天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)~広島県福山市神辺町川北 | 大根役者

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神辺の街並みを歩くにはこの神社から始めなければならない。国道313号線を岡山方面からから西へ進み、神辺に入ると左側に鳥居が見えてくる。天別豊姫神社(あまわけとよひめじんじゃ)だ。



国道を渡り、参道に戻り、再び、神社に向かう。






天別豊姫神社は式内社であり、近代社格制度では縣社である。創立年代は不明だが、上古、現在の福山市の神辺町・駅家町・新市町辺りまでは入江となっており、穴の海と呼ばれていた。伝承によると、現在の鎮座地である吉野山の東麓、網付谷というところの荒磯岩上に斎祀されていた。漁民が豊漁を願って海神である豊玉姫命を祭ったのではないかといわれている。

崇神天皇の御宇、神戸(かんべ)が定められた時、この地を神戸として、本社の神地とされた。建武二年(1335)浅山備前守が備後守護職となり、青葉山に城を築き、網付に祀られていた当社を現在地に遷し、鎮護の神とし、神田十五町を寄進した。その後、城は水野勝成により、福山に移されたが、歴代藩主の崇敬を集めた。社名は後世、神辺大明神、甘濃厳(かんのび)大明神と呼ばれたが、明治二年に古称に戻された。神辺の地名は当社に由来するのだ。

縣社であったため、顕彰碑、慰霊碑、記念碑の数が多い。







神社誌によると、摂末社は稲荷神社だけとなっているが、天王神社、稲荷神、皇神社、弁財天、天神社他多くの境内社が祀られている。













長い階段を上り、拝殿、本殿へ向かう。途中、旧参道の案内板があった。急な階段を避ける迂回路だ。










境内地の広い神社だ。福山に移る前、備後の政はここで行われた。天別豊姫神社から市街を見下ろしながら、この地の重要性を改めて意識した。