通夜が終わり、皆帰っていった。
その日の夜は、父と二人で交代で斎場で寝泊りする事になった。
前日までは妻は布団に寝かされていたので、横に寝て髪や頬に触る事ができたけど、もうお棺に入れられている。
会場から僕らが寝泊りする控え室にお棺ごと運ばれていた。
仕方がないので、父が奥で寝ている間にお棺の小窓をあけて髪をなでたり、小声で語りかけたりしていた。
朝が来て、控え室にも親族達が続々と集まってきた。
葬儀社から告別式の流れの説明を受けたり、親族へ挨拶やお願い事をしたり、、、。
悲しんでいる時間などあまりない。
甥っ子達もまだ小さいので、あまり理解をしていないようで控え室を走りまわる。
遺影をひっくり返しそうな勢いだ。
甥っ子達は人懐っこいので、親族や義両親の前でおどけたり、遊んだりして場を和ませてくれた。
妻の親族達も大阪から駆けつけてくれた。
義父が末っ子だけど68歳なので、大阪の親族は70代~80代で皆高齢だ。
ちょうど一年前に披露宴に来てもらった時でも「遠いし高齢だから、私の親族がこれだけ集まるのは最初で最後かな。」と妻が言っていた。
たった一年後に、再びみんな集まる事になってしまった。
顔ぶれを見て、披露宴の事を思い出した。
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80代の妻の叔父は、妻の死をいったいどういう気持ちで見送っただろうか。
たった一年でこんな事になってしまって、向こうの親族に顔向けができなかった。
私の親族にも80代後半の大叔父がいて、披露宴のときは来てくれたが今回は「辛すぎて来れない」と言っていた。
通夜と同じく、沢山の人達が来てくれた。
妻の親友で、付き合っている頃は一緒にWデートした友達は、会社を休んで2日とも参加してくれた。
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お経が始まっても、この状況は到底受け入れる事ができなかった。
この状況が全て夢であってほしいと思った。
和尚さんは妻の戒名を決めてくれた。
戒名には、よく生前の名前が一文字入るのだけれど、妻の戒名は珍しく名前がそのまま入っている。
妻の戒名は気に入っている。
名前の前に「清らか」の『清』という字と、後ろに「純粋」の『純』の文字が入っている。
お経が終わり、和尚が言った。
「あみんさんの生涯はあまりに短く、そして純粋すぎた。」
和尚たちが退出し、妻にお別れの挨拶をする
お棺は祭壇から部屋の中央に運ばれ蓋が取り外される。
皆、妻に別れの言葉をかけながら、順番に花や思い出の品、手紙などを入れていく。
私の順番が回ってきた。
妻は目が悪かったので、家で使っていた縁の赤いメガネと、誕生日にプレゼントしたポーチを入れた。
「あみちゃん、生まれかわったら、また俺と出会ってくれよ。また俺と結婚してくれよ。」
そう妻に語り掛けた。
言葉を発したとたんに、涙が止まらなくなった。
お通夜では耐えられたが、告別式では無理だった。
人前で泣いたのは、大人になって初めてだ。
最後に弔問客に挨拶をしなければならないが、セリフは全て吹っ飛んでしまった。
仕方なく、書いてある紙を取り出して読んだ。
そのままの流れで、火葬場に移動した。