創世記2章・エデンの園の実在性 | ヨハネのブログ

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 エデンの園は現在実在する場所や川と結び付けられています。四つの川がエデンから流れ出ていました。ピション川、ギホン川、ヒデケル川、ユーフラテス川です。(創世記210-14


 ヒデケル川はチグリス川の古代の呼び名です。
ヒデケルは古ペルシャ語ではティグラーとして知られ,チグリス川を表わすギリシャ語名はここから来ています。それらの川の流れは時の流れと共に変わってしまいました。おそらくノアの大洪水の時に地形も大幅に変わってしまったでしょう。



                DSCF2713 by gypsy in moda(tigris1)
    エデンの園から流れていたチグリス川は今でも流れています


それでも、エデンの園から流れていたチグリス川とユ-フラテス川は現代でも中東に流れています。ですからおそらくエデンの園はそのふたつの川の上流にありました。




    Dura Europos, Euphrates by Arian Zwegers(Euphrates)
エデンの園から流れていたユーフラテス川も今でも流れています



 エデンの園から流れる四つの川は現在よりも非常に広範囲に流れていたようです。エデンの園から流れる第一の川はピションというハビラの全土を巡る川でした。(創世記211)昔と今とは地形が違っているでしょうから、必ずしもピション川は、チグリス川とユーフラテス川が流れ込むペルシャ湾に流れ込んでいたとは限りません。



ピション川の流れていたハビラの全土とはどこでしょうか。ハビラとはどこであるかはっきりとは分かりませんが、サムエル第一によると、ハビラはアマレク人の領地を含んでいました。アマレク人の領地の中心はパレスチナ南部で,それはシナイ半島の北西部にあるエジプトに近いシュルからアラビア北部へ広がっていました。(サムエル第一15:7。出エジプト15:22。創世記25:18)ですから、ハビラとは、パレスチナの南部とアラビアの北部を含んでいたと考えられます。



ハビラの全土には、金と縞瑪瑙とプデリウム樹脂がとれると述べられています。(創世記2:11,12)確かに、金と縞瑪瑙とプデリウム樹脂は今でも、アラビア地方で採れます。ですから、エデンの園について述べる聖書の記述は、現代にも通ずる現実です。


例えば、今でもアラビア地方のサウジアラビアでは金が取れます。サウジアラビアにはサウジアラビア国営鉱業会社(マアデン)があり、その年間金生産量目標は10トンです。



縞瑪瑙(オニックス)は、昔は、ネットの情報によると、アラビア半島の西側の幾つかの場所で採取されていて貿易されていたようです。中近東では縞めのうやめのうなどの宝石でできた 印章がよく見つかっているそうです。しかし、縞瑪瑙は世界中でとれ日本でもとれます。



縞瑪瑙には、黒色と白色が層状になっている黒縞瑪瑙(ブラックオニクス)と紅縞瑪瑙(サードニクス)があります。古くからカメオ細工の材料として用いられています。モーセの律法下で、大祭司が着けた裁きの胸当てには、十二個の宝石が使われていましたが、そのひとつは、縞瑪瑙でした。(出エジプト記 287– 21)また、縞瑪瑙は新しいエルサレムの土台石のひとつとしても用いられています。(啓示211920



           (onyx2)黒縞瑪瑙

                  (Sardonyx2


             サードニクスとは紅縞瑪瑙

縞瑪瑙は昔北アラビアでとれて貿易されていました

昔ピション川が流れていたハビラは北アラビアだったと考えられます



プデリウム樹脂とは、コンミフォラ・アフリカーナ(Commiphora africana)というが分泌する樹脂のことです。その木は、アラビアとアフリカ北西部とインド北西部に見られます。その樹脂は,外観は白い真珠に似ています。ミルラ(Myrrh)、没薬とも呼ばれます。ミルラは聖なるそそぎ油の一成分でした。(出 30:23‐25 )衣や寝床,その他の品々に香りを付けるのに用いられました。(詩 45:8; 箴 7:17; 歌 3:6,7



 

それで、創世記は、エデンから流れ出ていたピション川の流域が、ハビラであって、そこでは金とプデリウム樹脂と縞瑪瑙が取れると述べていますが、現在でも、それらのものがアラビア地方でとれます。



エデンの園から流れ出ていた第二の川は、ギホン川で、その川はクシュの地を流れていたと書かれています。(創世記213)モーセの妻でミディアン人のチッポラは「クシュ人」と呼ばれています。(出エジプト18125;民数記121)ですから、クシュの地とは、ミディアンの地、すなわちアラビア半島の中の一地域も表しており、ギホン川は、アラビア半島も流れていたのでしょう。



また、クシュ人とは肌の黒い系統の主要な先祖と考えられます。(エレミヤ1323)セプタギンタ訳の翻訳者たちはヘブライ語のクシュの訳語としてギリシャ語エチオピアという名称を当てました。ですから、昔は地形が今とは違って、ギホン川は、アフリカのエチオピアも流れていたのかもしれません。それで、エデンの園から流れていたギホン川は昔は、紅海もしくは地中海辺りに注ぎ込んでいたのかもしれません。



それで、エデンの園から流れていた四つの川は、今とは違って昔は、アラビアの北部も流れており、遠くアフリカまで流れていたのかもしれません。ピション川の流域のハビラに関する描写は、今日でも北西アラビアに当てはまります。ですから、エデンの園は、単に作り話の場所ではなく、アダムとエバが住んでいた実在の場所だったのです。





エデンの園は実在する川や土地と結び付けられる実在した場所です
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ですから、私たちは、エホバ神がアダムとエバを創造されてエデンの園に置かれたという記述をおとぎ話ではなく、実際にあった出来事として読むことができます。私たちは、エホバ神がアダムとエバを通して私たちに命を与えてくださり、人類が存在するようになったことを感謝できます。私たちは、創造者の本である聖書を読んで、神のご意志を行うことによってエホバ神に対する感謝を表しましょう。



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