この度の、東北地方太平洋沖地震で被災された皆様には、心よりお見舞い申し上げます。







【大正元年生まれ『正子6歳ころからの記憶』~昨年97歳で亡くなった祖母の遺品より~】を読んでくださっている皆様、いつもどうもありがとうございます。

通常であれば、続きである「支那人のおじさん(2)」を掲載するところですが、2011311日に起きた東北地方太平洋沖地震が発生し、関係性の薄い「支那人のおじさん(2)」を掲載するより、祖母正子が88年前に体験した「関東大震災」の記録が存在するため、こちらを先行して掲載することにしました。

まだまだ先の掲載予定(第二章48話)ではありましたが、順番を前後して皆さんにご紹介することをご了承ください。


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第二章48話 関東大震災の前日の事(その1)



大正十二年八月三十一日 

正子小学校5年生



関東大震災前日の事




「三十一日は大潮じゃから、今年最後の貝堀りに行かんか?」と、祖母がみんなを誘いました。

母も姉も喜んで、

「行きましょう!海の家も三十一日で終わりですから。」と云いました。

 朝早く起きて、いつものようにおにぎりをたくさん持って、羽田の海岸へ行きました。

海の家に着いて、着替えをしてみんなそれぞれに熊手を持って、貝を入れる手ぬぐいで縫った袋を持って海へ入りました。

海の家の木の階段を六、七段降りた処で祖母が云いました。

「今日の潮の引き方おかしかっ!(鹿児島弁)この時間には、この階段の一番下まで水が引いて、砂が見えとる筈じゃ!」

私も、それを聞いて何だかいやな気持ちがしました。

一番下の段は水につかっているのです。

かなり遠くまで行きましたが、どこまで行っても大人のヒザの辺りまで海水があるのです。

大分行った処で、姉が水の中にしゃがみ込んで大きな声で

「あるある!大きなハマグリが!」と云いました。

祖母も、母も、私も、小さい弟までが「ハマグリいっぱいあるよ」と云うのです。

貝は、熊手で掘らなくても自分から「取ってください」とでも云うように出てくるのです。

なまぬるいお風呂のような水にしゃがみ込んで取っているうち、たちまち貝は、それぞれの袋にいっぱいになりました。

一度、海の家に帰っておにぎりを食べて、もう一度行こうとしている母と姉に、祖母は必死になって止めました。

「もう、行かんほうがよか。今日の潮はどうもおかしか!逆に流れとる。海の水は沖に流れず岸の方に流れとる。」

「そんな馬鹿なこと、ありませんよ」と姉が云うと

「いいや、胸さわぎがする。早よ帰ったほうがよか!」と云いました。

母と姉は

「こんなにハマグリがたくさん取れるなんて、めったに無いことだから」なんて云って、祖母の止めるのも聞かずに、また沖の方に行きました。

二人が行ってしまうと、祖母はさっさと着替えをして

「正子、早よお前も着替えをしなさい。二人が帰ってきたら、すぐ家に帰ろう」と云って、弟に着替えをさせて帰り支度をしました。