ネパール日記 ~ ネパールのカーストについて ~ | まじょねこ日記

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魔女


bus 08829
バスの車内


ゴルカから幹線道路に戻り、バスを乗り換えてドゥンブレへ

この間2時間弱

ドゥンブレのバザールに降り立って

まずはチャー(お茶)を飲んで一息つく


そこからガンダルバ族の村を目指して約1時間弱を歩く


ここで、申し訳ないのですが

ガンダルバ族で思い立ってしまいました

この続きの日記を後日にさせていただき

本日はネパールのカーストについて述べておきたい


以前にも書いたが、名を名乗ればカーストが分かる

それは、それぞれの苗字が職業カーストを表しているからだ

そして、その様々な職業によって身分は分けられる

それをこと細かに書いてゆくと膨大な事になるからここでは省かせていただくが・・


バウン(ヒンズー属 最上僧侶階級)、チェトリ(ヒンズー属 戦士、支配者)族は最高カーストで

この国の政治家、役人、警察、軍人など、国を司る者はバウン、チェトリの人間で占められる


反面、ダリット呼ばれる浄カーストに属せない人々も多くある

これはインドから入ってきたもので、不浄カースト、不可触民とされ、もっとも酷い差別を受ける

いかなる人間もダリットである以上、悟りは開けないとされる



またこの国にはヒンズーではなく、仏教徒も多い

しかし彼らもまたこのカースト制度に組み込まれてしまっているのだ


例えばガンダルバ族について

マンガール、マノツはガンダルバ族である

ネパールでは最下位カーストに属する

元来、家々の軒先で音楽を奏で、木戸銭を貰うという貧しい生活を送って来た民族だ


音楽家、といえば諸外国では芸術家というイメージがあるが、この国でガンダルバ族は最も低いカーストのひとつとして捉えられている

ネパール政府はこうした身分制度を対面上廃止と謳っている

しかし長い歴史の中を定着し続けてきた制度を

人々はそう簡単に手放はしない

特にその最高カーストに乗じてこの国で富を得続けてきたバウン、チェトリ族ともなると・・


その証明を私はこの国で何度も経験してきた


正直、確かにある程度高いカーストを持ち、学歴のある人々と付き合うのは楽だ


それに引き換え、低カーストの人々とはよくモメる

中には人としてのプライドを持ち、正直に生きる友人もいるが

私と喧嘩をし、決裂した人間も多い

そして逆に、それを乗り越えて今日まで来ている友人たちもいる


ある友人が、旅の途中でのどが渇いてしまい

近くの家の主に水を飲ませて欲しいと頼んだ

するとその家の主は、カーストの低い彼に対して、かがんで口を開くように言い、高い所から水を落として飲ませた

彼はそれでもまだ水を貰えるカーストには属していた



水さえも与えてもらえないカーストもあるのだ


「この国に生きていると、悲しい事がいっぱいありますよ」

彼はそう語った



ある日、私は友人と一緒に街を歩いていた

丁度その時向こうからやって来たバウン族(高カースト)の知り合いが

私たちを見るなり、私の手を取って道端に寄せ



「何故あのようなカーストの人間と一緒に歩くのか」



と、眉間に皺を寄せて詰め寄られた事がある


またある時は、やはり高カーストの友人の妻といた時に低カーストの友人にばったり会った

そこで少しばかり話をしていると

彼女は私の腕を掴んで


「早く、早く行きましょう!」


と、険しい顔をして、一時もその場に居たくない様子を顕著に現したのだった


そんな時

「私はヒンズー教徒ではないので自分の友人は自分で決める。 賢明な考えを持ち、正直に生きる人間ならば、私はカーストを選ばない」

と、しっかり告げる

それで私と付き合わないと言うのならそれでかまわない

幸い今の所それを言い出す人間はいないが



ただひとつ面白いと思うのは・・

私は外国人であり、カーストを持たない

だのに高カーストの人間は私に低カーストの人間と付き合うなと言う

低カーストの友人は手間の掛かる私をバカだと言って世話をやいてくれる

彼らはそれぞれ、この私をどのような位置づけで認識しているのか、と考える時


以前、私はカースト制度がまったく理解出来なくて

それに付いて詳しく知ろうとした事があった

しかし知れば知るほど余計に心情的に理解し難く

それを止めた

神と呼ばれるものは人が作ったものだと悟った

そして人を差別するものは、如何に神の名を語ろうとも人間なのだ

私は常に私の信じた人間を信じる



私のネパールのママとダッドはシュレスタ(高カースト)

他にもバジャチャリア(高仏教カースト)、サキヤ(高僧カースト)、ダンゴール(農民カースト)、チトラカル(絵描きカースト)、ガンダルバ(民俗音楽カースト)、 ダリット(屠蓄人、掃除人)など、ここで言うなら上から下まで何段階もの友人がいる

それぞれが違う文化や習慣、考え方を持っており

文化的には興味深いものがある


そして彼らは・・

これ以上変わりようもなく、どーしようもなく救い難い私を

それでも毎回、各々が暖かく迎え入れてくれている



それぞれの職業で差別される非人道的なカースト制度



ならばこの国がバウン、チェトリといった政府関係者ばかりだとしたら

いったい誰が家を建て、生きる糧の農作をやり、道を作り、道具を作り、遠くからものを運ぶのか

ダリットが屠蓄を行いその皮をなめすから人々は肉が食せ、その皮が役立つのではないか

ダリットが掃除をするから人々は少しでも快適に暮らせるのではないか


人は誰もがこの世に必要な仕事を請け負って生活をしている

人間は己に与えられた仕事に誇りを持ってあたるべきであり

自己の仕事に誇りを持たせない制度など悪制以外の何ものでもない



親友ラクスマンは言う


腐りきった政府

金の事しか考えていない役人

古い慣習にとらわれ続ける人々

軽薄になり、その日その日を楽しむだけの若者たち

生産性のない差別社会


それでも私はこの国に生まれた者としてこの国で生きる


私の店の従業員には、カーストは何の意味も持たない

賢明な考えを持ち、正直に生きるものならどんな身分の人間でも雇う

事実、ここには様々なカーストの人間が平等に働いている


このような考えの人間が増えてくれれば・・

この国の人々は、もっと夢が持てるのだろう


バウン、チェトリの人間が牛耳っている腐れ政府より

こういった人間の方が余程社会を変える力を持っているのだ