今年一年を振り帰って・・・その2 | 【旧】神がまだ生きろと・・・脳出血で左片麻痺&癌サバイバー

【旧】神がまだ生きろと・・・脳出血で左片麻痺&癌サバイバー

2013年6月、脳出血(右被殻)。リハビリ病院を12月に退院。
翌年2月から復職するも8月、急性胆嚢炎。11月、左腎細胞癌発覚。12月に左腎臓と胆嚢を全摘出。
左片麻痺、脳疾患後遺症と闘いつつ癌の経過観察丸5年経過。卒業!?
脳卒中と癌のサバイバーです。

1月末に会社の本社に出向き産業医と面談しました。産業医の先生は、元々専門が脳神経外科だったそうで、発症からの経緯、現在の生活状況を話し、手の可動範囲、歩きの状態を見て、2月からの復職の許可が下りました。その面談の際に主治医の同意書があれば健康保険で鍼灸が受ける事が出来るということを教えていただきました。

2月
復職しました。

やはり会社の方としても体力面が心配だったようで、検討の結果、様子を見ながらということで、
最初の週は週4日(月、火、木、金)、午前のみ
翌週は週4日(月、火、木、金)、午後3時まで
その翌週は週5日(月~金)、午後5時まで
その翌週は週5日(月
金)、時間制限解除
水曜は午前のみで、午後は訪問看護(リハビリ)と訪問介護(生活援助)を受ける為、休みにしてもらいました。
このように段階的にフルタイム勤務に戻していきました。

はじめの頃は、蛍光灯が異常に眩しく感じて、慣れるまでしばらくかかりました。あとは、目の問題。要は老眼なんですが、ノートパソコンからデスクトップパソコンに変わたことで焦点距離が変わってしまい、目の見え具合も良くありませんでした。目の疲れも辛かったです。夕方になるとショボショボでした。
就業時間が短い時期はそれほど辛くはなかったですが、長くなるにつれ、麻痺足の張り感・痺れがキツくなって来ました。座りっぱなしが辛くなる要因だったので、なるべく一時間毎に休憩所まで歩いて行って、コーヒーを飲んで気持ちと足の張りを緩めるようにしていました。
左手は作業に参加させると、ミスタッチで効率が悪くなるし、肩周りの筋肉が強張ってしまうので、机の上に乗せておくだけであまり使いませんでした。電話も、左手で受話器を持って耳に当て続けながら右手は作業。ができなかったので、しばらくは電話を使う仕事はしませんでした。
確かに体力的には辛かったですが、疲れて休んで、疲れて休んで、これを繰り返さないことには体力の回復はない。と言い聞かせていた記憶があります。
目の問題については、改めて眼科に行き、最新の処方をしてもらってから眼鏡屋に行き、通常の単純な老眼鏡ではなく、手元の資料、ディスプレイの位置、さらにもう少し広い範囲が見えるタイプの老眼鏡を二本新調しました。

お世話になってるヘルパーステーションの隣に鍼灸院があり、主治医の同意書の用紙をもらいに行きました。そこはヘルパーステーションの会社がやってる鍼灸院で、ちょうどヘルパーの主任さんもいらっしゃたので、話が早かったです。
後は脳外の受診の際に、鍼灸治療の同意書の署名をお願いしました。
同意書を鍼灸院に提出すると、健康保険で受ける事が出来る様になりました。

水曜と土曜に訪問看護(リハビリ)と、訪問介護(生活援助)を受け、背中が張ったり腰痛になったら鍼灸院に行き、なんとか会社に通ってました。しばらく、行きは良い良い、帰りはヨロヨロだったと思います。自宅が近くて助かりました。

OTさん
当初、訪問看護(リハビリ)は両日とも男性のOTだったのですが、先方のスケジュールの関係で4月から水曜の担当が女性のOTに変わり、密かに喜んでいたのですが、2ヶ月ぐらいで男性のPTに変わってしまいました。何か、楽しみを奪われた感じでがっかりしてました。後から聞いたところ、おめでたで退職だったそうで、今頃、おかあさんになってるかな?

今年一年を振り帰って・・・その3 へ続く・・・・かも





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