ゆる農記『3』 拝啓、梅原真様 2023年11月号 | 迷子の大人たち 3

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~ニワトリノニワ 非公認ブログ~ 
テキトー経営者のエー加減農業日記(昔は) 最近 っぽくなくなってきた。意外とマヂメ?更生した?

経営者は孤独である。

 

とはよく言われる言葉である。なぜなのか、は様々理由があるだろうけど私は主に従業員とは視点が180度異なるからだと思っている。

 

日本には経営者が275万いる。対してサラリーマンの数は5660万人である。つまり5%が経営者。1/20しか気持ちを分かってもらえない。

 

小さな飲み屋ならそこに居る客の誰一人経営者の気持ちなんて分からない、ってことがほとんどな訳である。社長のバカ野郎~♪とそこで盛り上がる可能性は大いにあるが従業員の悪口を言ったら袋叩きにされるわけである。

 

そんなの孤独じゃないか。うちみたいにちっぽけな零細企業でも経営者はそれなりに悩んでいるという話である。ちょうど勤労感謝の日だし。前回の補完のような内容になってますけど。

 

ま、いつものヤツどーぞ。11/10に書いたものです。

 

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梅原デザイン事務所  梅原 真 様 

 

 いつも有り難うございます。

 

今年の秋は山に食べ物が少ないせいか市街地にクマが多数出没している、というニュースが連日流れている。いやはや、まったく腹ペコな熊には本当にクマったものである。

・・・。

アレはもう10年以上も前。私はブログで柔道の心得のある農家のジイサンがクマに遭遇し、突進してきたクマを巴投げで谷底にぶん投げたというスーパーGさんの新聞記事を紹介したことがあった。駆除なんて人間主体の物騒な世の中はゴメンである。これからはクマに遭遇する可能性のある地域は柔道5段以上のスキルを獲得していないと住めないということにしてはどうだろうか。

さて。困ったと言えば私が長年困っていることがある。それは仕事をサボること。私ではない。従業員さんのこと。特に鶏の飼育係。初めは真面目な従業員、でもそれはたった1年半だけのこと。私はこれを1年半のカベと呼んでいるのだが。ちょっと賢いヤツほど慣れてくると仕事中にスマホを見たり勝手に休憩したり、中には農場内禁煙と雇用前に伝えてあるにも関わらず隠れてタバコを吸う者も。雇い初めはみんな真面目なのに。

ニワトリノニワは全員午前中だけの4時間-4時間半勤務。それは副業を推奨しているからです。通常の8時間勤務は集中するのに長すぎると私はサラリーマン時代から常々考えていたのです。従って午前中はニワトリノニワで、午後からはできれば自営業などで労働環境を変えれば一日を集中して有意義に働けるだろうと。

たったの4時間半。けれど漏れなく1年半。それは私の目の届かない作業があるからです。つまりサボる自由度がある。何故半日だけなのに己をコントロールし、集中できないのか、サボるのか?

経営者の力量が足りない説。これは経営者としてまず考えるべきであり私も経営に関する本など幾多と読み、褒める・目標管理をする・責任を与える、など様々に試みてみたがやはり1年半のカベは越えることができない。

会社の待遇に魅力がない説。ニワトリノニワでは現在全員パートだがコロナ前の3-4年位前から時給は1000円。高知県の最低時給が650円だった13年前は850円。そこから最低時給はバカみたいに上がって行き現在の897円に対して1000円。少なくとも給与に関しては魅力がない訳ではないと思われるのだが。

経営者に魅力がない説。ニワトリノニワでは毎回新人が入ると、例の2012年に放送されたNHKのプロフェッショナル「デザイナー梅原真」のDVDを教育ビデオとして見せることにしております。また必ずHPの私のプロフィールを読ませてこの会社が何を目指しているか、お金儲けだけではないことを理解してもらっている。それもでやはり1年半のカベは越えられない。

そもそも半日勤務に応募してくるヤツが不真面目である説。確かに副業を推奨して半日勤務としているものの、応募者のほとんどがそれ以外何もしていない。一日の半分の仕事で満足し老いた親に寄生しているいわばパラサイトシングルの実家暮らし。真面目そうな者を半日勤務の正社員として優遇したこともあったが彼らもやはり1年半のカベを前に沈んで行った。

どの説が有力かは未だ不明なままである。手を抜いても給料は変わらないと思うからだろうか。では、人は何故働くのか?

内閣府の世論調査によると「お金を得るため」と答えた者の割合が51.0%。他は「社会の一員として務めを果たすため」が14.7%、「自分の才能や能力を発揮するため」が8.8%、「生きがいをみつけるため」が21.3%。

本当だろうか?

半分の社会人がお金以外のために働いているなんて私は信じない。どんなに手を尽くしてもたったの1年半で、それも半日の仕事すらサボり始めるというのに。生きがいを見つけるため、責務のため、能力を発揮するため、に働く。つまり己のために本当に働いているなら何故サボるのか、矛盾しているではないか。

労働時間は自分の人生の一部、というか大半であるのに給料が下がらないという理由だけでどうしてサボることができるのか?自分の人生を無駄に過ごしているのに気づかないのか。何故一歩ずつ山を登って死ぬまでにどこまで登れるのか、という向上心を持つことができないのか。

私は社会人になりたての頃。自分は何故給料がもらえているのか?と疑問に感じた時経営者として物事を考える視点を得た。経営者として考えればお金のルートが見えたからである。そして経営者として考えれば仕事の優先順位も明確に見えるし上司の言うことの無駄ばかりでなく正当性も明らかに理解できる。

いや、そもそも己の寝ている時間以外のほとんどを過ごす仕事の時間を無駄にするのは、自分でお金を払って受講したセミナーに出席し居眠りをしているがごとく虚しいことではないか。学生ならまだしも社会人のすることなのか。そんなに仕事がツマランのならすぐに転職したらいいのに。

人は何故サボるのか?

北大の生態学者長谷川英祐氏は、アリの集団の中で働かないアリが2割くらい存在することを発見した。彼らはブラブラとサボって横道にそれている内にエサまでの最短ルートを発見したり新規なエサを発見したりするのに役立っているそうだ。このことから働かないアリに意義がある、と述べているのだが私は異議を唱えたい。

たった1人で担当している鶏の飼育の仕事をサボるのである。彼曰く「シンドイからサボる」のだそうだ。鶏の飼育がシンドイかどうかは個人の考え方によるだろう。

ならば清潔で輝かしい都会で、満員電車に一時間も揺られ小奇麗で冷房の効いたオフィスに通い、仕事の見える化などと言って毎日の仕事や成果を抜け目なく管理されているのはシンドくはないのだろうか。鶏の仕事をサボる彼はきっと一時間も耐えられないに違いない。

人は何故サボるのか?

私は思う。社会人のほとんどが夢や目標を自分で見出す力に欠けているからである、と。だから自分の人生ではなく、他人事をやらされているからサボって楽をしたいのだ。まさに一生が強制労働者のようである。

人生の夢や目標を見つけ、その過程としての仕事を見つけ、仕事の目標を立て、毎日が自分の人生の過程であると認識しながら生きることができれば。

その夢や目標は即ち好奇心から繋がって行くものである。好奇心さえあればその延長上に働く目標を立てられるし、好奇心=「面白い」の延長が仕事なら誰だってサボらないだろう。好奇心があれば人は自分の人生に夢や目標をもって有意義に過ごすことができるのではないか。

その好奇心を育てるのは教育の役割だろう。大人になってからではもはや遅い。「面白い!」は自発的な心の動きであって大人になってから誰かに教わるものではないのである。

そんなアダルトチャイルドな彼らの面倒を見るのはもう疲れてしまったから私は今後できれば一人で働くことにしようと思っている。

 

 

 

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