オルセーって人の名前です。 | Paris暮らし
オルセーの翻訳のお仕事をさせていただいたことがある関係で、
美術館の歴史にものすごく詳しい私。

どうしてオルセーという名前がついたのかというと。

→最初セーヌ川岸に木材を運ぶためのボートの船着き場があって、その場所をグルヌイエール(グルヌイユは蛙。水をばしょばしゃさせる場所。という意味らしい。)と呼んでいて、川に木材を浮かせたり、この場所に積んでおいたりしたらしい。その後、オルセーさんという人がその時代の商人に選ばれたパリ市長みたいな立場にいた時に、この岸と土地に自分のと名をつけて、100年くらいかけて工事したから、この場所をオルセーと呼ぶようになった。というのが、名前の由来。

ここには立派な宮殿(国庫を管理する政府機関等が入っていた。)があったけど、パリ・コミューンの戦争中に放火で全焼。

その後、空き地のまま放置されて、雑草が生い茂る。

駅建設計画がもちあがり、コンペに勝ち抜いたデザインで建設される。
パリ博覧会の時代に流行した
鉄を多様した近代建築をとりいれたけれど、
パリの景観にそぐわないという意見が多く、
外観だけ石造りに見せかけるように、石で覆った。
中は、鉄がたくさん使用されている。
パリの中心駅として大活躍。

戦争中は、捕虜の人のための荷物を送ったり、
戦争終了の時には、捕虜がパリに戻って来るためのセンターとなったり。
時代と共に多くの出来事の舞台となる。
セーヌの大洪水の時には、浸水して駅の中で釣りができた。

その後時代の波についていけず、(ホームが短かったり新しい電車のシステムに合わない作りだった。)廃駅が決まり、そんまま何十年も放置される。

大きな空っぽの空間が残されたので、一時期、映画の撮影スタジオとして使用されたり、
競売会社が使用していた。

取り壊し計画が進む。
結局、取り壊さずに、美術館に改修が決定。
駅の時のデザインをできるだけ生かして、
美術館として生まれ変わった。

駅に併設されていた豪華ホテルは、
一部そのまま保存され、ホテルのレストランが、
今でもレストランとして使用されている。


ね、こんなの暗記している人、あんまりいないでしょ・・・。
まあ、あんまり役に立つ知識でもないんだけど。(笑)

にほんブログ村 海外生活ブログ フランス情報へ
ブログランキングに参加しています。
今日もご訪問、応援クリックありがとうございます。

この壁と天井の丸い花飾りには、空気穴がある。という記述を訳したことがあるせいで、
絵画そっちのけで、必死にその空気穴を探してしまうのは、私くらいだろう。(笑)
paris暮らし

この石造りに見える建物、実は、はりぼてというか、
石の壁だけ作って、建物を覆っているだけなのだそう。
paris暮らし

これが、豪華ホテルの名残。
paris暮らし