こんにちは、Heleneです虹

昨日は、朝から思い立って、上野でやっていたティツィアーノ展に行ってきました。

結構すいていて、じっくりゆっくり見たのですが。

すんごい生意気な話をすれば。
イタリア在住時、ヨーロッパ中の美術館をかなり回って、日常的にふれる日々を送っていたので。
(多分、著名なのは行ってない美術館の方が少ない)

イタリア自体が町が美術館みたいなものだし。

クオリティがあまりよくないものまでなめるようにみる日本人は、美術品を見慣れてないんだろうなって、回りの人を見ながら思ってしまった。
(好き嫌いを越えて、手のうまい下手、魂の入ってる入ってないがある)

ヨーロッパの美術館、収蔵品数が半端ないから、そんな見方をしたら、一日かかっても出れなくなる。

私の見方が、かなりはっきりしすぎてるのかもしれない。
パッと見た瞬間に、そこを流すか立ち止まるか決めてしまう。
長く立ち止まる作品は、ティツィアーノ展で5つ位だった。

(もったいないが。
イタリアでも最近、ある作品だけを見に美術館にいったりするようになった。
理由は、長時間美術館にいると、情報量で疲れるのと、腰が痛くなるのと、好き嫌いがすごくはっきりしているせいと思う。

一生の間に、どうしても、また、直接目で見たいという作品があって
それが目当てになっていたりする)



日本国内にいて、海外に滅多に行かない人にとっては、接する機会、量、質が少ないから、どうしても、どれも貴重に見えるのだろうし。

展覧会で解説つきで展示されているから、ありがたい感じも倍増はしているだろう。


日本は、何でも『○○道』(書道、華道、柔道、神道みたいに)にしたがる傾向があって。

美術は膝をただして、真剣勝負みたいに向き合って、私たちはそれを理解しなくてはいけない、偉大さをわからなきゃいけない、的な感じにしちゃう

美術館内の音を一切許さない雰囲気は日本独特で、私はあまり好きじゃない。


だから、日本の団体による西洋美術の検定があるって最近聞いて、ビックリしたのよ。

お勉強の世界に入っちゃったら、面白くないじゃん。

ヨーロッパで、観光ガイドの資格とるならわかるんだけど、日本でそれって。
明らかに。

競争原理、今の三次元的人間の生き方の中にガッチリ嵌め込まれた仕組みにのせられたことであり、どこかの組織、天下り役人とかを食わせて行く匂いぷんぷんだわ。

誰かによる評価を求め、誰かとの比較のなかに生きてる価値観の産物と、私は思う。


で。
私のイメージとして、絵画の本来あるべき姿は…

どっかの宮殿(邸宅)のサロンにかかっていて。
自分の好きな人たちと集まって、うまい酒でも片手に、時事や町の著名な人の動きやスキャンダルを面白おかしくおかずにして。
時として哲学や宗教論争したり。
そんななかで、自分のコレクション自慢をするわけさ。

俺の目、いいだろ?
これ、ボッティチェリに特注したんだぜ。
コンセプトはこれこれで。
もう何ヵ月も楽しみに待ってたのさ。

今度、お前んとこのラファエロの絵も見せろよ。


みたいな?

かしこまってみる感じじゃないと私は思っていた。

芸術って、あの時代は限られた階層の限られた人たちのものだったわけで。
教会にあるの以外は、私的で知的美的娯楽であり、権威の象徴でもあり…

庶民化したのは、バロック以降。
みんなが家に飾る絵を欲しがったから、大量生産が始まって、静物画、風景画が増えた。

巨匠が作り、工房の弟子たちが手伝うようなスタイルの大作を注文する大貴族は少なくなって時代は変わる。

そして。
庶民化した結果が、競争だわさ。
(そうそう、フィレンツェで市民のためのアートを作るのはみんなコンペだわね…
誰か目利きが誰かを抱えて作品を作らせるとかではなくなってくるし。
個人が、これがいいからいいというのではなく、みんながいいから、とか、理屈や権威付けが入ってくる時代だね)

そして、画廊で飾られて売られるとか。
コンクールで賞をとったとか。
批評家がどう言ったとか。
そんなのが評価の対象で買う人が出てきたり。

誰か価値がわかる人が絵を直接注文してつくらせるのではなく。

誰か価値がわかるといわれている人が評価した絵を、絵の価値がわかってるのかわかってないのかわからない人が買うという時代のなかに私たちはいる。

絵に限らず、すべてがそれで動いているとも言える。

人を去勢して、誰かの裏付けが得られないと自分の感性、思い、考えを信じられない。
つまり、自分を信じていない、ということに繋がっているのかもね。



それにしても。
検定作るってすごいわ。

ただ、見て、何を感じるか。
私に何をもたらすのか。

そんな見方はダメなのかなぁ。


(とはいえども、イタリア絵画に関しては歴史的背景や絵画的基礎知識、様式や流派的な流れ、象徴的なもの、読みとくベーシックな流れは頭に入ってるし、見ただけで、誰の絵かは大体わかる

唯一私が頭からすっぽり抜けているのは、バロック以降の人←好きじゃないし、興味もわかないし、私的には芸術的な価値はない

バロック以降、芸術が庶民化して、クオリティが落ちた、大衆化して面白味がなくなったと思うのは私だけ?

まあ、そんな人間が言ってもあまり説得力がないか)



一般的な日本人って、文化芸術的な一般教養をあまり学んでないと思うのね。

だから、検定にしちゃうんだろうし、自分の娯楽、とか、単なる素養とは考えない、大事(おおごと)にするんだろう。

学校教育は一般教養を扱わないし。
(イタリアは小学校からローマの遺跡に遠足に行き、美術館に模写しに行く。
日本では、美術館の作品は教科書で学ぶものという遠い存在。
環境が違う)

仕事を始めたら、日本は人を社畜にするし。
業界の人でない限り、アートや歴史や文学や音楽や哲学思想や、一般教養的な話を始めたら煙たがられる。

普通の付き合いだって、なかなか話ができる人はいない。



だけど、私には人生を豊かにするものだから、大切なものなんだけど。
それがない人生なんて、面白くないと思う。

どんなに仕事ができようが、どんなにお金を持とうが、どんなにいい人だろうが、モノトーンな感じで、人としての奥行きが感じられない。

私は、そういう人を好きになることはないだろうと思う。



文化芸術的なものに限らず。
私は体を持っていないとできないことが好きなんだ。


ソウルメイトのワークショップ後に、展覧会にいったり、テレビ見て改めて、思ったけど。

私の恋人は。

●アート(西洋絵画)、音楽(私の射程範囲はかなり広い)、建築(西洋の)、文学(これも射程範囲は広い)、歴史、宗教哲学その他さまざまな一般教養知識、感心がある

●美食家(ほどほどに良い酒をのみ、美味しいものの味がわかり、食べるものに偏りがない)

●旅行が好き

●デカいイケメン(身長180以上)

●遊び心があり、私が甘えられて、エロい男

●時間の感覚が私と同じ人(これ、記事にするかも)

じゃないと、だめだって、思った。
(多分、ヨーロッパ人じゃないと、条件を満たさない気がする

私の過去の男の人、みんな満たしてるのよね…

ネガティブな部分の私の傾向も満たしてるけど(汗)

昔は私も…今よりは…)


私は、自分の経験をその瞬間に誰かと分かち合いたいんだと思う。
全く私と同じことに感心があるってわけでなくてもいいと思う。

ただ、否定とかするのではなく、『ああ、そんな風に感じるんだね』『それが好きなんだね、(それを楽しめて)よかったね』と言って欲しいんだと思う。


最近のワークショップでは。
恋愛のソウルメイトに持っていてほしい資質を考えるのだけれど。

私、自分が付き合うなら同じ仕事関係で私の考えを理解して、一緒に働いたり、支えることができる人がいいって、最初に思っていた。

でも。
じっくり考えると、それって必要ないし、むしろ、そうでない方がいいのかもって。

私とは違うことをやって、違う視点を持っていてもいいし。
私が悩んでいるときに、引きずられない人がいい。
変に解決しようと入ってくるのではなく、ただ、包み込んでくれる安心感があればいい。

ただ、私を受け入れてくれる、私がすることを認めてくれるだけでいいんだと思う。

私が信じることを、なにかわからなくても尊重してほしいということ。

お互いに自立して、メンタルで結び付いて支えあえるのが一番いいのかなって。

それは、最近、アメリカの『ミディアム』を見ていて。
アリソンの旦那さんがいいなぁ、と思ったから。





何て考えてたら。
ソウルメイトが見つかる気がしないわ…

年と共に諦めの気持ちが生まれてくるのですが、これがまた、よくないのですね。

◆年を取ると恋愛なんて面倒、恥ずかしい
◆年を取ったら落ち着かないといけない
◆年を取ったので、私は魅力的ではない(外見で人を選び、選ばれるという信念)
◆こんなおばさんな私に惚れる男なんていない

◆私が思うようないい男なんていない
◆私が思うようないい男は私なんかに惚れない←なんか!というのも、ダメな言葉だな。

的な信念のオンパレードですわ。
これは自分を制限するから、よくない。

四つ葉のクローバーに【希望】があるのは、そういうことへの戒めだろう。




で。
以前、あるかたに、フローラ(ポスターの女性ね)が、私の過去生の姿とにているのではないかと言われたのですが。

ティツィアーノ展では、ダナエの方が、似てる、と、アンちゃん談。

イタリア中世の頃のはなし。
(1400年代前半と思う)


しかし、ダナエを検索していてにたようなテーマの絵が出てきて。


the Shower of Gold - Léon-François Comerre

こっちはローマ時代の方に似てるらしい…
(アンちゃんがラブラブって、感じになっている)


私のガイドの一人、ミューズの名前は、レオン。
ミューズはアート面、私の創造性、娯楽、悦び、楽しみを司る。

偶然、出てきたローマ時代の私ににてるらしい絵を描いた作者はレオンさん。

なんか偶然なのかシンクロか。



うーん。
真面目に、アンちゃんはこんな風に今も見えてるんだろうと思う。

というか。
魂を見ているというから、私が想像するに。

彼は私の肉体的造形は一切見ないで、別のものを見ていると思うんだけど。
魂の光?


私の内面や私の魂そのものはこれくらい美しいのだ、と、思うことにする。

根拠があろうがなかろうが。
私は偉大で愛に溢れた光の存在なのである(マイケル・ローズさんの言葉の受け売り)。

私のセルフのイメージを高く見よう。


私の中には。
【美】【恋愛】【自己評価】に対する信念が相変わらずあるというのを痛感した一日でありました。


皆様は、どんなセルフイメージを自分に設定しますか?
AD