とんと映画を観てないけれど その3 | 映画、その支配の虚しい栄光

映画、その支配の虚しい栄光

または、われわれはなぜ映画館にいるのか。

または、雨降りだからミステリーでも読もうかな、と。

または、人にはそれぞれ言い分があるのです…。

「白いリボン」
かなり前に観たので、もはや忘却の彼方ではあるが、つまらなかったことは鮮明に覚えている。
例えば、子供が夜に寝られなくて自分の部屋から出てうろうろし始める。ある部屋から物音が聞こえるので…、というシーン。ようするに彼は姉と父のいたずら現場を目撃するわけだが、そんなもんはこのシーンが始まって直後に90%の観客はわかる。ああよからぬことをこの子供は目撃するんだな、それは多分父に関係することで云々、というわけなのだが、そんなわかりきったことをこの映画はえんえんえんえん綴る。

ようするにハネケはアメリカ映画、例えば「悪を呼ぶ少年」や「死霊の町」や「ハウリングIV 」なんかが1ショットでやっちゃうことを、さも大変な議題であると考えているわけで、いや、私らが観たいのは、その先なんだけどなぁと。つまり、谷崎が漱石の「明暗」を評し「貧乏人にはする暇もない争闘であって、知識階級の遊戯以上には出て居ない」と、これまた大袈裟に引用してみたがどうか。

「恋とニュースの作り方」
いくらなんでもヒロインが阿呆で、いや、阿呆なら阿呆でいいんだが、妙なジャーナリズム論みたいなのを説教こくので、こりゃうざい。可愛いとはいえ。その阿呆に応じて、演出も狂騒的、明らかに過剰で、これまた鬱陶しい。例えば、ハリソン・フォードの家で一夜を過ごすシーンなど、叙情的な演出は悪くないのだから、もちょっと落ち着いてくれないか。女優と一緒にはしゃいでどうする。