気功術の要所【胞中】その24 『縁覚界という霊格のイメージ』 | 星のたからばこ☆彡 本物の気功整体×ヨガ×ヒーリング×スピリチュアル×風水

星のたからばこ☆彡 本物の気功整体×ヨガ×ヒーリング×スピリチュアル×風水

無料公開の動画がいっぱい!
気功整体・遠隔ヒーリング
真気功ヨガ・チャネリング
風水術・占い
波動グッズ
自己啓発・自己浄化・瞑想法
チャクラ開発、サードアイ開眼、高次元アチューンメント
衣食住と生命にまつわる全てに高次元波動を。

声聞界の続きです。


菩薩のリングのできる人は身の回りの色々なモノ、その瞬間の自分の意識、記憶に残るあの時の自分の意識なんかの霊格を調べるといいでしょう。

また、下記のことも調べてみると自己のネガティブ度合いを推し量ることに役立つかもしれません。

【今の自分の横隔膜】
→顕在意識のネガティブがベットリへばりつきやすく、霊格の高いマントラ行を声に出して行うか、治臓術を受けるか、相当な充実感を味わった時でないと浄化作用が起こりにくいので、ズーンと落ち込むかもしれません。


【今の自分の胞中】
→これまでの人生で自他から受けた精神的なエネルギーの集大成です。
色々な経験を足し算、引き算した集大成です。
治臓術を受けたり、胞中の最適化に取り組んだりすると、良くなりやすいです。


【今の自分の副腎】
今の自分の精神状態と、食生活の状態、栄養素の状態、これらの影響を常に受けて霊格がコロコロ変わりやすい器官です。
他人の力ではなんともならない部分でもあります。


【自分の脳】
これはけっこうショッキングです。
測定して落ち込む人が続出かもしれません。
良くも悪くも、自分が陥りやすい精神状態のクセが、脳の霊格に表れます。
他人の力ではなんともならない部分でもあります。


食事療法もサプリメントも、気功も波動グッズもヒーリングもマントラも【道具】または【方法】として認識することが大切。
【道具】や【方法】を組み合わせて【自力解決】を目指すことが重要ですね。

【自力解決】のために利用していただく【ツール】について、気功的または波動的な側面から可能な範囲でのみ、提案させていただきたいものです。


では、参りましょう、 縁覚界です。



▽縁覚界所具地獄界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験的な追求を根本とした自己の覚りへの執着のために苦しんでいるとき。

・自分の美的感覚や音楽的感覚や身体的な感覚の素晴らしさを感じながらも、これまでの自己を脱皮できずに苦しんでいるとき。
・ヨガや武道や武術や拳法の熟練者が、更なる境地を開けずに悩んでいるとき。
・民族音楽やクラシックの作曲家や演奏者が、調子が悪くて苦しんでいるとき。
・美術家が創造の苦しみを味わっているとき。
・山や自然との一体感を感じながら悶々と悩み苦しんでいるとき。



▽縁覚界所具餓鬼界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験的な追求を根本とした自己の覚りへの執着のために見境のなくなっている状態。

たとえば、

☆アナ雪の歌で、
「降り始め ~ 一人の私」
→餓鬼界所具縁覚界

「風が ~ もうやめよう」
→縁覚界所具餓鬼界

「ありのまま ~寒くないわ」
→餓鬼界所具仏界

「悩んで ~試したいの」
→縁覚界所具餓鬼界

「そうよ変わる ~ 涙は流さないわ」
→餓鬼界所具仏界

「冷たく ~ 輝いていたい」
→縁覚界所具餓鬼界

「 もう決めたの ~ 寒くないわ」
→餓鬼界所具仏界



▽縁覚界所具畜生界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験的な追求を根本とした自己の覚りへの執着から、他人をマインドコントロールしようとしているとき。

たとえば、
・自分の美的感覚や音楽的感覚や身体的な感覚の素晴らしさを最高として、それをもって他人に尊敬されようと四苦八苦しているとき。
・ヨガや武道や武術や拳法の熟練者が、得意気に自分の(流派の)素晴らしさを語って悦に入っているとき。
・民族音楽やクラシックの作曲家や演奏者が、自慢気に演奏しているとき。
・美術家が自分の作品の素晴らしさを最高として、悦に入っているとき。
・山や自然との一体感を感じていながらも、自分の感覚を最高として、マナーや瞑想法や修行法の能書きをたれているとき。



▽縁覚界所具修羅界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験的な追求を根本とした自己の覚りへの執着から、他人への「怒り」「怨み」「焼きもち」といったネガティブな感情を晴らそうとしているとき。

たとえば、
・感覚的に覚った真実に基づいて生きようとして、自分の感性とは異なる人を否定しているとき。
・ヨガや武道や武術や拳法の熟練者が、他流派の否定や嫌悪感をあらわにしているとき。
・民族音楽やクラシックの作曲家や演奏者が、感性の異なる人に怒りや嫌悪感を抱いているとき。
・美術家が他人の作品をコケにしているとき。
・武道や武術や拳法の達人が、他流派の否定や嫌悪感をあらわにしているとき。
・山や自然との一体感を感じていながらも、マナーの悪い登山者にプンプンしているとき。



▽縁覚界所具人界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験的な追求を根本とした自己コントロールをしているとき。

たとえば、
・感覚的に覚った真実に基づいて生きようとして、自分の言動を判断しているとき。
・ヨガや武道や武術や拳法の身のこなしや瞑想状態を、普段の生活にも応用しようと自己コントロールして、炊事洗濯掃除など普通の生活をしているとき。
・民族音楽やクラシックの音楽的感覚を感じながら、更なる向上のために反省したり、前進の方法を考えたりしているとき。
・美的な創造のために、作り方を考えたり感じようとしたり練習をしているとき。
・自分の肉体の声を感じて、食事をコントロールしているとき。
・身体感覚や相手の様子、周囲の環境から感じられることを分析判断しながら技の訓練をしたり身体強化をしているとき。
・山や自然との一体感を感じながら、身体強化や健康や安全や環境保全やリサイクルに繋がる行動をしているとき。



▽縁覚界所具天界
瞑想、音楽、美術、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの深い体感へと赴く過程での、一過性の喜びに包まれているとき。

たとえば、
・練習中に、テクニックを超えた本源的な音楽表現に近づいたことを喜ぶ先生や生徒。
・自分が思う通り感じた通りの音楽表現や身体表現ができているとき。
・美術、伝統工芸のナイスな作品が「できたーっ!」ときの制作者。
・合気道の技ができたりコツがつかめたとき。
・人を殺さない傷つけないための拳法や武術や武道の技ができたりコツがつかめたとき。



▽縁覚界所具声聞界
瞑想、音楽、美術、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの深い体感のために、人や書物から学んでいるとき。

・ポーズやファッションを超えたヨガのお手本を見て、真似をしようとしているとき。
・テクニックを超えた本源的な音楽表現をするためにレッスンを受けているとき。
・美術、伝統工芸の作品を観賞したり製造過程を見学しているとき。
・自分が宗教的体験を得るために人や書物から学んでいるとき。
・自分がそうなっていくために、合気道のすごいお手本を見ているとき。
・人を殺さないための、傷つけないための拳法や武術や武道を自分が身につけるために、師匠のお話を伺っているとき。



▽縁覚界所具縁覚界
瞑想、音楽、美術、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験のなかで、自己感覚の広がりを実感して感動しているとき。

たとえば、
・ポーズやファッションを超えたヨガの訓練中。
・テクニックを超えた本源的な音楽表現の醍醐味を味わっている演奏者や歌手。
・美術、伝統工芸の技を学んでいるとき。
・個人的な修行による宗教的体験を得ているとき。
・恍惚と何かを感じながら山や森や公園の散策をしている人。
・モノや草木や花の声を聴きながら心打たれているとき。
・合気道の練習に没頭しているとき。
・人を殺さない傷つけないための拳法や武術や武道を訓練しているとき。



▽縁覚界所具菩薩界
瞑想、音楽、美術、伝統工芸、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合い、武道や武術や拳法といったジャンルの体験のなかで得た自己感覚の広がりを他人のために真心の善意で伝えようとしているとき。

たとえば
・真心でレッスン中の瞑想やヨガの先生。
・テクニックを超えた本源的な音楽表現の醍醐味を指導しているときの先生。
・美術、伝統工芸の技を後世へ伝え残すために、弟子を指導しているお師匠さん。
・自らが体感した宗教的体験を、真心で人のために役立てようとしている人。
・真心で体験者を指導している山伏さん。
・恍惚と何かを感じながら山や森や公園の掃除をしている人。
・植物の声を聴きながら漢方薬や薬草を作ったり調合したりしている人。
・合気道の指導を人のためにしている先生。
・人を殺さない傷つけないための拳法や武術や武道を、愛をもって指導している先生。



▽縁覚界所具仏界
瞑想、音楽、美術、読経、登山、長距離マラソン、ヨガ、自然との触れ合いといったジャンルの体験のなかで、自分の外側   または   自分の内側   または   自分の内と外 に存在する何か尊い存在を感じて恍惚としているとき。

たとえば
・仏教やキリスト教の宗祖や高僧から教えを受けて感覚的に(内面的な体験として)それを理解し、心から感動しているとき。
・カント、ユゴー、シラー、トルストイ、ゲーテといった偉人の書物に学び、覚りを得たような心境に浸っているとき。
・理数的または物理的な法則から永遠の自然の摂理を脳裏で描き、悦に入っているとき。
・クラシックや民族音楽を聴きながら、音楽の指し示す何か宗教的な存在を深く感じて感動しているとき。
・仏教やキリスト教の書物から学び抜き、神仏の心を深く感じたり、因果律を心から納得して感動しているとき。



つづく。