訂正

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今和次郎は1888年、明治31年生まれでした。訂正しておきます。

興味のある方は、筑摩書房から
・今和次郎著、藤森照信編『考現学入門』(1050円、ちくま文庫、1987)
・川添登『今和次郎論 その考現学』(1365円、ちくま学芸文庫、2004)
という本がでています。

エッセイとしては
・『野暮天先生講義録』(1890円、ドメス出版、2003)
があります。
これは日経新聞に連載されていたもので、一般向けなので、人柄もしのばれて、のんびりしていてしかも考えさせられるところも多い、と楽しいものです。

ブログのはじまりから固くるしくてすみませんです。

やまなが
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ヤマナガです。さっきモリさんから日記サイトのブログ化おしらせのメイルが届いておりまして、それに対して返信を打ったのですが、なんとなく、面白くなったので、もう少し広い場所においておきます。以下、メイル本文転載。

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もりさん、毎度ながら、いろいろとサイトの運営面で、ありがとうございます。

ついに日記が「ブログ」に、ですかあ・・・、IT音痴の山永としては少々ひるむところもありますが、どんなことになるやら、楽しみにしています。

最近は、卒論に眼一杯であんまり楽しい書き込みもできてませんが、いよいよ卒論も終わりに差し掛かってきたので、年明けくらいからはまたのびのびと書けると思っています。(12月24日が提出。)

ちなみに、僕の卒論は、東京美術学校図按科(※)を出ていながら「アーテイスト」にならなかった人の話です。あと2週間をうまく使うことができれば、まずまず面白いものになるのではないかと思っています。
※図按科は現在で言うところの「建築科」「デザイン科」「工芸科」が未分化だった学科です。

その人、今和次郎(コン・ワジロウ、1889-1973)の言葉からいくつか。
まずひとつ。

「愛は最上のレクリエーションである」

こんなこといえるジイサンになれるなら、べつに「アーティスト」なんかじゃなくてもOKですよね、なんて思う最近です。
どうもヤマナガは、ゲージツダイガクに来て、芸術家にならずに満ち足りて生きる方法を選んでしまったようで、まあ、それもそれで一つの選択だと思っています。
(個人的には正しいと思いまくっている。まだこれから先がどうなって行くのか分かりませんが・・・。)

さらに今和次郎の言葉からひとつ。長いですが、よければどうぞ。

要は、「都会の芸術家ってそんなに偉いの?普通に働いたり、暮らしたり、その中で工夫したり、飾ったり、踊ったりすることが楽しいのにさ」ということかと解釈しています。

「(前略)都会の人たちは真実に動いている。実に仕上がりに近い、真剣な努力をしている。しかたなくそうなっている人もあろうが、そんな奴は下等な奴だとしてのけて、真に本当の心の衝動で努めている人びとにみちみちていると見てよかろう。両親から金を送ってもらって、真実な尊い芸術だといえる絵を描く真剣な努力をしている人もある。みごとで、晴れがましい世界だと、いわねばなるまい。工芸美術家といわれる作家たちも皆真剣で、一生一代の傑作品をつくりだそうと努力して、わき目もふらずに大わらわになっている有様である。歴史のうえに名のとどまるのが、おれたちだろうと励んでいる。実に東京はみごとに充実して緊張しきっていて、こここそが生きがいのある黄金の花園だと讃えねばなるまい。それに対して、なんと田舎者はばかだ、ばか者ばかりだ、と群集たちの表情にも、叫び声にも見聞きすることができる。
 そういう美の殿堂は、いつまでも崩壊せずに立っているだろうか、緊張を讃え、心の衝動を讃え、あらゆるすばしっこい活動を讃えている、みごとな世界はこわれぬのだろうか。生きている美人も、いつか眠りにおちる。休息し、反省するときが、健康のためにはなくてならぬもののような気がするのだが、ときはいま恵まれて、破産しかけたフランスの美術家たちの傑作も、東洋のこの日の出の黄金国へと運ばれてくる勢いだし、それやこれやで、いっそうのにぎわいで、真実の張りつめた太鼓が、いたるところに響く大音響を響かしているというかたちのときなのである。

(中略
 [ここでは、田舎の素朴なブリキ屋の仕事を紹介しています。ランプのおおいを挿絵で。これがまた愛らしいスケッチなのですがメイルでお見     せできないのが残念!スキャナがあればなあ。])

私のここで紹介したものは、御殿のなかのものではない。また、なんら国産利殖というようなことに関係したものでもない。またもうひとつ、閑暇をもつ老人たちに提供しようと欲するものでもない。最も若き心をもち、そして何より労働を忠実にやり、工芸製作に楽しく働こうと念じている人たちへの贈物としたいためである。個性絶対の三昧にふけり、そして才能ある者の特別な権利を社会に要求しようというアーチストたちへではなく、社会へは労働以外のもので、なんの特別の要求をなさず、そしてよい作品をつくるために忠実でいようとの空想的な心がけに働いている友人たちの心へ物語ったのである。芸術はいま、新たに評価されねばならぬ時期がきたように私には思われているのである。(後略)」
(1923[大正12]年、9月)

最後に、もうひとつ。これは弟で版画家の今純三についての文中の一言。

「どうも色彩と筆致のみの芸術に浸るのには私たち兄弟の性格はなんだか別なもののような気がしたので、いわゆる油絵画家になりきろうとする純三に反対した根本だった。(中略)華やかさの中に浸って酔い楽しむ心の根が私たち兄弟にはきわめて細い。絵を描いている友人たちと比較してはっきりと省みられるのだった。」
(1933[昭和8]年、9月)

ゲージュツの華やかさ、人からほめられてなんぼの水商売、蝶や花のことばかり考えていなければいけない浮世ばなれ、その欲と業の深さに耐えられないものは芸術家になるのは危険だ、と言っている気がします。

以上、自分のことばかりで失礼しました。

もりさん、
年末にむけてがんばってください!
僕も花咲ガニ食べたいっ!

冬来たりなば、春遠からじ
ではでは。

2004、12、10(金) 11:37 東京、谷中より
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