71.告別式 | いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

通夜が終わり、皆帰っていった。



その日の夜は、父と二人で交代で斎場で寝泊りする事になった。



前日までは妻は布団に寝かされていたので、横に寝て髪や頬に触る事ができたけど、もうお棺に入れられている。


会場から僕らが寝泊りする控え室にお棺ごと運ばれていた。



仕方がないので、父が奥で寝ている間にお棺の小窓をあけて髪をなでたり、小声で語りかけたりしていた。






朝が来て、控え室にも親族達が続々と集まってきた。



葬儀社から告別式の流れの説明を受けたり、親族へ挨拶やお願い事をしたり、、、。



悲しんでいる時間などあまりない。




甥っ子達もまだ小さいので、あまり理解をしていないようで控え室を走りまわる。


遺影をひっくり返しそうな勢いだ。


甥っ子達は人懐っこいので、親族や義両親の前でおどけたり、遊んだりして場を和ませてくれた。




妻の親族達も大阪から駆けつけてくれた。



義父が末っ子だけど68歳なので、大阪の親族は70代~80代で皆高齢だ。



ちょうど一年前に披露宴に来てもらった時でも「遠いし高齢だから、私の親族がこれだけ集まるのは最初で最後かな。」と妻が言っていた。





たった一年後に、再びみんな集まる事になってしまった。


顔ぶれを見て、披露宴の事を思い出した。

http://secret.ameba.jp/loveemichan/amemberentry-11846810442.html



80代の妻の叔父は、妻の死をいったいどういう気持ちで見送っただろうか。


たった一年でこんな事になってしまって、向こうの親族に顔向けができなかった。






私の親族にも80代後半の大叔父がいて、披露宴のときは来てくれたが今回は「辛すぎて来れない」と言っていた。




通夜と同じく、沢山の人達が来てくれた。



妻の親友で、付き合っている頃は一緒にWデートした友達は、会社を休んで2日とも参加してくれた。

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11763415415.html

http://ameblo.jp/loveemichan/entry-11769369276.html



お経が始まっても、この状況は到底受け入れる事ができなかった。



この状況が全て夢であってほしいと思った。


和尚さんは妻の戒名を決めてくれた。



戒名には、よく生前の名前が一文字入るのだけれど、妻の戒名は珍しく名前がそのまま入っている。



妻の戒名は気に入っている。


名前の前に「清らか」の『清』という字と、後ろに「純粋」の『純』の文字が入っている。




お経が終わり、和尚が言った。


「あみんさんの生涯はあまりに短く、そして純粋すぎた。」





和尚たちが退出し、妻にお別れの挨拶をする



お棺は祭壇から部屋の中央に運ばれ蓋が取り外される。




皆、妻に別れの言葉をかけながら、順番に花や思い出の品、手紙などを入れていく。



私の順番が回ってきた。



妻は目が悪かったので、家で使っていた縁の赤いメガネと、誕生日にプレゼントしたポーチを入れた。



「あみちゃん、生まれかわったら、また俺と出会ってくれよ。また俺と結婚してくれよ。」


そう妻に語り掛けた。




言葉を発したとたんに、涙が止まらなくなった。



お通夜では耐えられたが、告別式では無理だった。



人前で泣いたのは、大人になって初めてだ。





最後に弔問客に挨拶をしなければならないが、セリフは全て吹っ飛んでしまった。



仕方なく、書いてある紙を取り出して読んだ。




そのままの流れで、火葬場に移動した。







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