35.パート開始 | いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

いつかまた君と会う日のため(自殺・自死遺族ブログ)

2013年12月、最愛の妻をうつ病による自死で亡くしました。
結婚して1年1ヶ月、あまりにも短すぎました。
体に障害があったけど、懸命に生きていた妻。
妻の事を忘れない為、初めてブログを書きます。

3ハネムーンから帰って、しばらくは夢見ごこちだった。



またいつか、クルージングに行きたいな。


でもそんな長い休みなんて取れないから、仕事を引退した後かな、、、。



そんな事を思いながら、新聞にクルージングのツアー広告なんかが載っていると、「これいいよね」とか妻に見せていた。




ハネムーンから数日後、、、、。


「そろそろパート初めてみようかな。何か私が出来そうないいパートないかな、、、。」

妻がそう言って相談してきた。


「もう働くの?10年頑張ったんだから、もう少しゆっくりしたら?」



妻は前の職場の市役所でも退職当日まで残業していたし、一緒に暮らし始めてもあまりゆっくり過ごした感じもなかった。


「市役所やめる前に、知り合いの人事の人に図書館に空きがないか聞いてみたよ。

とりあえず私の条件を書いておいたけど、ちょっと難しそうなんだよね」


妻は図書館司書の資格を持っていたので、できれば図書館で働きたがっていた。

それに妻は本が好きだったし、高校の時は文芸部の部長だったとも聞いていた。


昔は恋愛小説も書いていたそうだった。

女子高・女子短大卒で、恋愛未経験だった妻の小説を見たいと思い「批評してあげるから俺に一度見せてみい。」

そう聞いたことがあったが、一言「やだ!」と言って断られた。



図書館は妻のイメージにぴったりだったが、残念ながら条件があわず採用されなかった。



「yoshiちゃんは、私に働いてほしい?」


「俺はどっちでもいいかな。あみちゃんが働きたかったらそうすればいいし、家にいたかったらそれでも全然問題ないよ。

俺の給料だけでも生活できるんだから。

まあ、少しゆっくりしてから探せばいいんじゃない?」



それからは、夜仕事から帰ってきても、明かりのついたキッチンでなれない手つきで夕飯を作っていたりする姿が微笑ましかった。


「ちょっと待っててね、まだ少し時間が掛かりそうだから」


私は妻の料理する姿を見ながらビールやワインを飲むのが好きだった。

そして手分けして妻の料理を手伝ったりした。



特に魚や肉の焼き加減には、妻は細心の注意を払っていた。


障害の関係で、生焼けでお腹をこわすのを極端に恐れていた気がする。



「この魚、火が通ってるかな?肉は大丈夫かな?」

そんな質問は何度されたか分からない。


一人暮らし暦が長かったので、家事に関しては私の方が得意だった。


「大丈夫だよ。それだけの時間焼いてたら、完全に火は通ってるよ。

心配なら水か酒を入れて蒸し焼きにしても大丈夫だよ。」


そういって、肉や魚を箸で割って、中身を確認して安心させた。




ある日。


「yoshiちゃん、市役所の同僚から良いパート先を紹介してもらったよ。

今度見学に行ってみて、よければすぐ決めようと思うんだけどどうかな?」


妻が言うには市の勤労会館の受付業務らしかった。

パートさんは皆60代の女性ばかりで、ちょうど一人辞めるので紹介されたらしい。


週三回勤務で、受付なので身体の負担も少なそうだった。


「ただ、土・日のどちらかは出勤なんだよね、、、、。」


週末は一緒に過ごしたいと思っていたので、私としては少し不満が残った。




「でもこれを逃したら、こんな好条件のパート先、中々ないんだよね。」



翌日妻は見学に行き、もう半ば決めてきていた。

周りのパートさんも親ほど歳の離れた人達だし、業務も楽そうだとの事だった。




*結婚前からの妻の希望:結婚して扶養に入り、週3のパートで働く。


全ての条件が整っていた。




「いいんじゃない?そこに決めちゃいなよ。」


そう妻に言った。


翌週から妻は働き始めた。


ハネムーンから2~3週間しかたっていなかった。

もうちょっとゆっくりすればいいのに。



妻の意見を全面的に認めたものの、そう思っていた。




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