西国街道 神辺宿~広島県福山市神辺町 | 大根役者

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日常と街道の旅を続けています。ガスリーのHobo's LullabyとアズナブールのLe cabotin(大根役者)を友に

備後、備中、備前の西国街道は所用で訪れた時に歩くことにしている。2月に高屋宿を歩いた。今回は高屋宿から西へ向かう次の宿場神辺宿を歩いた。途中の街道を歩いていないのだが、神辺宿の東側から歩いてみた。

神辺宿は高屋宿と今津宿の間の宿として栄えた。神辺は江戸時代初期に福山城ができるまでは城下町だった。天正12年(1584)から神辺城は毛利氏の支配するところとなり、同19年(1591)頃に毛利輝元は元就の子元康を神辺城主として入城させた。毛利氏移封の後は福島正則の家老福島正澄が3万石の領主として神辺に入った。元和5年(1619)水野勝成が備後10万石の領主として入国すると城下町は神辺から福山へと移った。神辺宿は江戸時代の初めは福山藩領であったが、元禄11年(1698)幕府領になり、同13年から再び福山藩領になったまま明治を向えた。

神辺宿に他の宿場と違う趣があるのは城下町の歴史が背景にある。

神辺宿の東の菅 茶山旧宅から歩いた。







茶山は儒学者として、学問で故郷神辺に貢献しようとして、私塾を開いた。後に、福山藩の庇護を受け、廉塾として福山藩の公的学問書になった。ここに頼山陽が学んだのだ。

街道を西に進む。

1910年創業の天寶一 だ。辛口でうまい酒だ。

慶応元年創業の140年以上続く谷口製菓だ。茶山饅頭はうまい。


街並みを歩く。荒神社、胡神社が祀られている。町を意識できる神社だ。











神辺本陣だ。往時の面影をとどめている黒塀がいい。。




街道を西に歩いた。旧街道の面影を残す町を歩くのは楽しい。ただ、商店街としては滅びゆく哀れさを感じる。神辺宿は観光資源として、一級品だ。もっと、アピールして、観光客を迎えたい。







井原鉄道神辺駅まで歩いた。井原鉄道とコラボして、西国街道の旅プランを作れないかな。