つづきです
前記事
「湯と山と先祖子孫突撃旅」旅の目的
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「飯坂温泉の家庭的宿で独泉」入舟旅館
「飯坂温泉の宿で部屋食」美味しい夕食
「飯坂温泉で街並み散歩」鯖湖湯、ラジウム玉子パン
「飯坂温泉で旧家のお屋敷」旧切堀邸
「福島の信夫山ふもとで神社」黒沼神社
「信夫山で旧参道」お宮色々
先祖含む、この辺りの人々がずっと守ってきた辺りを歩き…
感慨深いというか、温かい気持ちというか…
そんなもんじゃない、もっともっと満たされた気持ち。
言葉で表現するのは難しい。初めての感覚。
ココまで到着。
羽黒神社まであと少しのはず…。
整えられて階段に。
と思ったら…
すぐに昔のままっぽい道に。
石が隆起したような地層みたいな感じで面白い。
振り返ると…
急坂なのが伝わるでしょうか…。
(すぐ手前の階段が見えない)
■?
新しい碑。
羽黒神社の仁王門跡。
さらに山道な感じが続きます。
こちらは古い、1853年の碑。
信夫山は平安時代から、多く和歌に詠まれているそう。
新古今和歌集や金槐和歌集にも登場。
今回は追わなかったので、ちゃんと写さなかったのですが…
伝説のある岩や巨石も点々と存在。
ガイド冊子にはそれらを追う徒歩コースも紹介されています。
やっと見えてきた~。
◎羽黒神社
前々の記事にも書いた通り、元は神道。のち仏教と習合。
信夫山の山伏の中核をなす。
文化財だった本殿は残念ながら火災で焼失。
コチラは建て直されたモノ。
傍らに、大わらじ。
仁王門の仁王様に合わせたサイズとか??
毎年編まれ、担いで奉納されます。
1足は、300年以上の伝統「暁まいり(2月)」に。
もう1足は新たに始められた「わらじ祭(8月)」に奉納。
大きさ比較の為、セルフで撮ってみました。
昔は、旧参道(前記事のお宮たくさんの道)を通って奉納したそう。大変だ。
昔からの石碑や灯篭?が境内の端にズラリと並ぶ。
この中に、額を当てると頭が冴えて良くなるという石碑があったのですが…
コチラに気を取られて、頭良くしてくるの忘れました…。
羽黒神社の失われた神楽殿、再建できたらいいなぁ…。
今回色々調べたところ…
明治以降は、氏子中心の保存会が御山神楽を伝承しようと頑張っておられる模様。
(東北に多い里神楽で民俗っぽい感じ)
六供が担当してた時代は、↑コチラとは違う神楽。
古文書に、各家の役割が記載されていて…(↓コレは1600年代)
正八幡宮・Wn家、御守役人
牛頭天王宮・ O家、笛之役人
一の宮明神・Nz家、歌之役人
三宝荒神・Kt家、大拍子之役人
山王権現(山王宮)・Kn家、羽那鳥人役人
天神宮・Nz家、神子之役人
神子之役人が居るという事は、神子神楽を行っていたという事。
(神子=神を降ろす神事を行う。神楽では舞がその役割をした)
他に湯笹の行事(山伏神楽)も行われていたと福島市の文化財調査報告書に有り。
なので、(他の文書などとも合わせて)六供は元々山伏だったのでは?と思う。
自分の先祖、山伏…(驚)
そして神楽では神子担当。
笛じゃないじゃん!だから笛の上達遅いんだ~!?
(でも、笛の家とは数代前にも親戚だったりする。この後、色々出会いがあり分かりました)
あと1~2回で終わります、説明多くてスミマセヌ!
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芹沢友綺
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