以前、「気づき」について色々読んだことで、
とても難しいものに感じて解らなくなった、
という友人の話をきいて、
「気づき」というのは、
ものすご~く簡単で、当たり前のことなのに、
何故、そんなに難しいと思ってしまうのか、
考えてみました。
「気づき」は、「存在」「意識」「本質」「神」その他、
色々な言い方をされます。
なので、ある特別な状態だと思われたり、
それについて説明された高尚な表現で、
解らなくなってしまうのではないでしょうか?
私ももちろん気づく前はそう思っていました。
「気づき」というのは、
見ることそのもの。
見る=気づき=私
この「私」は
見ているものそのもの。
どこかから見ているものではなく、
直接、世界をみているもの。
「見る」というのは、抽象的なことではなく、
単純な「見る」です。
当たり前の、普通の、見ている私そのもの。
思考や考え、それらが無くても、
そこにそのままいる「私」
絶対に対象にならないもの。
はい!この文章を見ている貴方!
その視線の元に戻って!
あなた!あなた自身です!
あなたが気づきそのものです!
大きな窓のように開けてませんか?
顔が無く、世界と直接面してませんか?
見ている貴方は呼吸よりも近くにいませんか?
こんな説明で解る人はいないかな。。。
解った方は、よければ
ご連絡ください。m(_ _ )m
「気づき」に気づくこと自体は、
あまりにも単純なことに気づくことで、
全然大した話ではないんですが、
それが「目覚め」と言われるだけあって、
そこから発生してくるエネルギーが多分すさまじいんでしょう。
色々なものを引き寄せ、
抑圧していたものが解放され、
余計なものが落とされる。
そして、その「目覚め」から始まる様々なことが、
注目され過ぎて、
ものすごく難しいことのように思われる。
「気づき」に気づくこと自体は、
「え?これ?
え~~~~~~~???これだけ~~~~?
これならずっとあったし、ずっと知ってるし」
と、拍子抜けするようなことですし、
だからこそ、今までの自分の深刻さを思うと、
くだらなさに笑いが止まらなくなってしまったりするんです。
そして、深刻さから自由になる。
「目覚め」「気づき」に付随する概念、イメージ、
そこに付随して起こる体験、
それは、「目覚め」「気づき」自体とは違うと思います。
☆レイキヒーリング、レイキ伝授、対話セッション
興味のある方は、詳しくはプロフィール欄をご覧になり、
連絡先にご連絡ください。