2012-02-18 00:00:00
ペントハウス
テーマ:映画 ハ行
「ショーン・コネリーがやれば活劇になり、ボッブ・ホープがやれば喜劇になる」と小林信彦は言うのだし、宍戸錠は「(そのギャグは)少しいじれば活劇に使える」と小林信彦に語ったのだし、「北北西に進路をとれ」を観ていた外人男性が終始ゲラゲラ笑い通しだったのを私は目撃したし、「タイタニック」で大勢の乗客が海に浮かんでいるショットで中国人はなぜか爆笑だったと村上春樹は語っている。
ラストのエピソードはどうでもいいとして、つまり、アクションはギャグである。どういうわけか日常ではありえぬ状況に陥り、必死こいてそれに対処する姿はサスペンスにもなり、アクションにもなり、ギャグにもなる。
バスター・キートン氏が伝えたそのテーゼを、私はジャッキー・チェンの「プロジェクトA」で改めて思い知らされる。思えば「プロジェクトA」はエポックメイキングだったのだ。
彼はアクションの素晴らしさ、ではなく、スラップスティックの面白さ、その現在形を体を張って教えてくれたのだった。
そして今一人の偉人の名、ドナルド・E・ウエストレイクが別名で書く悪党パーカーものはノワールであり、ドートマンダーものはスラップスティックである。あるいは「悪党パーカー/誘拐」をドートマンダーが演じればスラップスティックになる。
聡明なトム・クルーズがこのテーゼをわかっていないはずもなく、だから彼は「ナイト&デイ」で自身のヒーロー像をパロディ化したわけだが、いかんせん、自身を笑い飛ばすことはできず、笑われるのは不幸なキャメロン・ディアズであったし、「ミッション・インポッシブル」シリーズは真剣まじヒーローだ。わかっちゃいるけどやめられない、可哀想なヒーロー、トム。痛々しいヒーロー、トム。
だからというわけではないが、この映画は「ミッション・インポッシブル4」を実に軽く超えて面白い。お話はいい加減、行き当たりばったり、それは「MI:4」も同様なのだが、なんとなくまるで許せる。もちろん、どたばた泥棒コメディだからストーリーもいい加減であっていいはずはない、のかもしれない。例えばドートマンダー・シリーズの最高傑作の一つ「最高の悪運」はスラップスティックでありながら、「本格的なケイパーもの」(@木村仁良)でもあった。つまり、犯罪計画が緻密であった。
しかし、緻密な犯罪計画など「映画」は求めてはいないのだ。フレッド・ジンネマンの「ジャッカルの日」を今観て驚くのは、かのジャッカルの暗殺計画の杜撰さであって、彼はパリで一夜の宿を得るために自分のアースホールを見知らぬ男性に貸してしまうのだ。また「サブウェイパニック」で地下鉄を暴走させるためにロバート・ショー一味が企てるトリックは何度観てもわからぬ、というか映画はそれにほおかむりをしても一向に揺るがぬ強さを持っている。
シリアスな犯罪ものがその体たらくなのだから、どたばた泥棒コメディに緻密さなど必要はない。ようするにその場その場の絵が面白きゃ、観客はなんとなく納得してしまうのだし、それを言っちゃ野暮ってもんでしょ、と軽くいなされるだけだし、また、緻密な計画は「映画」を停滞させる。それでいいのだ映画は、との開き直りが潔く嬉しく楽しい。
窓ふきのゴンドラにどんとスポーツカーが乗る、エレベーターパイプの中を行ったり来たりする。そのような「珍景」を映画は歓迎する。その絵があればよし。なんで出演してるかわからないエディー・マーフィー御大もその爆発的なしゃべくりが全てを許す。
さらに、テーマ曲が素晴らしい。前述した「サブウェイパニック」のパクリみたいな低音バスドラに燃え、労働者対金融ホワイトカラーってのもキャッチーだし、FBI捜査官ティア・レオーニのハスキーな酔っぱらいぶりもいい。
というわけで、命の洗濯をした。これはドートマンダーものの見事な換骨奪胎、あるいは名前と設定を変えたドートマンダーものの忠実な映画化だ。快作。
ラストのエピソードはどうでもいいとして、つまり、アクションはギャグである。どういうわけか日常ではありえぬ状況に陥り、必死こいてそれに対処する姿はサスペンスにもなり、アクションにもなり、ギャグにもなる。
バスター・キートン氏が伝えたそのテーゼを、私はジャッキー・チェンの「プロジェクトA」で改めて思い知らされる。思えば「プロジェクトA」はエポックメイキングだったのだ。
彼はアクションの素晴らしさ、ではなく、スラップスティックの面白さ、その現在形を体を張って教えてくれたのだった。
そして今一人の偉人の名、ドナルド・E・ウエストレイクが別名で書く悪党パーカーものはノワールであり、ドートマンダーものはスラップスティックである。あるいは「悪党パーカー/誘拐」をドートマンダーが演じればスラップスティックになる。
聡明なトム・クルーズがこのテーゼをわかっていないはずもなく、だから彼は「ナイト&デイ」で自身のヒーロー像をパロディ化したわけだが、いかんせん、自身を笑い飛ばすことはできず、笑われるのは不幸なキャメロン・ディアズであったし、「ミッション・インポッシブル」シリーズは真剣まじヒーローだ。わかっちゃいるけどやめられない、可哀想なヒーロー、トム。痛々しいヒーロー、トム。
だからというわけではないが、この映画は「ミッション・インポッシブル4」を実に軽く超えて面白い。お話はいい加減、行き当たりばったり、それは「MI:4」も同様なのだが、なんとなくまるで許せる。もちろん、どたばた泥棒コメディだからストーリーもいい加減であっていいはずはない、のかもしれない。例えばドートマンダー・シリーズの最高傑作の一つ「最高の悪運」はスラップスティックでありながら、「本格的なケイパーもの」(@木村仁良)でもあった。つまり、犯罪計画が緻密であった。
しかし、緻密な犯罪計画など「映画」は求めてはいないのだ。フレッド・ジンネマンの「ジャッカルの日」を今観て驚くのは、かのジャッカルの暗殺計画の杜撰さであって、彼はパリで一夜の宿を得るために自分のアースホールを見知らぬ男性に貸してしまうのだ。また「サブウェイパニック」で地下鉄を暴走させるためにロバート・ショー一味が企てるトリックは何度観てもわからぬ、というか映画はそれにほおかむりをしても一向に揺るがぬ強さを持っている。
シリアスな犯罪ものがその体たらくなのだから、どたばた泥棒コメディに緻密さなど必要はない。ようするにその場その場の絵が面白きゃ、観客はなんとなく納得してしまうのだし、それを言っちゃ野暮ってもんでしょ、と軽くいなされるだけだし、また、緻密な計画は「映画」を停滞させる。それでいいのだ映画は、との開き直りが潔く嬉しく楽しい。
窓ふきのゴンドラにどんとスポーツカーが乗る、エレベーターパイプの中を行ったり来たりする。そのような「珍景」を映画は歓迎する。その絵があればよし。なんで出演してるかわからないエディー・マーフィー御大もその爆発的なしゃべくりが全てを許す。
さらに、テーマ曲が素晴らしい。前述した「サブウェイパニック」のパクリみたいな低音バスドラに燃え、労働者対金融ホワイトカラーってのもキャッチーだし、FBI捜査官ティア・レオーニのハスキーな酔っぱらいぶりもいい。
というわけで、命の洗濯をした。これはドートマンダーものの見事な換骨奪胎、あるいは名前と設定を変えたドートマンダーものの忠実な映画化だ。快作。






