大倉御所の庭には大小の木が植えてあり、そこに何種もの鳥が飛んでくる。
潮が自分の侍女になってから、更に鳥の数が増えたと一幡は思う。
何か不思議な力が潮にはあるのだ。
だから自分に初めて会ったとき、あんな言葉をかけたのだし、鳥達もやってくるのだと。
一幡は、子供だからこそ、それを敏感に感じ取っていた。
潮は一幡に‘かわいそう’とか‘なかないで’などという言葉は一切掛けない。
けれど、その何もかもを見通すような瞳の色で、一幡を暖かく包み込む。
それがとても心地よい。一幡が潮を離さない所以であった。
今、潮はその白い腕に数羽の鳥を止まらせ、言葉ではない何かでもって彼らと会話している。
鳥を見つめる潮の瞳は誰も持ってない優しさがあって、その瞳が時々自分にも向けられることに、密かな優越感を持つ一幡である。
「なんていってるの?」小鳥のような声で一幡が聞く。
「早く一幡様のお手にあるものが食べたいそうですよ」
潮の答えに一幡ははっとして、握っていた鳥達のえさを、手を開いて目の前に差し出した。
ぴい、と鳴いて小さな手に止まった鳥達がえさをついばみ始めた。
一心にその様子を見つめる一幡の後ろから、一人の武者が歩み寄ってきた。
潮も何回か見かけたことがある、頼朝の側近だった。
彼は、二人の側に近づくと一幡に向かい軽く礼をして、潮に「御所様のお呼びがかかっておる」と言った。
意外な事もあると潮は思ったが、とにかく行かねばならない。
一幡をなだめて部屋に連れて行ってから、頼朝の部屋へと向かった。
大倉御所はそれほど大きくない。だが、だからといって警備の武者が少ないということもない。
鎌倉、いや関東第一の権力者の回りが手薄なはずなどない。
だが、今はなぜか廊下ですれ違う者がいなかった。しんと静まりかえっている。
ほどなく頼朝の居室に着き、声を掛ける。
「御所さま。潮でございます。お呼びと伺い参りました」
中で身じろぎする気配がした。
からりと戸を開け、潮は部屋へ入った。
頼朝一人だけが部屋の奥に座している。潮は正座して頭を下げたまま彼の言葉を待った。
頼朝の視線を感じるが、何の動きもなくしばし沈黙の刻が流れた。
ふいに頼朝が声を出した。
「鞍馬はどうであった」
潮ははっとした。
質問の持つ意味を考える。
顔を上げ、頼朝を見た。
彼も潮を凝視している。
疑っているのだ、と潮にはわかった。
潮は、遮那と育ったことを誰にも言わずにいた。それは自分にとっては、言いたくないことだっただけだ。
けれど、頼朝にしてみれば素性不明の者を、自分の娘の侍女にするわけにはいくまい。調べられて当然だ。
いままで、それに気づかなかった自分がうかつだった、と潮は思った。
現在、頼朝と遮那の間が上手くいっていないことは知っていた。
それは鳥たちがもたらしたことでもあるし、女達の噂でもあった。
それを聞いた時、どれほど遮那の元へ行きたかったことか。
会いたい、と焦れるほどに願った。
けれど、この身は東の地から動けない。遮那のいる西へ行けばもう二度と遮那に会えなくなる。鎌倉にいれば、いつか会えるかもしれないのだ。その一縷の望みが、潮を鎌倉にとどめていた。
それに一幡のこともある。潮を頼り、信頼してくれる子を無碍にするなど潮にはできない。
潮は言葉を捜しつつ、頼朝に語った。
「・・・確かに私は鞍馬の山の中で、御所さまの御弟、義経様と育ちました。けれど義経様が山を降りられてからはお会いしておりません。・・・・・・私をお疑いならば、いかようにも処断なさってください」
言いながらも、目は頼朝から離さない。
それが肝要なのだとわかる。潮を見つめる頼朝の瞳は厳しい。それでも潮は目をそらさなかった。
頼朝の性情は、嘘を許さない。辿ってきた人生が彼をそうしたのだ。他人の裏表を常に警戒し、めったに信用しない。
潮には頼朝の生きてきた道などわからない。だがヒの力がそうした彼の心の内を捉えていた。
とことん他人を吟味し、試し、信用できる者をより分ける。そういう男だと潮にはわかる。そしてその根底に眠る、彼自身すら気づいていないだろう渇望も。
いや、頼朝自身は違う形で気づいているのかもしれない。絶望的な孤独感として。
「その言葉を信じろと?」
表情を変えずに頼朝が言った。
ああ、と潮は思う。
似てはいない。
そう、頼朝と遮那の姿かたちは似てはいない。
なのに、瞳に宿るものが驚くほど似ているのだ。
深いところで彼らは繋がっていると思う。それが「血」というものなのかもしれない。
頼朝の孤独の色は、遮那の色と同じだ。その激しさすらも同じ。潮は、頼朝の中に遮那を見、彼に魅かれて行く自分をとめようもなかった。
潮が自分の侍女になってから、更に鳥の数が増えたと一幡は思う。
何か不思議な力が潮にはあるのだ。
だから自分に初めて会ったとき、あんな言葉をかけたのだし、鳥達もやってくるのだと。
一幡は、子供だからこそ、それを敏感に感じ取っていた。
潮は一幡に‘かわいそう’とか‘なかないで’などという言葉は一切掛けない。
けれど、その何もかもを見通すような瞳の色で、一幡を暖かく包み込む。
それがとても心地よい。一幡が潮を離さない所以であった。
今、潮はその白い腕に数羽の鳥を止まらせ、言葉ではない何かでもって彼らと会話している。
鳥を見つめる潮の瞳は誰も持ってない優しさがあって、その瞳が時々自分にも向けられることに、密かな優越感を持つ一幡である。
「なんていってるの?」小鳥のような声で一幡が聞く。
「早く一幡様のお手にあるものが食べたいそうですよ」
潮の答えに一幡ははっとして、握っていた鳥達のえさを、手を開いて目の前に差し出した。
ぴい、と鳴いて小さな手に止まった鳥達がえさをついばみ始めた。
一心にその様子を見つめる一幡の後ろから、一人の武者が歩み寄ってきた。
潮も何回か見かけたことがある、頼朝の側近だった。
彼は、二人の側に近づくと一幡に向かい軽く礼をして、潮に「御所様のお呼びがかかっておる」と言った。
意外な事もあると潮は思ったが、とにかく行かねばならない。
一幡をなだめて部屋に連れて行ってから、頼朝の部屋へと向かった。
大倉御所はそれほど大きくない。だが、だからといって警備の武者が少ないということもない。
鎌倉、いや関東第一の権力者の回りが手薄なはずなどない。
だが、今はなぜか廊下ですれ違う者がいなかった。しんと静まりかえっている。
ほどなく頼朝の居室に着き、声を掛ける。
「御所さま。潮でございます。お呼びと伺い参りました」
中で身じろぎする気配がした。
からりと戸を開け、潮は部屋へ入った。
頼朝一人だけが部屋の奥に座している。潮は正座して頭を下げたまま彼の言葉を待った。
頼朝の視線を感じるが、何の動きもなくしばし沈黙の刻が流れた。
ふいに頼朝が声を出した。
「鞍馬はどうであった」
潮ははっとした。
質問の持つ意味を考える。
顔を上げ、頼朝を見た。
彼も潮を凝視している。
疑っているのだ、と潮にはわかった。
潮は、遮那と育ったことを誰にも言わずにいた。それは自分にとっては、言いたくないことだっただけだ。
けれど、頼朝にしてみれば素性不明の者を、自分の娘の侍女にするわけにはいくまい。調べられて当然だ。
いままで、それに気づかなかった自分がうかつだった、と潮は思った。
現在、頼朝と遮那の間が上手くいっていないことは知っていた。
それは鳥たちがもたらしたことでもあるし、女達の噂でもあった。
それを聞いた時、どれほど遮那の元へ行きたかったことか。
会いたい、と焦れるほどに願った。
けれど、この身は東の地から動けない。遮那のいる西へ行けばもう二度と遮那に会えなくなる。鎌倉にいれば、いつか会えるかもしれないのだ。その一縷の望みが、潮を鎌倉にとどめていた。
それに一幡のこともある。潮を頼り、信頼してくれる子を無碍にするなど潮にはできない。
潮は言葉を捜しつつ、頼朝に語った。
「・・・確かに私は鞍馬の山の中で、御所さまの御弟、義経様と育ちました。けれど義経様が山を降りられてからはお会いしておりません。・・・・・・私をお疑いならば、いかようにも処断なさってください」
言いながらも、目は頼朝から離さない。
それが肝要なのだとわかる。潮を見つめる頼朝の瞳は厳しい。それでも潮は目をそらさなかった。
頼朝の性情は、嘘を許さない。辿ってきた人生が彼をそうしたのだ。他人の裏表を常に警戒し、めったに信用しない。
潮には頼朝の生きてきた道などわからない。だがヒの力がそうした彼の心の内を捉えていた。
とことん他人を吟味し、試し、信用できる者をより分ける。そういう男だと潮にはわかる。そしてその根底に眠る、彼自身すら気づいていないだろう渇望も。
いや、頼朝自身は違う形で気づいているのかもしれない。絶望的な孤独感として。
「その言葉を信じろと?」
表情を変えずに頼朝が言った。
ああ、と潮は思う。
似てはいない。
そう、頼朝と遮那の姿かたちは似てはいない。
なのに、瞳に宿るものが驚くほど似ているのだ。
深いところで彼らは繋がっていると思う。それが「血」というものなのかもしれない。
頼朝の孤独の色は、遮那の色と同じだ。その激しさすらも同じ。潮は、頼朝の中に遮那を見、彼に魅かれて行く自分をとめようもなかった。