戊辰役戦場祉
淀城跡を後にして、淀の町を歩いていると、集会所?に碑石が建っているのを見ました
予期せぬ場所にあると自分の勉強不足に落込む
そして、地図にペンでここに碑石があったって印を書き込みます
妙教寺
ここの本堂には、鳥羽・伏見の戦いの時の砲弾の跡が3か所残され、砲弾も保管されています
見てみたかったなぁ
碑文には、「戦死者埋骨地三所 一在下鳥羽村彼岸時墓地一納所村愛宕茶屋堤防一八番楳木」と記されているようです
戦争が終わって新しい世がきても、榎本さんは仲間達の供養をずーーーっとしてきたのがわかります
さて、妙教寺から少し歩いた場所です
この辺りに昔欣浄寺というお寺があったようです。
新選組六番隊組長の井上源三郎埋葬地だという可能性が高い事が最近になってわかったようですよスゲェー
その記事が井上源三郎資料館のHP にもありました
源さんにもやっと会えたような気がしました
駅まで戻ってきました、さてここなぁ~~んだ
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京都競馬場だー
時間があれば行きたかったんだけどねぇ・・・
無理でした。。。
パッと見、すごくキレイな感じがしましたよ、しかも広い
駅のホームから若干中が見えるってゆー、たぶん馬が走るのも見えるんじゃないかなw
戊辰之役東軍戦死者埋骨地
千両松にひっそり建つ慰霊碑
かなり遠いです、へとへとになりながらたどり着きました。
この激サムの季節に汗をかきながら「あっぢ~~」って言ってたもんねw
ここが千両松の激戦地となった場所ですよ
さて、この場所の不思議な話を知っていますか
私も色々な方のブログで見ただけなので本当かどうか分かりませんがw
新選組の幽霊
昭和になり、競馬場の拡張工事が行われ、慰霊碑が動かされたそうです。
その後、誠の旗を持った新選組隊士の幽霊が「もとの所に返せ!」と現れるようになったという。
そこで工事関係者は、慰霊碑を管理する妙教寺に依頼し、盛大に供養をし、工事終了後は、もとあった場所に慰霊碑を戻した。
それ以来、幽霊は出てこなくなったんだとか
(=◇=;) こんなやつか!?いや、もっとリアルなやつだろうけど。
いやぁ~それにしてもクオリティーの低い・・・
誠の旗を持った隊士か・・・
旗役だなんてかなりの役職の方なんじゃないですか!?
そこ???w
つづく
京都旅行Ⅱ