こんばんは。まみです
以前、少し書いたこともありますが、
最近読者になってくださった方も多いので、
改めて私のことを書いてみたいと思います。
1979年生まれの年女。
結婚するまで神戸の実家で暮らしていました。
神戸大好き
母が一匹狼気質でママ友らしい友人がいなかったことと、
一人っ子だったことで、
幼稚園に入るまで、同年代の友達と遊んだことはなかったと思います。
当時大好きだった遊びは塗り絵。
描かれている枠の中を、綺麗に塗りつぶしていくのが好きでした。
当時大好きだった遊びは塗り絵。
描かれている枠の中を、綺麗に塗りつぶしていくのが好きでした。
親戚にも同年代の子供がいなかったので、
いつも大人の中に子供が一人。
母に聞いたところ、おとなしくて扱いやすい子供だったそうです。
引っ込み思案で、恥ずかしがり屋。
きっと、この頃から空気を読んでいたというか、
ずっと周りの大人の顔色を伺っていたんだと思います。
常に求められている答えを探ってた。
だから、自分の思っていること、感じたことを、
素直に口に出すことができないような子供でした。
たとえば服を買いに行った時、
母が選んだ服が自分の好みじゃなくても、
それを言えずにいました。
ちなみに、母は美大を卒業後、
有名な洋裁学校を出て、結婚するまでデザイナーとして働いていました。
だから、服の趣味が少し変わっているわけです
ベタな服は好まない。
でも、私はみんなが着ているような、
いわゆる<流行っている>服が着たかった。
小学校の卒業式の時、
私は丸襟ワンピースにお揃いのジャケットというような、
ザ・卒業式という服が着たかったのですが、即却下。
母が選んだのは、
紺のブレザーに赤のタータンチェックのミニスカートでした。
さらに、靴はローファーが良かったのですが、
それじゃ面白くないから、革のスニーカーで外したら?と言われ、
自分としてはイマイチな服装で卒業式に出席したことを、今でも覚えています
今思えば確かにオシャレかもしれませんが
当時は革のスニーカーのオシャレさが理解できませんでした
ていうか、外すってどういうこと?みたいな。。
私のファッションセンスは、
この頃から母に鍛えられていたのかもしれません。。