皆様、あけましておめでとうございます。
約8ヶ月が経過したわたくしの哲学blogですが、
皆様のペタ、フォロー、読者登録、そしてコメントとホントにありがとうございます。
これからも可能な限りの知恵を絞り、更新を続けますので、どうか宜しくお願いします。
で、元旦に更新する内容は
「啓蒙主義時代の神様の捉え方」
です。
啓蒙主義は18世紀末のフランス革命前後に浸透した考えです。
教会、貴族、王に国民が苦しめられてるのは、国民に無知と迷信がはびこっているからだと考えた。
啓蒙ってのはそんな暗い闇に光を照らそうって考えです。
「無知と迷信」
今のマスコミと政治を見てると革命が起きるのも時間の問題かも知れませんね。
で、その18世紀末の神に対する考えは、
「神のいない世界を想定するなんて非合理的だ。
神がいないにしては世界(自然)はあまりにも合理的に、理性(知恵)に従って造られてる」
と言う考えです。
確かに雲と水蒸気の関係も、食物連鎖による自然の摂理も調和がとれすぎてる。
その法則自体が神では?
だからこそ、単純なキリストの教えのみに追加された非理性的な教義や教理を切り離そうとした。
私達はかの有名なロック、ルソー、モンテスキューの絶え間ない運動の上に毎日があることを忘れてはいけません。
英語で大自然をネイチャーと言います。
人間の通常の動作を日本語で自然と言います。これはナチュラルと言います。
おわかりですね。
私達が自然に振る舞えば、大自然と共に振る舞っていることなのです。by SPA-k