" 沈まぬ太陽 "
監督 若松節朗
原作 山崎豊子
出演 渡辺謙
三浦友和
松雪泰子
鈴木京香
石坂浩二
香川照之
木村多江
戸田恵梨香
西村雅彦
柴俊夫
山田辰夫
加藤剛
宇津井健
小島聖
日本航空ナイロピ営業所に勤務していた頃の渡辺
象狩りとか
*
1985年8月12日
日本航空創業35周年記念式典
日本航空は1951年に
政府主導による半官半民体制で設立された
来賓を出迎える
三浦同社取締役
西村同社取締役
柴同社取締役など
ケニア大使と式典に出席する渡辺
渡辺の出席を快く思わない西村
羽田空港18:00発 日本航空123便大阪行き
いつも通り乗員・乗客が搭乗
乗客乗員524名 (うち乗員15名)
予定時刻を12分遅れ離陸
記念式典出席の議員たちに
根回し気を使う三浦取締役
渡辺の出席を快く思わない
日本航空123便
18:24 トラブル発生
18:56 御巣鷹の尾根に墜落
捜査・救難活動により4名の生存者を発見
藤岡市内の学校に設置された家族待機所
指示を出す三浦取締役
棺桶の手配など
集まる日本航空123便乗客乗員の家族
家族お世話係を代表し挨拶説明する渡辺
藤岡市民体育館に設置された検死所
ヘリから運び込まれる遺体
並ぶ棺桶
遺品・遺体を確認する家族
*
1962年・冬
労使団体交渉で経営陣に
賃金アップと労働条件改善の要求を突きつける
日航労働組合の委員長渡辺
彼を補佐する副委員長三浦・書記長香川
彼らの要求をかわす
柴取締役他経営陣
翌日
経営陣の出した回答に労働組合は不満
渡辺委員長はスト決行を主張
経営陣は労働組合に対し譲歩せざるをえない
1964年
渡辺は左遷、カラチ勤務になる
経営者側の報復人事
三浦は労働組合と手を切り
経営者側に寝返る
1965年
第二組合、日本航空新労働組合結成
労使協調路線を採用
裏で操るのは労務部次長の西村
そのボスは柴取締役
経営者側は旧労働組合員に対して
露骨な人事差別を行う
1966年
西村は渡辺に忠告するが
旧労働組合と手を切らない渡辺は
テヘランへ転勤
1969年
三浦は渡辺帰国の根回しをするが
旧労働組合と手を切らない渡辺は
ナイロビへ転勤
*
1985年9月18日
新聞は日本航空123便の墜落原因を
隔壁の修理ミスと報じる
整備持ち越し(キャリーオーバー)の影響?
日本航空の次期社長をどうするか
中曽根総理には権力を誇示する腹案あり
金丸副総理には総理とつるむ腹案あり
日本航空は運輸族の利権の温床
三塚運輸大臣にも腹案あり
中曽根が推薦するカネボウ会長伊藤が
日本航空副会長になる
1986年
伊藤は会長となる
旧勢力の抵抗に会う
三塚運輸大臣は
航空対策特別委員会で叩く
伊藤会長は渡辺を会長室部長に任命
腐敗した体質にメスを入れる
1987年
中曽根も伊藤が煙たくなる
伊藤は会長を辞任させられる・・・
小説は実話に基づき書かれた
が
映画は小説をもとにしたフィクションです
登場人物、団体は全て架空の物であり、
実在の人物、団体等とは関係がありません
3時間を超える
いわゆる超大作
でも小説はもっと長い
全5巻、2,000ページを超える
長い小説全部を
1本の映画にしたのに無理がある
豪華俳優陣を使ってはいるが
出て来たとたんに性格が分かる
ありきたりな人選
まるで大河ドラマのダイジェイス
セリフをかんでも
撮り直してない箇所もある
123便の墜落寸前の機内のシーンなど
雑でお粗末
どうしても小説を読むのは嫌だ
と、言う人向け
上映時間202分だが
そのうち10分は休憩
実質192分
DVDでは黒い画面はカットしてほしい
世界に飛行機を飛ばす航空会社
こっちで太陽が沈んでも
あっちでは沈まない
こっちで太陽が登る時
あっちでは太陽が沈む
沈まぬ太陽の王国は
沈み続ける太陽の王国
半国営だった日本航空
政界との癒着
520人が死んだ程度なら
トップの首をすげ替えれば
沈まない
社員の賃金を上げれば
それは運賃に跳ね返る
安い運賃の航空会社を
選んで乗る利用者が
飛行機を危険にさらす
飛行機に限ったことではないが
電車もバスも同じだが
アフリカで夕日を見ながら
あれが沈まぬ太陽だ、って言われても
どう見たって沈んで行くんだけど
どんどん沈んで行くんだけど
2009年 日本映画 192分 制作費3,450万ドル
事故で死んだ時の保証
逸失利益
仮に年収が500万円で後30年働けたなら
400×30=1億5千万
でも
生きていたら生活費がかかる
働けなくなってからも生活費がかかる
その分は引かれる
一度に沢山もらうと貯金するので
利子がつく
その分も引かれる
ホフマン係数とかで計算する
それに
遺族の精神的打撃等を考慮して
慰謝料が足される
もらえるのは6,000万から7,000万円
日本航空123便が墜落したのは
御巣鷹山ではなく
そこから2.5km南の高天原山
でも
御巣鷹山と報道され続けたので
墜落した尾根を
御巣鷹の尾根と命名した
死んだ場所を訪ねるのが
死者への供養だとすれば
大きな病院は
毎日遺族が訪れて大変だ
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