(いつもと文体が違います。
実はただいま文章講座に通っていて
その課題として提出したものなのです・・・
残念ながら没原稿になったのですが
大事なエピソードをつづることができたし
夫I氏からもOKをもらったのでブログにUPします
そして、文章力向上のためにさらに精進します
ご意見ご感想などいただけましたらうれしいです。)


・・・・・・

私の夫・I氏は、大変に愛情深い。

結婚8年目だが、いまだにその愛の大きさに驚くことがある。

彼は時々私の予測を軽く斜めに超えた言動をして、衝撃を与えてくれる。

 

私はカウンセラーという仕事柄、

「人はどのように生きれば幸せなのか?」

とか

「幸せな人はどのように育ったのか?」

とかをしょっちゅう考えている。

外に出てもずっと人生について考えていて、電車をよく乗り過ごしたり逆方向に乗ってしまったりする。

 

では、夫について愛情深いと私が思うのは、どんなことか? 一つ一つは小さなことだ。

例えば。結婚して間もなくのころ、私は生活上のこまごましたリクエストを夫に伝えていた。夫は直してくれたり、なかなか直らない件があったりした。何度も同じことを言う時にはイライラした。

そんな中で、夫から出てくる注意は、たった1点だけ。クローゼットの取っ手をしまおう、ということ。当時住んでいた家のクローゼットは、丸いぽっちを押すと、取っ手が出てきて観音扉を開けることができ、扉を閉めた後に取っ手を押し込むようにしまえるタイプのものだった。

キッチンから玄関へ抜ける狭い通り道にそのクローゼットがあったので、取っ手が出ていると、体が大きく動作も大きく、目的地に集中している夫はその取っ手に腰やら腕やらをぶつけてしまうのだ。

ある日、何度目かに「ライちゃん、この取っ手を使ったら戻しといてくれないと」と言われたとき、私はハッとした。

「ごめん……。私、あれこれあなたに注文をつけて小言を言ってるのに、自分はあなたが言うたった1つの注意すら改善してないや」

いろんなことにイライラしていた自分がすごく勝手に思えてへこんだ。

「今すごく自分がダメな人間な気がしている……」

すると夫は笑顔でこう言ったのだ。

「なんで? 可愛いじゃん」

「へ?」

「何度言ってもできないって可愛いじゃん」

そんな風に思ったことはなかった。できないのは悪いこと。できない人はダメな人。じゃないの?できないことが、可愛い?そうか……。

夫と娘の関係が思い浮かんで合点がいった。私には小学校1年生になる連れ子がいての再婚だった。夫I氏はこの娘nikoと大の仲良し。きょうだいみたいな喧嘩もするし、親父っぽく真上からの叱責もする。でも一貫して「できないお前も可愛い」というベースがあるので、傍で見ていても、たぶん娘本人も、根本的な安心感があるのだ。

「俺がライちゃんと何かあって別れてしまったとして、でも何かで連絡取るようなことがあったら、真っ先に訊くのは『niko元気か』ってことだな」

と同居してすぐに言っていた。

「でも誤解しないで。nikoの父親になりたくて結婚したわけじゃないよ。俺がライちゃんを愛して、そこから溢れた愛の中でnikoが育つんだ。ここ(夫婦)が大事なんだ」

 

そんな夫I氏がどんな育ち方をしたのか。親が何をしてくれたのか。

彼の両親は彼が中学生の時に離婚している。父は肉体労働者で、酒を飲んでは母親を殴った。両親が離婚後に、父親が酩酊状態で包丁を持って母子の家に現れた。目の前で警察に連行される父を中学生だった夫は見たのだという。現在父は音信不通。母はすでに亡くなっている。

よく、暴力や虐待は連鎖するといわれているが、夫I氏は「女の人だけは殴るまい」と心に決めているそうだ。

「そんな『決める』だけで守れるものなの?」

「ふすまに飛んだ血しぶきとか目に焼き付いてるからなあ。親父が連行されるシーンもよく覚えてる。でも、近所に親戚とか匿ってくれる家とかあって、俺は周りの人からいっぱい愛されたんだよな。

そして、そんな両親のことも、小学生くらいまでは、立派な両親だと思ってたんだ。親は神、ぐらい思ってた。愛情だって注がれてたんだと思うよ。未熟な彼らなりに」

「親のこと今、恨んでる?」

「いや。俺の親の最大の功績は、俺という素晴らしい人間をこの世に生み出したことだ。それで充分グッジョブだ」

この答も衝撃だった。

親への恨みや不満からなかなか抜け出せない人はたくさんいるが、そういう人は、自分自身への不満や否定も同時に持っている。対して夫I氏は巨大な自己肯定感で親を赦している。新鮮だった。

育児書は世にあふれていて、私もついつい気になって手に取ることもあるが、ちょっと待てよ、と自分に言い聞かせる。これをやればこうなる、という単純な公式に、人間は当てはまらない。かように育った夫が愛情深く、幸せであることは、希望だ。

自分自身が生きたいように生きていくことは、生まれや育ちで限定されたりしない。

子育てや教育において、責任を感じるあまりに子どもをコントロールしたくなる時にも、その重圧から自由になればいい。

子どもを「愛情深い人」に育てるには?

少なくとも、その問いにノウハウとしての答えはない。愛情深い人がいるとすれば、そのように「育てられた」のではなく、「育った」のである。

私も2人の娘たちに関して、「育てた」感より「育ったなあ」という感覚のほうが強い。
娘たち個人の命にも敬意と感謝を感じつつ
私以外の、関わってくれた方々にも多大な感謝をしつつ、これからもよろしくお願いします、という気持ち。


※同居を始めた冬。この後姿を撮らずにはいられなかった。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

9/4(日)離婚・再婚のおはなし会 


ブライト・リスニング
本講座
9/20、27、10/4、11 開催決定!
体験会は8/30(火)、9/17(土) 10時~12時