昨日は、憲法記念日。
各地で憲法集会が開かれ、新聞でも憲法を巡って様々な討議が繰り返されています。
中で、「憲法のつどい2011鎌倉」での大江健三郎氏の講演に関する記事が心に残ったので紹介したいと思います。
「憲法9条を私は若い頃から文学的に読んできた。」
「戦後の中学校で、施行されたばかりの憲法を読み、もう戦争で死ぬことがないのはいいと思った。
悲しみを感じさせるほど真面目に平和を「希求」している。なぜだろうと母にきくと、
母が、「(9条を書いた人は)家族の誰かが空襲か戦争でで亡くなられたのではないか。家族を亡くした人は社会問題についても真面目になるものだ」と答えた。」
そして、被曝後の広島を描いた井上ひさしの戯曲「父と暮らせば」の一説を朗読。
原爆で死んだ父の亡霊と、一人だけ生き残ったことに罪悪感を抱いている娘の対話部分です。
「竹造 そいじゃけえ、おまいはわしによって生かされとる。
美津江 生かされとる?
竹造 ほいじゃが。あよなむごい別れがまこと何万もあったちゅうことを覚えてもらうために生かされとるんじゃ。
美津江 おとったん、ありがとありました。」
さらに大江氏は木下順二の戯曲「沖縄」から、
「どうしても取り返しのつかないことを どうしてもとり返すため」というせりふをひいて、震災と福島原発事故について次のように語りました。
「取り返しのつかない震災になってしまった。
福島原発事故では取り返しのつかないことが今も進行中だ。
その取り返しのつかないことを取り返そうという心の働きが、死者の家族や友人にも、私たちの中にもあると思う。
それが実って、10年後、20年後、取り返しのつかないことが取り返せたという声が起こるかもしれない。その時は死者に向かって、あるいは未来の子供達に向かって、お互いに「ありがとありました」と言うでしょう。
そういうことを私は「希求」します。」(赤旗 日曜版より抜粋)
第9条
1 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。
私も坊も、決意を新たに、いつか「ありがとありました」いえる日本になるよう、
ピースマークを付けました。
平和・反戦のシンボルとして世界中で使われているマークです。
Nuclear Disarmament(核軍縮)の頭文字NとDを手旗信号で表したものをデザインしたものなんだって。
慎ちゃんに教えてもらったのさ。( ´艸`)