釣りは想像の美学である!
テーマ:日常ネタ。我々が最も煩わしいのは、釣りをしない人たちからプレゼントされる
『釣りって、釣れないと退屈でしょ?』
『釣りって、根気がいるんでしょ?』
『釣りって短気な人ほどいいってほんとですか?』
などの迷言の数々である。
昼下がりの心地よいお茶のひととき、ほろ酔いの居酒屋の片隅など、時、処かまわず、それは襲ってくる。
釣りに勤しむばかりに、時として我々は、変人、人間嫌い、しつこい奴、
挙げ句の果てに変質者の憂き目にまであう。
確かに、湖や渓流を見つめながら、糸も出さずに、無言のまま座っている釣り師を見ると、
そこにはある種の狂気がなきにしもあらず、とは思う。
しかし、彼は呆然としている訳ではない。
仕事が心配な訳でも無い。貯金の残高を嘆いているのでもない。
自分の生来の美醜に心囚われてるいるはずもない。
では、自然の中に身を置いて、彼は何をしているのだろう。
決まっている、魚と自分のことを考えているのだ。
もし、彼の手がまだ生臭くなかったら、
より強く、彼の脳は働いている。
人間の恋人同士のように、釣り師と魚(こいびと)は生まれながら糸で結ばれてはいない。
釣りとは、魚に対して、釣り師が一方的に望む恋愛関係なのだ。
しかも一方は陸地に、片方は水の中という逆境にある。
ロミオとジュリエットでさえ、こんなに困難を乗り越えてはいない。
それでも、いや、それだからこそ釣り師は燃える!
たとえ、魚(こいびと)の姿が煌めく流れの下に見えなくても、
自然の中で一本の糸で結ばれる瞬間の夢を見て糸を出していく。
そして考える。
「きみはそこにいるんだろ?返事をしておくれよ」
「ほら、また見てる!、気になるくせに気づかぬ素振りなんかして」
「俺の贈り物が気に入らないのかい?ドアを閉めっぱなしじゃ話にならないじゃないか?」
「どうしてだまってるんだ!そんなに俺がいやなのか」
「勝手にしろ!この野郎!」
…
想像し、反芻し、彼はまだ見ぬ魚(かのじょ)を冷静に待ち続ける。
そして、その美しい魚体(からだ)を見せてくれないのは、自分が到らないからだ、
と我が身を責める。
もっと真摯に、もっと熱烈に、もっと注意深く接すれば、
きっと想いは届くはずだ、と反省するのだ。
もう、おわかりだろう。
これほど釣り師の脳は働いているのだ。
苦慮、恋慕、放心、自責、茫漠、
それらの個々が波のように思い過ごしながら、せめぎ合っているのだ。
釣れないで退屈なものか。
興奮しているのだ。
魚をモノにするのに、根気も短気もへったくれもあるものか。
あるのは自分と魚とそれを隔てる逆境だけである。
釣りは想像の美学である…
以上、
上記の文章は最近見つけたアイザック・ウォルトンが書いた世界初の釣りの書籍「釣魚大全」を
もじった「釣魚大変」という本より抜粋させてもらいました。
思い当たる節があるようなないような…
自分のまわりで釣りをしておられる方なら、きっと共感できる点がいくつかあるんじゃないかなと思います。笑
最近は全くといって良いほど、予定があわずに釣りにはいけてません…
しばし休憩?!
頭の中が釣りのことでいっぱいになるという、
「釣りインフルエンザ」を誰かが広めてくれるのを心よりお待ちしております。笑








