「 ご心配なく、いつもありがとう。」
「かしこまりました、お気をつけてお願いいたします!」
私の仕事は
ほとんどが取り越し苦労…という世界の(笑)
とっても不思議な仕事である。
でも、警報を一旦受信してしまったら
順を追ってするべきことが山ほどある。
してその警報の正体は…
・笑顔で焼き肉を焼いている家族
・仕事に出かけている家族の留守番のおじいちゃん
・風邪をひいて寝込んでいる一人暮らしの女性
・黒豆を孫にと煮ているおばあちゃん
・次から次へとシャワーを使う大家族!
それなのに
私には、全て同じ形として
上がってくる。
同じ警報という形で。
ルールを決めた以上、警報は警報なのである。
でも、そこには
数々の事情があり、その家庭の数だけのドラマがある。
そしてほとんどが、取り越し苦労
ほとんどが、事件ではない。
それが、セキュリティという部署の仕事。
万が一・・・
普段でもありえない心配することが多い私が
そんな仕事をしていることが面白い。
心の警報が鳴った時にも
そこにまず働くのは想像力
この人は、私を傷つけるのではないか
私は無視されたのではないか
ないがしろにされているのではないか
捨てられるのではないか
でも、警報の裏に
ほとんど笑顔があるということを
毎日確かめながら
私は、リハビリしてもらっているのかも(笑)
私のここ数カ月の体験のなかで出た格言??(笑)
「警報の裏にあるのは、ほぼ笑顔!」
しかし、ここで一つだけ気付いたことがあるのです。
警報の裏には
必ず「約束事」があるということ。
約束事がなければ警報は鳴らないみたい。
「こうしてくれるはずだ」
「前はこうだった」
「社会通念上からして、これはひどい」
「こうあるべきだ」
「無駄遣いしてはならない」
「電車の中ではこれは非常識」
自分自身が小さい頃
ほとんどが大人の影響で取り決めた
または、一度大きな不快感を味わってから
強くなったセキュリティ機能
花粉を吸ってでる
不必要な激しいくしゃみのようなもの。
その警報の裏にあるものは
その時そばにいた大人たちの
誤解によって発生した意味のないセキュリティかもしれないし
自分が感じた不快感も
確認してみたら
何のことはない、目の前の人も
ただ精一杯生きていただけかもしれない。
そんな中、
セキュリティも実はかしこい。
捨てたもんじゃない。
意味のない警報には
さらなる取り決めを発生させる
警報発令しても、連絡不要。
随時更新していこう。
心の警報も、書きかえられる
そして、またまた面白いのが
警報は
鳴った時にしか書きかえられないということ。
警報が鳴って初めて
自分がみえてくる。
だから、警報は実はとってもひつよう不可欠なものなのです。
メルマガにもちょこっと書いています。