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本の〆切が迫っていてワタワタしている瀬野です。
版元はニヒルでシュールな所なので、瀬野の本もニヒルな出来です。
でも話の要点はこのブログとほぼ同じですよ。
現在編集とやり合ってるところですよー。
一旦書きあがったのですが、ダメ出しされて書き直してます。
とても薄い本なのですが、瀬野の考えたことだからこっちだってガチの勝負です。
あの話が通じるんだか通じないんだか分らん編集を
打倒せんことにはどうにもならんのだ。
〆切は6月末で本になるのはこの夏。急がなきゃ。
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最近、最近瀬野が全肯定してて気がついたことがあります。
瀬野が何かについてを考える時は、
● 考えてることを否定しながら(拒絶しながら・嫌だ消えされと思いながら)考えてるか
● 考えてることを肯定しながら(嬉しい・好き・在ることが当然)考えてるか
のどちらかだったなぁということです。
瀬野は今まで知らず知らずの間に、
自分が考えているものを否定しながら考えることが多かったんですね。
例えば「あの女チャラチャラしててバカみたい。バカ女嫌い」とか、
「こんなの飛びつく奴はバカ、こんなもの嫌い」
あるいは「こんなつまんないことで怒ってる自分が嫌」みたいな感じですね。
さらにここが今回言いたいキモなんですが、その「嫌な気分」を自分で嫌がってる。
しかし嫌な気分を嫌がりながら感じている時って、どうもドツボにハマってばかりいました。
何かを考えている時に、湧いた考えとか感情を拒絶しながら考えてると、
そのことがさらに否定や拒絶したくなるようなこととなって「現実」になってしまうんですね。
つまり、ちょっと表現が難しいのですが……
「嫌だなぁ」と思ったとき、さらにその嫌な感じを自分で嫌ってたら、
まさに「嫌」なことが起きてばかりいるんです。
でもマイナスのループにならない「嫌だなぁ」もあるんですね。
よく考えるとそれは「嫌だなぁ」って思うことが当然の場合とか、そんな場合かな。
「嫌だなぁ」と感じたその嫌な感じを嫌ってなくて思い切り感じてた時、
逆に胸のすく良いことが起きたことがあったです。
これ多分、良いことでも同じようなことが言えるんじゃないかな。
ラッキーなことが連続で起きまくって、すごく嬉しい時とかに、
「嬉しいけど、こんなにラッキーでいいのかな……」と
嬉しい気分に後ろめたさを持ってしまったら、嫌なことって即起きますよね。
ということで皆さん、自分が何を考えてても、その考えは肯定しちゃいましょう。
自分がどんなエグいことや悪いこと考えてても、その考えに嫌悪感を持たないようにね。
自分がエグいことや悪いこと考えてることに気がついたら、
その時は胸張って堂々とエグいことや悪いことを考えようってことです。
「嫌だなぁ」ってことでもその「嫌」を堂々と感じましょうってことです。
そして、良い事は連続して起きまくってても、自分はいつまでも嬉しくて全然OKなんです。
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自分の感情を常に肯定っていうことは、いつも喜んで歓迎してなくてもいいと思いますよ。
喜べれば多分最強だとは思いますけどね。
「とにかくそいつはそのままあればいい」とか「変わらないでもいい」って感じです。
その状態を「嫌」とか「消したい」とか「変えたい」みたいに思うのが「否定」ですね。
「肯定」というのは「喜ばしい」とか「嬉しい」ということ以外にも、
「その状態は変わる必要がない」と思うことも「肯定」だと思います。
まあ、何かが嬉しかったり良かったりしたら、それを変えたいとは思いませんよね。
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