先日、あるブログにこんな仏教説話が載っていました。
お釈迦様の10大弟子の一人の「アーナンダ」という人が、
ある日お釈迦様に尋ねました。
「最近思ったのですが、良き友を得るということは
『私が目指す道』の半分を手に入れたと言ってもいいのではないでしょうか。」
すると、お釈迦様は
「アーナンダよ、良き友を得ると言うことは
『道』の半分を手に入れたということではない。」と言った。
アーナンダは少し落ち込んだそうです。
「自分はまたトンチンカンなことを言ってしまった!
やっちゃったよ!」
すると、お釈迦様は、包み込むように・・・次のように言葉を続けた。
「アーナンダよ、良き友を得ることは『道』の半ばではなく、
『道』のすべてを手に入れることになるんだよ」と。
最近、共に歩む「友」の大切さをつくづく感じています。
心一つに進める「友」が出来たならば、
すでに「道」の全てを手に入れる事になる。
このことが、なぜかしらこのごろ少しわかります。
以前、カウンセリングの師匠に教えていただいた
「道」と「路」。
人生の目的に向かって、それぞれが歩んでいく道。
多くの人と絆を結んで、支え合って生きていく路。
私の「路」になってくれる「友」の存在がこれほどまでにありがたく
また、「友」の「路」になろうと頑張る事が、
こんなに嬉しくて楽しい事だとは知りませんでした。
しかし、お釈迦様はどういう思いで、このアーナンダに言葉をかけたのでしょうね。
「良き友を得る」ということは、すなわち自分も「良き友」であるということが求められるのでしょう。
そして、それは「道の半分」ではなく、
なんと「全部」だと言います。
いかに、人生が人と人との繋がり
「絆」で出来ているかということを感じた説話でした。
「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ(サンマーク出版)」
の著者で、クロフネカンパニーの中村文昭さんは
師匠の田端さんに
「目の前の人を喜ばす事を考えろ。
そうしたら、お客さんが営業マンになって、
勝手にお客さんを連れてきてくれる。」
「料理は”作業”。
目の前の人を喜ばす事が”仕事”なんだぞ。」
と、鍛錬を受けたと言います。
作業と仕事。
スキルと魂。
この両輪なのでしょうか。
また、目の前の人を大切にすることこそが
いかに、人生を開いていくのか
ということを感じます。
そして、飛躍しようとする友の「路」になり、
共に「道」を目指せること。
それこそが実はすでにもうお釈迦さまの言葉にもあるように
しあわせな人生を手に入れている
そのことに気づかなければならないのかもしれません。
お釈迦様の10大弟子の一人の「アーナンダ」という人が、
ある日お釈迦様に尋ねました。
「最近思ったのですが、良き友を得るということは
『私が目指す道』の半分を手に入れたと言ってもいいのではないでしょうか。」
すると、お釈迦様は
「アーナンダよ、良き友を得ると言うことは
『道』の半分を手に入れたということではない。」と言った。
アーナンダは少し落ち込んだそうです。
「自分はまたトンチンカンなことを言ってしまった!
やっちゃったよ!」
すると、お釈迦様は、包み込むように・・・次のように言葉を続けた。
「アーナンダよ、良き友を得ることは『道』の半ばではなく、
『道』のすべてを手に入れることになるんだよ」と。
最近、共に歩む「友」の大切さをつくづく感じています。
心一つに進める「友」が出来たならば、
すでに「道」の全てを手に入れる事になる。
このことが、なぜかしらこのごろ少しわかります。
以前、カウンセリングの師匠に教えていただいた
「道」と「路」。
人生の目的に向かって、それぞれが歩んでいく道。
多くの人と絆を結んで、支え合って生きていく路。
私の「路」になってくれる「友」の存在がこれほどまでにありがたく
また、「友」の「路」になろうと頑張る事が、
こんなに嬉しくて楽しい事だとは知りませんでした。
しかし、お釈迦様はどういう思いで、このアーナンダに言葉をかけたのでしょうね。
「良き友を得る」ということは、すなわち自分も「良き友」であるということが求められるのでしょう。
そして、それは「道の半分」ではなく、
なんと「全部」だと言います。
いかに、人生が人と人との繋がり
「絆」で出来ているかということを感じた説話でした。
「お金でなく、人のご縁ででっかく生きろ(サンマーク出版)」
の著者で、クロフネカンパニーの中村文昭さんは
師匠の田端さんに
「目の前の人を喜ばす事を考えろ。
そうしたら、お客さんが営業マンになって、
勝手にお客さんを連れてきてくれる。」
「料理は”作業”。
目の前の人を喜ばす事が”仕事”なんだぞ。」
と、鍛錬を受けたと言います。
作業と仕事。
スキルと魂。
この両輪なのでしょうか。
また、目の前の人を大切にすることこそが
いかに、人生を開いていくのか
ということを感じます。
そして、飛躍しようとする友の「路」になり、
共に「道」を目指せること。
それこそが実はすでにもうお釈迦さまの言葉にもあるように
しあわせな人生を手に入れている
そのことに気づかなければならないのかもしれません。