイ!
小惑星に小さな宇宙船で乗り込んで、爆弾を仕掛けるなんて無理だ。もう、どうしようもない。地球を捨ててどこかに逃げるか、地球ごと隕石をよけるしかないのだ!

『妖星ゴラス』は、この荒唐無稽な物語を大真面目に描いている。
この奇想天外な大作に当たったのは制作:田中友幸。監督:本多猪四郎。特技監督:円谷英二。脚本:馬淵薫。メカニックデザイン:小松崎茂。当時の東映特撮映画、黄金メンバーである。
東宝のお家芸、ミニュチュア特撮で、描かれる、地球の危機をテーマにしたスペクタクル巨編。荒唐無稽なテーマをおちゃらける事なく、真面目に描いた作品。全体に流れる緊張感が思わず引き込まれる。また、小松崎茂デザインの宇宙船も魅力的である。
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あらすじ。
土星探査に向かっていた隼号は、途中、遭遇した巨大な小惑星「ゴラス」の探査を行う。調査データを送るも、その強力な引力に捉われ、吸収されてしまう。残された調査データにより、この星が地球に衝突するコースを辿っている事が明らかになった。これに対して人類は壊すか逃げるかの選択を迫られる。だが、破壊手段は、早々に否定される。地球の質量の6000倍を持つ星は地球上の爆弾では壊す事ができないからだ。そして、国際会議で議論され、対立する国々をまとめ、全世界が人類の存亡をかけて、南極に叡智を集結。巨大な原子力ジェットの基地を建設し、地球を移動させてゴラスを回避すると言う、前代未聞の計画が持ち上がる。果たして地球はゴラスを避けられるのか!?

『アルマゲドン』や『ディープインパクト』にもなかった「地球の危機に世界が一つになる」と言うエピソードが実に素晴らしい。この二作品は全く同じアプローチで「地球の危機はアメリカが守る!」と言う利己的なものだった。だが『妖星ゴラス』では違う。地球の危機を前に、冷戦の無意味さを互いに恥じるのだ。これは理想であり現実的ではないのかも知れない。だが、この理想こそが、この映画が傑作たる由縁の一つだと言えよう。
また、引力の強い流星を調査すると言う危険な任務を、命をかけて全うする男たちの活躍も熱い。ある者は探査機で一人最接近を試みるが、ゴラスの強い引力の影響を受けながらも危機一髪の生還を果たすが、記憶に障害を追ってしまう。
更に、ゴラスは周辺の小惑星などを飲み込み、その質量を増してゆく。鈍く赤く光り、マグマを蓄えた不気味な姿は、まるで意思を持った怪獣のようだ。
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これを観て思い出したのは『フィフス・エレメント』の惑星の姿をした「巨大な悪」だ。周りの人工衛星を飲み込んだり、人間の心に入り込むシーンの画は、どう見てもあれはゴラスだ。ベッソンは抽象的な悪をゴラスから引用したのかもしれない。

※以下、ネタバレあります。
これだけ素晴らしい作品なのだが、残念な点もある。常にクリエイティブな中に、制作サイドはいらん事を言う。この映画もそうだ。急遽「人気を取る為、怪獣を入れろ」と指示が出たのだ。かくして、地球が隕石衝突の危機に瀕している中、突如、南極基地に怪獣が現れる。この怪獣のぞんざいな扱いは、スタッフの抵抗の現れだろう。劇中では爬虫類と言っているが、どう見てもトド。
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なぜ現れたかの理由も「地球が軌道から外れたんだ。何が起こっても不思議はない」と一蹴。登場してから間もなく、小松崎茂氏に急遽デザインされたVTOL機によって全くストーリーに絡まず退治されてしまうのだ。(後に、この戦闘機が『ウルトラマン』のウルトラ警備隊が操るビートル号に流用される事になった)
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もう、何の意味もなく出てくる怪獣ってなんなの?まだ、怪獣たちとも協力して、地球の危機を救う話の方がマシだ。(そんな話、あった気がする…)

ま、そんな困難も乗り越えて、月もゴラスに吸い込まれ、東京はほとんど水没しちゃうんだけど、なんとか衝突は避けられた。でも、その後、どうするの?
元の軌道に戻すのが大変だ。って所でこの映画は幕を閉じてしまう。つまり、後はご想像にお任せしますと言うわけだ。

え?ここで終わるの?と思うかも知れない。だが、それでいいのだ。我々はハリウッドの用意された答えのある映画ばかり観て、考える事をやめてはいないだろうか?謎が残る映画を、勝手に駄作だとか言ったりしてはないだろうか?
だが、ちょっと待ってくれ。 SFとは本来、考える楽しさを与えてくれる空想科学だ。万事全てが解決した訳ではない。後日譚や逆説などを考えるのが、SFの醍醐味なのである。

軌道がズレてしまったら、地球はどうなるのか?気候の変動もあるだろう。暑くなるのか?寒くなるのか?自転スピードににズレはないだろうか?そもそも大気は大丈夫か?月がなくなったら地球はどうなるのか?などなど、果たして地球は元の軌道に戻れるのか?その手段は?
と、もう、考えればキリがないほど問題は出てくる。そう。空想は果てしなく広がる。そうして、謎を考えるのも空想科学の楽しさの一つなのである。あの後はどうなるのか?あのシーンには、本当はこういう意味があったのでは?いやもし、あれが、そうではなかったら?などと映画を見た者同士が、謎について語り合えるのが、SFの楽しさなのである。