Anniversary 30th since1977

アフガニスタン、バナナスタンド
























1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012-02-18 00:00:00

ペントハウス

テーマ:映画 ハ行
「ショーン・コネリーがやれば活劇になり、ボッブ・ホープがやれば喜劇になる」と小林信彦は言うのだし、宍戸錠は「(そのギャグは)少しいじれば活劇に使える」と小林信彦に語ったのだし、「北北西に進路をとれ」を観ていた外人男性が終始ゲラゲラ笑い通しだったのを私は目撃したし、「タイタニック」で大勢の乗客が海に浮かんでいるショットで中国人はなぜか爆笑だったと村上春樹は語っている。

ラストのエピソードはどうでもいいとして、つまり、アクションはギャグである。どういうわけか日常ではありえぬ状況に陥り、必死こいてそれに対処する姿はサスペンスにもなり、アクションにもなり、ギャグにもなる。

バスター・キートン氏が伝えたそのテーゼを、私はジャッキー・チェンの「プロジェクトA」で改めて思い知らされる。思えば「プロジェクトA」はエポックメイキングだったのだ。
彼はアクションの素晴らしさ、ではなく、スラップスティックの面白さ、その現在形を体を張って教えてくれたのだった。

そして今一人の偉人の名、ドナルド・E・ウエストレイクが別名で書く悪党パーカーものはノワールであり、ドートマンダーものはスラップスティックである。あるいは「悪党パーカー/誘拐」をドートマンダーが演じればスラップスティックになる。

聡明なトム・クルーズがこのテーゼをわかっていないはずもなく、だから彼は「ナイト&デイ」で自身のヒーロー像をパロディ化したわけだが、いかんせん、自身を笑い飛ばすことはできず、笑われるのは不幸なキャメロン・ディアズであったし、「ミッション・インポッシブル」シリーズは真剣まじヒーローだ。わかっちゃいるけどやめられない、可哀想なヒーロー、トム。痛々しいヒーロー、トム。

だからというわけではないが、この映画は「ミッション・インポッシブル4」を実に軽く超えて面白い。お話はいい加減、行き当たりばったり、それは「MI:4」も同様なのだが、なんとなくまるで許せる。もちろん、どたばた泥棒コメディだからストーリーもいい加減であっていいはずはない、のかもしれない。例えばドートマンダー・シリーズの最高傑作の一つ「最高の悪運」はスラップスティックでありながら、「本格的なケイパーもの」(@木村仁良)でもあった。つまり、犯罪計画が緻密であった。

しかし、緻密な犯罪計画など「映画」は求めてはいないのだ。フレッド・ジンネマンの「ジャッカルの日」を今観て驚くのは、かのジャッカルの暗殺計画の杜撰さであって、彼はパリで一夜の宿を得るために自分のアースホールを見知らぬ男性に貸してしまうのだ。また「サブウェイパニック」で地下鉄を暴走させるためにロバート・ショー一味が企てるトリックは何度観てもわからぬ、というか映画はそれにほおかむりをしても一向に揺るがぬ強さを持っている。

シリアスな犯罪ものがその体たらくなのだから、どたばた泥棒コメディに緻密さなど必要はない。ようするにその場その場の絵が面白きゃ、観客はなんとなく納得してしまうのだし、それを言っちゃ野暮ってもんでしょ、と軽くいなされるだけだし、また、緻密な計画は「映画」を停滞させる。それでいいのだ映画は、との開き直りが潔く嬉しく楽しい。

窓ふきのゴンドラにどんとスポーツカーが乗る、エレベーターパイプの中を行ったり来たりする。そのような「珍景」を映画は歓迎する。その絵があればよし。なんで出演してるかわからないエディー・マーフィー御大もその爆発的なしゃべくりが全てを許す。
さらに、テーマ曲が素晴らしい。前述した「サブウェイパニック」のパクリみたいな低音バスドラに燃え、労働者対金融ホワイトカラーってのもキャッチーだし、FBI捜査官ティア・レオーニのハスキーな酔っぱらいぶりもいい。

というわけで、命の洗濯をした。これはドートマンダーものの見事な換骨奪胎、あるいは名前と設定を変えたドートマンダーものの忠実な映画化だ。快作。
2012-01-18 09:00:00

ミケランジェロの暗号

テーマ:映画 マ行
お話は面白いし、シナリオも悪くない。
時制の飛ばし方がいいし、ここは描かない、ここは描くの選択が大人、ホロコーストの悲劇とか善と悪とかめんどくさいことを意に介さず、単なるサスペンスに仕立ててるのも好感が持てる。

しかし、どーもぱっとしないのはなぜか。いくつかシーンを例示するが、ようするに演出があかん。

冒頭、パルチザンがドイツの輸送機を攻撃、墜落させる。その報が現地のSSに届く、「SS二名とユダヤ人?」「重要人物らしいです」との会話。そして墜落現場では生き残ったユダヤ人がSSを助けようとし、呟く。「こいつだけは助けたくなかった」。メインタイトル、どーん。
生き残ったユダヤ人とSSの関係に気を持たせるナイスなオープニングである。パルチザンの攻撃が映画の主軸ではなく、あくまでも物語を進行させる役割でしかないとはっきりと示され、偶発的な出来事が物語を始動させるというのも気が利いてる。

しかし、どーもぱっとしないのはなぜか。
ようするに、演出にためがない、というか、ここぞという絵を決めてくれないのだ。「こいつだけは助けたくなかった」という台詞は両者の関係を示す重要かつ小粋な台詞なんだが、言わせるタイミングを見失い流れてしまっている。

ある機密を知るユダヤ人を尋問するためSSの一人が収容所に派遣される。二人は旧知の間柄なのだが、現在は敵対しており、久しぶりの邂逅となる。視点はユダヤ人に移行する。ユダヤ人が事務所に連行されると、件のSSの声がする。驚くユダヤ人。暗闇からSSが登場するロングショット。

確かにかっこいいショットではあるが、必要ない。なぜなら登場するのがそのSSであることを観客は既に知っているからで、だからここは「登場感」を演出するのではなく、ユダヤ人にとっての「驚き」を演出せねばならない。かっちょいい絵を求めた、というか、何も考えていないというか、「登場感」演出に流されてしまっている。

機密が遂に明かされる瞬間、唐突に訪れたSS上司から、その機密の必要性がなくなったというニュースが伝えられる。驚くSS二人とユダヤ人。機密を知るユダヤ人は自身の存在価値をなくしたわけだから、急遽、その事態に対処せねばならない。ここでも偶発的な出来事が物語をぐいと動かす、魅惑のシーンである。

しかし、どーもぱっとしない。
ユダヤ人に唐突に訪れた危機、その「唐突さ」や「急遽対処せねば」感がまるで演出されず、ただシナリオに書いてある台詞を彼は語りだし、カメラはそれを捉えるばかりだ。

というわけで、何度も言うが、どーもぱっとしない映画であった。よーする演出がまるで仕事をしてない、考えてない。タランティーノの「イングロリアス・バスターズ」がいかに演出の映画であったかがよくわかる。

かつてロジャー・コーマン師は「カメラを動かす理由を常に考えるんだ」と●にアドバイスしたという。この言葉で重要なことは「カメラを常に動かす」ことにあるのではない、演出とは「理由を常に考える」仕事であるということだ。
2012-01-17 09:00:00

サラの鍵

テーマ:映画 サ行
物語を語る人物を誰にするか、語る視点をどこにおくか。

この映画の主人公はある出来事の顛末を解明しようとするジャーナリストであり、その出来事に直接の関わりはない。多少の関係はあるのだが、まぁ、たいしたことはない。たいしたことがなければ、物語を語る主を別の人にすりゃいいのに、出来事の当事者にすりゃいいのにと思うのだが、作者の意図はそうではないようだ。

その出来事によって、いかにジャーナリストが影響を受けたかを描きたいようなのだ。影響を受けるだけあって、その出来事はたいしたものでなければならず、確かに、その出来事はとても悲惨で哀しく残酷なのだが、だからといってそれは本筋ではない。

この映画の不幸は本筋じゃないことが本筋だとしか思えぬことと、ジャーナリストに与えた影響、というのが心理的、文学的で映画でみせられてもなぁ、という類いでしかないことだ。

そんな「影響」を映画にしたいと思った時点で駄目になることが運命づけられているというか、この作者は多分、あんまり映画が好きじゃなくって、ジャーナリズムとかホロコーストの悲劇とかそういうこと、描きたいことが好きなんだなぁ、と思う。

ホロコーストの生き残りである少女は成長し、アメリカに渡る。そして自身の生い立ちを明かさないまま男の子を産む。彼は成長し、突然ジャーナリストの訪問をうける。そこでみせられる写真、母であろう少女の胸元にユダヤ人を示すダビデの星が記されている。
この写真は秀逸であった。ずばっとわかるからだ。

ところが、本筋は彼の心の動揺ではない。あくまでもそれをみせるジャーナリストであり、彼に動揺を与え、彼の人生を一変させるであろうことの哀しさやら何やらでしかない。ところが「映画」がみせるのは出来事の当事者である男の動揺であり、その後の彼の人生の示唆である。

この映画で印象的なのは、少女の顔であり、少女を助ける者たちの顔であり、成長した少女の達観したかのような無表情である。その素晴らしさに作者たちは気づいていない。単なるホロコーストものにしたくない、その野心は「映画」とはまるで関係がない。
2012-01-16 09:00:00

ミッション:インポッシブル/ゴースト・プロトコル

テーマ:映画 マ行
ロジャー・ムーア007が「私を愛したスパイ」の好評を受けながら、その後低迷していったのは、007がもつ荒唐無稽さをパロディ化し、どんどん自虐的にならざるを得なくなったからだ。ピエロのメイクをしてサーカスに潜入したり、戦闘機パイロットの訓練装置に乗り込み、ほっぺたをぶるぶるふるわせるロジャー・ムーア007は子供心にもとても格好悪かった。小粋なジョークも親父ギャグといなされる始末。

インディー・ジョーンズはさすがに格好よいヒーローで、たまにアクションヒーローらしからぬ所作をみせても、それはギャグとして消化されていた。

そしてトム・クルーズ。「ナイト&デイ」でアクション・ヒーローの荒唐無稽を誇張してみせたトムだが、この映画ではどういうわけか笑える程、痛々しい。パンツ一丁で街角を駈け、何も見えない砂嵐の中ぶんぶん腕を振り上げ正確この上ないフォームで走るトム、「ミッション成功」と叩くボタンはまるで反応せず、テープは自動的に消滅されず、後半ではただのぽん引きと化す。ロジャー・ムーア007のようなパロディ化でも、インディー・ジョーンズの余裕もなく、ただ彼は痛々しい。

フェルプス君を徹底的に壊滅させ二代目になりかわった男が二作目、三作目で求めたものは「愛」であった。「汚名」のリメイクと妻を救うために疾走する男。これは悪くない。しかし、この4作目の彼に残るものがただ痛々しさだけというのはどういうことか。

このトムの倒錯をエンジョイできたのは、ドバイの超高層ビル登攀シーンのみだったのだがどうか。
組織に見放されテロの容疑者として追われる、という設定がまるでどっかいっちゃうのはどうか。彼を追うロシアのスパイだか何だかのあまりの弱体ぶりはどう考えても演出ミスだろうし、縦構図の殺しを決めてくれたレア・セイドゥはただのふて腐れた不良少女にしかみえない、核の発射ボタンを巡る衛星通信だのなんだのの件は煩雑でよくわからず、クライマックスの対決の相手が中年太りの大学教授ってのもどうなのか。
そもそもこのシリーズって面白かった?という疑念さえわいてくる。

結局は新兵器の大活躍というわけだが、それを「情報も装備もなく」なんつっちゃ駄目じゃん、トム。クレイグはもっとがんばってるぞ。次はMI5。イギリスに行くのか、トム。
2012-01-15 09:00:00

フライトナイト/恐怖の夜 その2

テーマ:映画 ハ行
「フライトナイト/恐怖の夜」は血をすすり人を殺す「悪」の復権である。確かにコリン・ファレルのマッチョな肉体は吸血鬼らしからず、奇をてらったもの、女々しき吸血鬼たちの逆バージョンのように思わせられる。

しかし、決してそうではなく、マッチョな仮装は吸血鬼の本質を現代に蘇らせるべき戦略である。コリン・ファレルは牙を剥き出し、食欲のみに生きる「悪」「野獣」として現代に蘇る。
この映画は、悪の肉体としての吸血鬼、その復権を目論む極めて志の高い、勇壮果敢、男らしい試みなわけだ。素晴らしく嬉しい。

吸血鬼に血を吸われメロメロになる美女(イモージェン・プーツ、めちゃくちゃキュート)、その姿に地団駄を踏む恋人、という図もある。対峙するコリン・ファレルと主人公を画面左右に配し、その向こうに彼女が登場するショットの見事さ。

武装し、吸血鬼に立ち向かうぜ、というアクション・ホラーの痛快さにも満ちている。杭やらアーチェリーやらを買い込む際、レジの親父を捉えるトラックアップ!美少女の啖呵もこ気味よい。

いつ陽が落ちるかわからないまま吸血鬼の屋敷を探索する、という図ももちろんある。
首がちぎれかけ、片腕をなくしたまま主人公を襲う下僕、という今どき真っ当な残酷特殊メイクもいい。

素晴らしいのは、これらのショットが審美の罠をくぐりぬけ、怖い絵として捉えられていることだ。暗闇に光の帯が幾重にも差し込む、美しい絵として撮ろうとするカメラマンをクレイグ・ギレスピーはたしなめたという。綺麗な絵は必要はない、怖い絵を撮ってくれ、怖い絵なんてのはよくわからん、じゃとりあえず物語に必要な絵だけを撮ってもらえればいい、と。想像するにな。

と、これまで前作(カルト化されてるとは思わなんだ、公開当時、みんな観てたよ)について全く触れなかったのだが、しかしやはりロディ・マクドウォールの不在だけはどうにもならなかった。
いや、今作もがんばってる。デイヴィッド・テナントなる吸血鬼ハンターはそれなりの風貌だし、派手なカツラ、付け髭、メイクをとりながら主人公と会話する姿など、充分がんばっている。しかし、いかんともしがたい。ここはひとつロディ・マクドウォールの不在について意識的であることだけで勘弁して頂きたい。これだけはいかんともしがたい。

というわけで、まじで悪くない。前述の穴掘りシーンまではこりゃあかんと思ってたのだが、うむ、悪くない。魂が王道だ。
2012-01-14 08:40:43

フライトナイト/恐怖の夜 その1

テーマ:映画 ハ行
招かれない限り吸血鬼はその家に入ることができない。家に入ることを許されなかったコリン・ファレル扮する吸血鬼はスコップを片手に裏庭へと赴く。家の者が注視する中、彼は裏庭に穴を掘りはじめる。

このシーンは感動的であった。なぜなら吸血鬼の行動が意表をついているからだ。穴を掘る目的がわからないことはもちろんだが、未だ吸血鬼の存在に半信半疑である主人公の母親とその恋人の意を介さず、つまり、自身の正体を明かすことにためらわないからだ。
そして、その行動が我々の描く吸血鬼像とかけ離れており、そのパワフルでエネルギッシュな姿に驚くからだ。

つまり、正体を秘匿しようという頭もなく、ただ血を吸いたいという欲望のみに取り憑かれた吸血鬼の姿、その荒々しく凶暴な肉体こそが感動的なのだ。

例えば思いつくままに挙げると「ぼくのエリ 200歳の少女」における吸血鬼はか弱い少女であり、「マーティン」は引きこもり風の青年であった、「トワイライト」シリーズにおける吸血鬼は今ひとつよくわからんが、一般女性と恋に落ちる美少年である。
彼らは生きる糧を得るために人間を殺すことを運命づけられた種族として、悲劇的に描かれる。

これはこれでいいのかもしれぬ。やはり「マーティン」は傑作だ。「ぼくエリ」は中途半端だが悪くはない、「トワイライト」シリーズ(1作目しか観てないが)はどうでもいい。
しかし、どうも女々しい。
血を吸う悪人、という吸血鬼の本質は隠蔽され、人間臭い哀しい存在として描かれる吸血鬼。

でもよ、吸血鬼はそもそもそういうものではないのだ。
クリストファー・リー(怖かった)やベラ・ルゴシ(怖くない)がもつ貴族的な風貌はあくまでも仮面でしかなかった。その仮面は、「ぼくエリ」や「マーティン」や「トワイライト」シリーズのような本質ではない。クリストファー・リーがピーター・カッシングに襲いかかる際の充血した目と牙を思い出そう、暗闇から現れたベラ・ルゴシの従僕たち、その血に飢えた姿を思い出そう。
2011-12-25 00:00:00

2011年映画ベスト

テーマ:映画ベスト
メリークリスマス!

今年はいろいろあった。
まず、愛しの阿佐ヶ谷を離れ、23区内とはいえ東京の田舎へと移り住むこととなった。
引っ越したのが3月11日直後だったので、ダンボールが積み重なった部屋で、水や空気や食べ物の心配をしながら暮らしていた。この時のことは絶対に忘れない。この暗さを子供に味あわせてはいけない。

というわけで、2011年映画ベスト5。

1/「猿の惑星:創世記」ルパート・ワイアット
2/「ヒアアフター」クリント・イーストウッド
3/「アンノウン」ジャウム・コレット=セラ
4/「ザ・ウォード/監禁病棟」ジョン・カーペンター
5/「ソーシャル・ネットワーク」デビッド・フィンチャー

全部、アメリカ映画じゃん。最近、アートもの観ないしなぁ、ポランスキーもスコリモフスキーも見逃したし。ラピュタ阿佐ヶ谷にも行かなかったし。映画的にも寂しい一年でした。

ちなみに娘のベストは

1/「フィニアスとファーブ」

なぜか娘がものすごくはまっているんだが、大人が観ても、というかもの凄いよくできてる、ウエルメイドなアニメす。

というわけで、来年もよろしくお願いします。
私は一生懸命働きます、それしかできないから。
祈るだけ、どうか娘が幸せに暮らせますように。
2011-12-23 09:00:00

リアル・スティール

テーマ:映画 ラ行
ヒュー・ジャックマンが夜、トラックを走らせる数ショットの後に、そのトラックの後ろ姿からクレーンアップすると、麦畑の向こうに遊園地の賑やかな灯りがみえてくる。
しがない旅回りのルーザー、移動式遊園地、なんかしらんノスタルジックで、いろんな人生が垣間見える、そんな1ショットをぱしっと決めてくれるのがアメリカ映画なわけだ。
いかにも通俗的、紋切り型な記号の羅列なのだが、そうは言わせないゴージャスさと言わずもがなな迫力にアメリカ映画は満ちている。

続いて遊園地の朝の情景。トラックの荷台で何やら作業しているジャックマンに子供たちが声をかける。フィックスでその光景を捉えていたカメラが、ジャックマンがロボットを操作するために後ろへ下がると、それに応じてトラックアップ、続いてロボットが動きだしトラックの前方へとやってくるとトラックバック、その動きと子供たちをカットバックする。これは私の好みにしか過ぎないのだが、このカメラの移動がとっても気持ちよく、なぜなら非常に合理的かつ経済的だからで、なんつうことのないシーンにこういうショットをみせてくれると、まったくもって私の好みにしか過ぎないのだが、実に嬉しくなってしまう。

というわけで、これは悪くない堂々たるアメリカン、と思っていたら、子役が鬱陶しいのと女優がぱっとしないので、えんえんノレないままクライマックスを迎えてしまった。

ところが、このこまっしゃくれた、いかにも子役な芝居を重ねるガキが、リングの外でシャドウボクシングをする父親を見つめるショットから滂沱の涙。
すべての観客がリングの中で行なわれているロボットボクシングを注視している中、ただ一人、このガキ(とぱっとしない女優)だけが父親を見つめ、その視線が彼との特別な関係を紡ぎだすからだ。

ぱっと思いついたのはダグラス・サークの「誘拐魔」の音楽会のシーンでのジョージ・サンダースとルシル・ボールの上下の視線の交錯なのだが、しかし、特にそんな映画的記憶だのなんだのでなく、ひょひょいとこんないいシーンを造っちゃうアメリカ映画の力なわけよ。

これが父と息子じゃなく、父と娘だったら泣き死にしてたぜ。事実、息子だったら、も少しボクシングからみのエピソードが必要だろうし、娘の方が特別な関係感がもっと出たのに、とも思うのだが、というのは全くの嘘で、まったくもって私の個人的事情から、娘ならもっとよかったのに、と思ったのだった。
2011-12-22 09:00:00

2011年ミステリ事情 その2

テーマ:ミステリー
外国産の今年のベストはトム・フランクリンの「ねじれた文字、ねじれた路」か。
ミステリというよりは「文学」なのだが、アメリカ南部のど田舎を描く筆致が、どうにもロバート・マリガン、エピソードの一つ一つが映画的で素晴らしい。途中のネタばらしもとても自然で、叙述の都合を感じさせないのもいい。

日本産では、貴志祐介「悪の教典」がダントツに素晴らしかった。
視点の入れ替わりによって、倒叙にもホラーにも読めるのが凄い。私たちはサイコキラーの視点から、その綿密な犯行を見ることになる。しかも、その狂気の内面などに貴志祐介は興味がない。ただその行動を追い、いかにして完全犯罪が可能なのかを詳細に語るのだ。

さらに矢作俊彦の未読作および新作を続けて読み、高校生の私にとって神であった矢作節を久々に堪能した。
「犬なら普通のこと」は矢作っぽくない馳星周風のノワールなのだが、悪党パーカー風の冷たいタッチと叙情味が混ぜこぜになった傑作。ミステリマガジンのウエストレイク追悼号から連載されたのもうなづける。大友克洋の「トウキョウ・チャンポン」が元ネタだね。

「傷だらけの天使 魔都に天使のハンマーを」もすみません、ようやく読みました。「傷天」の後日譚としての体裁の整え方も楽しいのだが、それ以上に小暮修の探偵術、つまり、何も考えないでとりあえず飛び込んでいく、ってのがミステリとして素晴らしいし、見事な「傷だらけの天使」評となってる。

新作「あらくれ」はあまりに軽いのでちょいとアレなのだが、「エンジン/ENGINE」はもぉ、純粋型矢作節炸裂の大傑作であった。矢作は何かのインタビューで日活映画をやりたかった、と言っていたのだが、日活映画ってよりは、東宝ニューアクションの感じ。東京の街を舞台としたカーアクションが凄まじく、悪女っぷりが凄まじく、錯綜したストーリーが凄まじい。
がんばってください、いつか「コルテスの収穫」を再開する日まで。

というわけで、今年の新作ベストは
トム・フランクリンの「ねじれた文字、ねじれた路」
矢作俊彦「エンジン/ENGINE」
ということで、よろしく。
2011-12-21 09:00:00

2011年ミステリ事情 その1

テーマ:ミステリー
今年も「このミステリーがすごい」をはじめ、各紙ミステリベスト10が挙がってきてるんだが、どうも去年に比べて不作の感があるんだがどうか。
日本産の新作はほとんど読んでないので、オールスルーなんだが、外国産のベストが「二流小説家」「犯罪」あたりってのはどうなの、と。「サトリ」「007」、キング、エルロイの新作と話題豊富ではあったが、いかんせん地味な感じがする。

というわけで、今年のミステリまとめ。
といっても今年の新作ってより、今さらジローみたいなのばっかで申し訳ないんだが。

「二流小説家」までについては、こちらに書いたので、それ以降、読んだ中から。

なんつっても、スティーグ・ラーソン「ミレニアム」シリーズ、貴志祐介「悪の教典」、ミステリに還ってきた矢作俊彦作品が凄かった。ほら、今さらジローでしょ。

スティーグ・ラーソン「ミレニアム」シリーズ
噂に違わず、これは一気読みの面白さ。特に私は1作目「ドラゴン・タトゥーの女」が好みで、冒頭からたんたんと続く田舎町、孤島の描写、犯人を見いだすまでの流れにいたく興奮した。上質のハードボイルドの味わい。こう書くと誤解されそうではあるが、ようする本格ってよりは、本格味の強いハードボイルド、つまりロスマクってことよ。

キングの「アンダー・ザ・ドーム」はさすがに一気読みではあるのだが、やはり「呪われた街」にはならず、ラストはファンタジーになるのが大不満だった。エルロイの新作、ディーバーの「007」は未読。前者はそのぶ厚さに恐れをなし、後者は図書館で借りられっぱなし。

他には、
S.J.ローザンの「シャンハイ・ムーン」とジャック・カーリィ「ブラッドブラザー」は期待はずれ。前者は手がかりの出し方がどれも手記や日記ってのはどうなのと。歴史文献ものみたいでどうものれず。後者はだんだん普通のサイコサスペンスになってて、本格味がどんでんのためどんでんでしかなくなってる。アダム・ファウアー「心理学的にありえない」はやはり全然つまらぬ。なんで好評価なのがわからん。アタック&ディフェンスにミステリとしての興趣がまるでない、これは全作同様糞本だった。

S.J.ボルトンの「三つの秘文字」は拾い物。中盤までの本格風味から冒険小説になるのが驚きかつ素晴らしい。
ウィンズロウの「夜明けのパトロール」もさすがに素晴らしい。いつもの軽い筆致から、クライマックスは加藤泰的憤怒と叙情になだれこむのがいい。

つづく

Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>