エレミヤ5章の中にもユダがエホバを捨てて異国の神に仕えた事や、姦淫を行ない続けたことが糾弾されています。(エレミヤ5:7)これらの聖書の記述は、エホバ神が性道徳の基準を守ることを求められ、性道徳において退廃する時に、それらの国家が他の軍事強国から攻撃することを許されたことを示しています。


エホバは、このことをどの国家に対しても、求められるでしょう。とりわけキリスト教を奉じる国家に対してはまず、第一に求められます。


エホバはユダのそれら姦淫を行なう人々を「強い睾丸を持つ盛りのついた馬」になぞえられました。(エレミヤ5:8)馬は、「友の妻に向かっていななく」ようです。(エレミヤ5:8)ユダの不道徳な男も、他の人の妻に対して性的な欲望を言い表したのでしょう。




昔のユダの男たちは盛りのついた馬になぞられられました-友の妻に対して欲望を言い表したのでしょう



さらに、ユダの人々が、「売春婦の家に群れをなして行く」と言われています。(エレミヤ5:7)ユダには、たくさんの売春婦がいて盛況だったようです。



馬、その他の動物にフレーメン反応があります。それは雌の発情しているにおいをかいで、独特な表情をする反応です。私は、その時、いななくかどうかをネットで確認できませんでしたが、おそらく、馬は、そのような反応によって、多くの雌に対して、性的な欲望を表すのでしょう。



昔のユダでは、男性同性愛による買売春も行われており、「神殿男娼」と呼ばれていました。(列王第一14:24)モーセの律法では、男性同性愛は、死刑に規定され、禁じられていました。(レビ20:13)




しかし、申命記では、息子たちに「神殿男娼」になったり、「犬の代価」をエホバの家に携えて来てはならないと命じられています。(申命記23:17,18)それで、聖書は神殿で行われた男性同性愛の男娼を「犬」と呼んでいて、その報酬を「犬の代価」と呼んでいます。



ネットの動画でオスの小型犬同士で交尾をする様子が公開されているようです。それで、確かに、オス同志で同性愛をする犬がいるので、エホバ神はその犬の習性をご存知で男性同性愛者を犬と呼ばれたのでしょう。



昔のエホバの神殿の中で、男娼による賃金のやり取りが行われていたということは、ユダの背教した王たちの公認のもとで、エホバへの崇拝に関連して、男性同性愛の売春夫が置かれ商売が行われていたということを示しています。しかし、アサ、エホシャファト、ヨシヤなどのユダの忠実な王は神殿男娼を除き去るよう努力を払いました。(列王第一15:11,12;22:45,46。列王第二23:7)



昔、日本には江戸時代に東京の日本橋に幕府公認の「吉原」という遊郭がありました。後になって台東区の浅草の近くの山谷にその遊郭が移りました。吉原の女郎買いに夢中になる人を「吉原狂い」と言いました。今でも、宝くじに当たった人などが、巨額のお金を売春婦のために浪費してしまう場合があります。




明治5年(1872年)頃の東京の吉原遊郭
日本には昔政府公認の吉原という売春宿がありました




また、日本では、戦後公娼制度は廃止されましたが、従来の売春宿を特殊飲食店街と呼んでそこでの買売春は黙認されました。そこを警察は、地図に赤線で囲んで印をつけたので、そこは「赤線地帯」と呼ばれました。1957年に売春防止法が施行された時に、赤線は廃止され、ソープランドとして残りました。その時、警察庁調べでは売春婦が12万人いたということです。



日本では、女子を対象にした売春は禁じられていますが、男性同性愛の買売春のビジネスをすることは法律で禁じられておらず罰則がありません。



しかし、人間の法律で禁じられていなくても、聖書は同性愛を禁じています。(コリント第一6:9,10)



Albrecht Dürer – The Men's Bath
同性愛は人間政府が認めていても聖書の神は禁じられています



しかし、日本では、相手が望まないのに、同性愛を強要する人には、罰則があります。強制わいせつ罪は6カ月以上10年以下の懲役となっています。また、ストーカー規制法は異性間にも、同性間でも適用されます。



中国では、新華社の発表によると約200万人が売春に従事しています。中国では、売春の組織的な斡旋は死刑が適用されることもあります。2007年に韓国で27万人が売春に従事していると言われました。また、韓国政府の関係者によると、韓国人の売春婦が日本国内に約5万人いるとされます。



淫行や売春は聖書で禁じられています。(エゼキエル16:15,16。エレミヤ32:)例え、政府が認めてたとしても、周囲で一般的になったとしても、買売春を避けて、エホバ神に受け入れていただけるようにしましょう。




エホバは「あなた方に預言者であるわたしのすべての僕を遣わしつづけた。毎日早く起きては[彼らを]遣わした」と言われました。(エレミヤ7:25)しかし、彼らは、エホバが懲らしめを与えても、立ち返ろうとはしませんでした。(エレミヤ5:3)



人々は、神の律法を守らず、人間を鳥のようにとらえて、欺きによって富を得ました。(エレミヤ5:26,27)そして、彼らは「悪いことであふれ」ました。(エレミヤ5:28)



それで、エホバはことのために「言い開きを求め」「このような国民に復しゅうをすべきではないか」と言われました。(エレミヤ5:29)



預言者は、ユダの人々がエホバの律法に違反したので、神が「災い」をもたらすことを告げました。(エレミヤ4:6)神は、「一つの国民」をユダの人々のところに来させ、彼らが、ユダの人々の息子と娘たちを食い尽くし、ユダの収穫と、パンと、羊と牛の群れ、ぶどうの木といちじくの木を食い尽くすことを警告されました。そして、ユダの人々が依り頼んでいる「防備の施されている諸都市を剣で打ち砕く」ことを警告されました。(エレミヤ5:15-17)


しかし、ユダの人々は、雨を注ぎ、収穫を与えて下さるエホバを恐れようとはしませんでした。(エレミヤ5:26)そして、「神はいない。わたしたちに災いが臨むことはない。わたいたちは剣も飢きんも見ないであろう。」と言いました。(エレミヤ5:12)ユダの「民は強情で反逆の心を持つように」なりました。(エレミヤ5:23)


ユダの人々は霊感を受けて語った預言者エレミヤの言葉を真剣に受け取りませんでした。彼らは、創造者への信仰を培いませんでした。そして、神はいない、自分たちの将来は安泰だと考えました。神の律法に違反しながら、日常生活を送りました。



その結果、歴史の事実によると、古代の軍事強国バビロンがユダとエルサレムに攻めて来て、そこの人々は、バビロンに捕らわれになり、ユダとエルサレムは荒廃してしまいました。






Deportation and exile of the Jews of the ancient Kingdom of Judah to Babylon and the destruction of Jerusalem
ユダは売春を禁ずるエホバの律法に違反して軍事強国によって攻撃され荒廃することになりました



エホバ神は今日でも生きておられ、昔と同じ基準を人々が守ることを求められます。エホバ神は、北の王に対しても、南の王に対しても、キリスト教徒に対しても、イスラム教徒に対しても、また、仏教徒に対しても、また、他の宗教を持っている人々に対しても、姦淫や売春や偶像崇拝を禁じられています。そして、ご自分の律法を守らない国家や人々が災いを被ることを予告されています。



私たちは、創造者エホバを恐れて、エホバの律法を守るようにしましょう。来るべき災いを逃れるための手を打ちましょう。





David Sifry
売春はエホバに不興を買う行いです-たとえ一般社会で受け入れられていても売春を避けてエホバの是認を求めましょう


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エレミヤ32章によると、バビロンに包囲されていたエルサレムで捕らわれの身にあったエレミヤにエホバの言葉が臨み、エホバは、エルサレムがバビロンの王の手によって焼かれることをさらに確証されました。(エレミヤ32:28,29)エホバ神が、ユダの人々をバビロン王の手に渡すことにされたのはどうしてでしょうか。


それは、ユダの人々の偶像崇拝のためです。ユダの人々はバアルなどのほかの神々に崇拝を捧げました。(エレミヤ32:29)また、エホバの家に偶像を置きました。(エレミヤ32:34)


さらに、ユダの人々はヒンノムの子の谷で、バアルの高き所を築き、息子や娘を異教の神のモレクに「火で焼いて」捧げていました。(エレミヤ19;5;32:35。エゼキエル20:16)それは子供を殺すことを意味していました。





Rex Morache Follow Molech's Baby Killers Modern Molech
ユダの人々はモレク神に子供を火で焼いてささげました-それは現代に何を意味していますか




エホバ神はイスラエル人にモーセの律法を与えました。モーセの律法の十戒の中には殺人と偶像崇拝を禁ずるおきてが含まれていました。(出エジプト20:4,5,13)しかし、イスラエル人は、モーセの律法を守りませんでした。イスラエル人は、偶像崇拝を行ない続けました。



昔ユダがエホバ神を怒らせユダとエルサレムに滅びをもたらした、子供を偽りの神に火で焼いて捧げることは今日、何を意味するでしょうか。文字通りに子どもを火で焼いて偶像の神に捧げることは、今日行われないでしょう。



まず、国家が国民を徴兵して、戦争に狩り出し、そのために国民が死亡するならば、それは、国民を異教の神に捧げて殺すことを意味する事になるでしょう。つまり、国家主義というひとつの神、あるいは、ひとつの宗教のために子供を犠牲にすることになります。昔、第二次世界大戦中に、戦地に向かった兵士はお国のために戦うと考えました。それは、崇高なことだと考えられました。




German Navy officers' visit to Yasukuni Shrine (March 1937)
国のために子どもを兵士として戦わせることは異教の神に子どもを捧げて殺す偶像崇拝と同じです





しかし、聖書の視点は異なっています。当然人殺しは、聖書の中で、禁じられています。(啓示21:8)さらに、キリストは、クリスチャンに武器をとって戦うことを禁じています。(マタイ26:52)






U.S. soldiers take cover during a firefight with insurgents in the Al Doura section of Baghdad 7 March 2007
クリスチャンが武器をとって人殺しをすることは神の怒りを買います




聖書は、国家を野獣として描写している場合があります。理性のない野獣のように国家は互いに戦い合うことがあります。聖書はクリスチャンに国家に敬意を払い、従うことを勧めています。(ローマ13:1)でも、神の律法を無視して国家に盲従する事を野獣の崇拝と述べて禁じています。(啓示13:4; 14: 9, 10)






Phillip Medhurst
国家のために戦うことは崇高なことだと考えられていますがエホバの目には野獣の崇拝です



ですから、クリスチャンで、神の是認を得たいと願うならば、人殺しは避ける必要があります。もし、その国家が国民に対して武器をとって戦うことを強制するならば、クリスチャンが聖書の神の是認を保ちたいと願うならば、その国から出る必要が出て来るでしょう。



さらに、親が子供を殺すことで思い浮かぶのは、堕胎です。多くの人は、胎児は人間であるとは考えていません。しかし、聖書を見ると、母親のお腹の中にいる胎児もエホバ神は人として、ご覧になっています。(詩編22:10)受精した卵子も胎芽も神にとっては一人の人間です。(詩編139:14-16)





lunar caustic - Embryo
母親の胎内の胎児はエホバの目に一人前の人間ですから胎児を殺すのは殺人です





これは、一般の人が考える殺人よりも、エホバ神が考える殺人の範囲が広いことを意味しています。また、多くのカトリック教会は、中絶を殺人とみなしていて、子供を妊娠した時に、そのまま出産することになります。また、一部のプロテストタント教会でも、中絶を殺人とみなしています。また、エホバの証人も中絶を罪とみなしています。



そのため、中絶を殺人とみなしている宗教グループの家庭では、子だくさんになる傾向があります。そのような家庭では、家族の人数が多くなるために、多くの場合、家族が貧しいという結果になります。


世界の国々や地域の幸福度を調べた調査があります。確かに、経済レベルが高いと幸福度が高くなるという傾向はあります。しかし、世界中の国家の幸福度を調べてみると、必ずしも、経済レベルと一致しません。貧しくても幸福度は割と高いという地域もあります。



多くのキリスト教諸国家、とりわけ、カトリックの影響力の強い地域で、経済レベルにかかわりなく、幸福度が高い傾向があります。家族の絆を大事にする家庭では、家族の支え合いがしっかりとして、精神面、感情面での幸福度は高いという結果になるでしょう。(詩編128:3)





また、発展途上国などでは、子供も、家族にとって貴重な労働力とみなされる場合が多くあります。勢い、子供の数が多くなっても気にしません。また、発展途上国では、非常に多くの家族が貧しく、大家族であることが多いために、生活費を抑えて、貧しい生活を送っていることを気にしません。





A family from Basankusu, Democratic Republic of the Congo. Francis Hannaway
発展途上国では貧しい生活を送ることを気にせず堕胎をしないので家族が互いの命を尊重し家族の絆が強くなり人々の幸福度が高くなる場合があります





家族の絆が強く、助け合いが行われている場合、一般的に幸福度は高くなります。そして、目に見えない神への信仰も幸福度の向上に貢献します。



さらに、子供の数が多いと、子育て中は、経済的に大変ですが、子供が大人になって皆が働くようになると、その家族は全体的に経済的に豊かになるという状況が見られる場合もあります。その結果、今日多くの発展途上国で、全般的に経済的に発展しているという状況も見られます。



しかし、多くのキリスト教諸国家で、教会員が教会の教えを守らないという事態が見られます。そのため、教会員が家族を大切にしなかったり、平気で殺人や盗みをすることになれば、幸福度は低くなるでしょう。



一方、一般的には、先進国では、先進国では、昔よりも、生活費が一般的に高くなっています。子育てのために膨大な費用がかかります。発展途上国のように、ただ子供に食料と最低限の衣服を備えればいいというわけにはいきません。どの家庭も、家に何台ものテレビや何台もの車を持っていたりします。皆が、固定電話だけでなく、携帯をひとりひとり持ちます。





そうすると、生活費が昔より高くなります。また、子どもにも、テレビや携帯を買って与えたり、塾に通わせたりします。すると、子育てにお金がかかります。多くの若い親たちは、子育てのための高額の費用を負担できないと考えます。そのため、母親が妊娠したことに気づいても、産婦人科の病院に行って堕胎をすることが行われます。








Ed Yourdon
昔よりぜいたくになりひとつの家族当たりの生活費が高くなっているので夫婦の子供の数が少なくなっています




堕胎は殺人です



また、ネットを調べると、伝統的な仏教では、不殺生戒が最も重要な戒律であり、中絶に反対しているとあります。また、仏教でも、生命の始まりは性行為である、つまり、受精し胚になった段階で生命とみなし、それを破壊することは殺生であるとの考え方が一般的であるとあります。



ところが、私は日本の仏教のお寺のお坊さんが堕胎がいけないと教えていると聞いたことがありません。普通、仏教の教えに触れるのは、お葬式の時なので、堕胎について触れることがないからでしょう。



そして、以前宗教を持っていた人がその信仰に対して信仰心を失ってしまった場合や、信仰心を捨ててしまった場合、平気で堕胎を行なうということになるでしょう。また、宗教を持たない人には、何の倫理観も存在しないため、とりわけ、堕胎や殺人について、何らの罪のとがめも感じないということになるでしょう。


それで、とりわけ、先進国で、堕胎が広く行われているでしょう。日本では、厚生労働省の統計によると、一時的には一年に100万人の人工妊娠中絶が行われてきましたが、現在では、一年に約30万人弱の妊娠中絶が行われているようです。



今、日本は、少子高齢化で、一年に約30万人弱、人口が減少しています。しかし、もし、人工妊娠中絶を行なうことを一切避ければ、日本の人口は、減らないことになるでしょう。そして、将来の日本の税収も減らないということになるでしょう。






人工妊娠中絶を避けるなら日本の人口は減らないでしょう



しかし、子供が奇形であると判断されて、母親に堕胎が勧められることがあります。しかし、妊娠時はとりわけ薬の服用や喫煙やパソコンや携帯などの電磁波が発生する物を避けるという一般的な注意を守ることによって子供の障害はかなり避けられるでしょう。


また、結婚していないのに、性関係を持って妊娠してしまい堕胎をするという人も多いでしょう。それで、堕胎という神の目に殺人を犯さないためには、きちんと結婚してから、性関係を持つ方がいいことになります。




Jonathan Day
きちんと結婚した後に性関係を持つと堕胎をせずにすみます




また、子どもを育てる家庭の場合、他の人と異なる生活をすることを恐れないならば、子供の数が増えても、子育てをすることができます。例えば、車を持つことは、便利であっても、家計に負担になることを考えて、家族が車を持たないようにするという選択もありえます。







家族の生活費を節約すれば生まれた子供を堕胎をせずに育てられます




また、子供に必ずしも携帯を持たせたり、ゲームをやらせたり、必ず、塾に通わせたりしなければならないということはありません。子供の教育については、塾に通わせるのではなく、親子で一緒に図書館に行って、本を読むようにすることによって費用をかけずに子供の知的な能力や学習力を自由に伸ばすことができるでしょう。


また、できるだけ祖父母の近くに住めば、子どもの世話が必要な時、祖父母の協力も得られるでしょう。そのようにすれば、保育所の費用を節約できます。それで、さまざまな方法で、できるだけ費用をかけずに、子育てをするよう工夫をすることができます。



周囲と同じ生活スタイルを持たなければならないという圧力に抵抗し、自分の家庭が他と異なっていることを恐れないという態度が必要でしょう。また、そのようにする理由を子供たちにもきちんと説明してあげることが必要です。そのようにすれば、子供も他の家族と異なっていることを嘆くことはないでしょう。



このように知恵を働かせることによって、堕胎という殺人の罪を神の前で、犯すことを避けることができます。それは、エホバ神との良い関係をもたらし、神に祈りも聞いていただけるでしょう。また、堕胎が神に対する罪であることを知らずに、堕胎をしてしまった場合は、エホバ神にキリストの贖いの犠牲に基づいて、罪の許しを願い求めましょう。
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エレミヤ7章には、バビロンから攻撃される前のイスラエル人が神の言葉に聞き従わず、さまざまな律法違反にふけったことが記されています。この章は、どんな行いがエホバ神の怒りをもたらし、エホバの保護を失わせ、自らに災いをもたらす結果になるかを示しています。





その当時、イスラエルの人々は、さまざまな悪い事を行ないながら、それでも、「これらはエホバの神殿だ。エホバの神殿だ。エホバの神殿だ」と言いました。(エレミヤ7:4) 人々は、「忌むべきことを行なっていながら」『わたしたちはきっと救い出される』と言っていました。(エレミヤ7:10)人々は、自分たちの土地にエホバの神殿があるので、それが保護になって自分たちがいつまでも安泰であると考えていました。




しかし、実際は、ユダの人々のさまざまな悪い行いのために、エホバ神はご自分の「怒りと激怒」は「この場所に」「注ぎ出される」「それは必ず燃え消されることはない」と言われました。(エレミヤ7:4)






conflagration

人々の律法違反のためにエホバの怒りが注ぎだされることになるとエホバは言われました






ユダの人々は何をしていたのでしょうか。ユダの人々は、トフェトとヒンノムの子の谷で、息子や娘を「火で焼いて」異教の神に捧げていました。(エレミヤ7:31)それは子供を殺すことを意味していました。また、ユダの人々は、エホバの家に、「嫌悪すべきもの」つまり、偶像を置きました。(エレミヤ7:30)





ヒンノムの谷





ヒンノムの谷で偽りの神への偶像崇拝と流血が行われていました






バアル崇拝を初めとして、さまざまな「ほかの神々」を崇拝していました。(エレミヤ7:9)エホバ神以外の神を崇拝することは十戒で第一に禁じられたことでした。(出エジプト20:2,3)




さらに、エルサレムの中では、無実の人々の血を流すことが行われていました。(エレミヤ7:6)例えば、ユダの人々がエホバの言葉を伝えたゼカリヤを石打にして殺したことを聖書は記録しています。(歴代第二
24:20,21)






Gallery:




エルサレムでは無実の人々の血が流されていました







また、ユダの人々は、姦淫や盗みを行ない、偽って誓っていました。(エレミヤ7:9)また、「外人居留者、父なし子、やもめを虐げ」ていました。(エレミヤ7:6)それらの人々の弱さにつけこんで、それらの人々を殺したり、暴力をふるったり、だまし取ったりしていました。(詩編94:6。エレミヤ22:3。エゼキエル22:7。ゼカリヤ
7:10)




しかし、エホバは、イスラエル人が、「自分の道と自分の行ないを本当に良くするなら」・・・「わたしとしてもあなた方をこの場所に」「定めのない時から定めのない時に至るまで必ず住まわせるであろう」と言われました。(エレミヤ7:5-7)




しかし、エホバは異教の神に子供の犠牲が捧げられた場所が、「殺しの谷と呼ばれる」ようになり、そこで、死体が満ちあふれ、「民の死体は必ず天の飛ぶ生き物や地の獣の食物」となることを予告されました。(エレミヤ7:32-34)






エホバは偶像崇拝が行われていた場所に死体が満ち溢れることになると予告されました






それで、イスラエルの人々がエホバの是認と保護を得られるかどうかは、彼らの行いが神のご要求にかなっているかどうかにかかっていました。





そして、エホバ神の側はイスラエル人に呼びかける努力を続けられました。エホバはイスラエル人に、「預言者であるわたしのすべての僕を遣わしつづけた。毎日早く起きては[彼らを]遣わし」ました。「それでも彼らはわたしに聴き従」いませんでした。「彼らはその父祖たちよりも悪いことを行な」いました。(エレミヤ7:25,26)



エホバはユダの人々が不従順な行為を続けるならば、ユダの諸都市とエルサレムが、荒廃してしまうことを警告されました。そして、実際に、ユダの人々は、エホバの言葉に従順に聞き従わなかったので、ユダはバビロンの軍事的な攻撃を受け、エルサレムは七十年荒廃してしまう結果になりました。(エレミヤ25:1。歴代第二36:21)




それで、エホバ神は、ご自分を崇拝すると自称する人々に、流血、淫行、偶像崇拝、社会的な弱者の虐待、盗み、欺きなどを退けることを要求されます。




それで、私たちは自分たちの住んでいる地域で、流血や淫行が行われないように努力を払いましょう。国家が戦争に巻き込まれないように努力を払いましょう。偶像崇拝を避け、エホバ神だけを崇拝しましょう。社会的な弱者に考慮を払いましょう。人の物を盗むことはやめましょう。人々に偽りを語って、お金をだまし取るようなことはやめましょう。





殺人をしてはなりません





淫行を退けましょう






同性愛を退けましょう





盗みはやめましょう





No machine-readable author provided. Gakuro assumed (based on copyright claims).


偶像崇拝は退けましょう



































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現代、聖書を解釈して、その解釈を公表している人々は、現代の預言者と言えます。 現代、聖書を解釈する聖書の解釈者も現代のエホバの預言者と言えます。過去の聖書の記録によると、エホバ神は預言者が偽りを語るならば、その責任を問われました。ですから、エホバ神は現代の預言者たちに対しても、責任を問われることが考えられます。




今日のエホバの証人は、ダニエル書や啓示の書の大半の預言はすでに成就して、残されている預言は、おおむね偽りの宗教の世界帝国である大いなるバビロンの滅びと、この世の終わりであると解釈しています。ですから、エホバの証人の解釈では、この世の終わりと楽園は非常に近いことになっています。





確かに楽園が間近いということであればそれは望ましいことですが、その預言の成就が間近いと言う解釈が間違っているなら重大な事になりえます。なぜなら、ハナニヤは、バビロンからの解放が間近いと預言して命を失いました。また、シェマヤも預言の成就が近いと預言して長生きできなくなり、エホバが預言された良いことを目撃できなくなりました。










 


Piscine du Yapahuwa Paradise Hotel (Sri Lanka)

Ji-Elle  

聖書は確かに楽園を約束していますがそれはエホバの証人が預言する通りすぐに実現しますか









もし、エホバの証人の聖書の預言の解釈が間違っていれば、エホバの不興を買ったハナニヤやシャマヤのようになる危険があるかもしれません。





預言者エレミヤは、人々がユダとエルサレムからバビロンに流刑にされ、その期間は、七十年に及ぶことになると預言していました。(エレミヤ25:12,13)





しかし、預言者ハナニヤはエホバの名によって預言し、2年のうちにバビロンのくびきを打ち砕き、流刑者がバビロンから戻ることになると偽りを語りました。(エレミヤ28:2-4)ハナニヤの預言は、エホバ神から与えられた預言ではありませんでした。





バビロンに捕らわれになっていた流刑者が故国に戻ることは、確かにユダの人々の当然の自然な願いだったでしょう。それで、ハナニヤは、エホバの言葉を度外視して、人々に人気のある人々が望むことを語りました。そして、結果的に人々を偽りの希望に頼らせました。(エレミヤ28:15)





エホバは、預言者エレミヤを遣わして、ハナニヤがエホバの名によって偽りを預言したので、今年死ぬと預言させました。(エレミヤ28:16)ハナニヤはその年の7月に死んでしまいました。(エレミヤ28:17)




このことは、エホバ神はご自分の名によって語られる偽りの預言に対して不興を表明されることが分かります。それは、人々を誤導し、その上エホバのみ名に非難をもたらすからでしょう。





さらに、バビロンにいた預言者アハブとゼデキヤは、エホバが「彼らに命じなかった言葉」をエホバの名によって「偽って語りつづけ」、またその友の妻と姦淫を行ないました。(エレミヤ29:23)それで、エレミヤは、彼らがバビロンの王ネブカドネザルの手に渡され火で焼かれることになることを預言しました。(エレミヤ29:21,22)






エホバ神は、淫行と結びついている偽りの預言を大変嫌われることが分かります。啓示の書の中では、エホバ神は、神の民の淫行と偶像崇拝を厳しく糾弾され、そうしたことを行なっている人々を大患難に投げ込むと警告されています。(啓示2:20-22)



シェマヤは、預言者エレミヤが流刑が長引くと預言していたことに反対して、エレミヤが迫害されるように祭司とすべての人々に働きかけました。(エレミヤ29:26,28)そのようにして、シェマヤはエホバが遣わしたのでもないのに語り、バビロンでの流刑は長引かないという偽りに人々を頼らせようとしました。(エレミヤ29:31)それで、聖書に基づく真の預言を快く思わないで、それを語る預言者を迫害しようとする人がいることが分かります。







エレミヤは、シェマヤはエホバに「反逆を語った」ので、子孫を持たなくなり、バビロンに住む民にエホバが行われる「良いことを見ることはない」と預言しました。(エレミヤ29:32)



エホバ神は昔ご自分の預言に一致しない預言をする偽りの預言者に不興を表されました。ですから、聖書に基づかない偽りの預言を語ることは、エホバを怒らせます。




ですから、現代の預言者たちは、エホバ神と、その預言を聞く人たちの前で重大な責任をになっています。 しかし、普通、聖書の研究者たちは自分の見地から正しいと考える聖書の預言の解釈を語っていると思います。しかし、現代の聖書の預言の解釈者は、たとえ、誠実に聖書を研究していたとしても、聖書の預言の解釈で間違いをする可能性があります。







なぜなら、今は、昔のようにエホバの言葉が聞こえたり、エホバから幻や夢を与えられたり、み使いが遣わされることもないからです。また、聖霊による奇跡的な援助を受けるわけでもありません。




エレミヤは、「平和を預言する預言者」は、「その預言者の言葉が実現する時」に、その預言者が神から遣わされたことが分かると言いました。(エレミヤ28:9)ですから、エホバの証人の解釈通り、世の終わりがすぐに実現するかどうかを見ていく必要があります。





エレミヤの時代の偽りの預言者たちに起こったことを考えると、現代の聖書の預言者は、自分や人々の望むことを語る誘惑に抵抗しなければならないと言えます。また、日々、聖書を読んで洞察し、自分の聖書の解釈が 聖書の音信を忠実に反映したものとなるように努力をする必要があります。










聖書を解釈する際に自分の勝手な判断を入れるのではなくできるだけ聖書によって説明するよう努力することによって神が意図された音信を伝えることができます


 











そのためには、預言の解釈をする際に、できうる限り自分の判断を入れずに、聖書的な根拠に従って解釈するように最善の努力を払うことが必要です。(箴言3:5,6)そして、自分の聖書の預言の解釈が成就していないならば、現在成就していると考えられる預言の解釈に謙遜に耳を傾けることが必要になるでしょう。















日本では、人々がうつ病になって自殺をするという場合が多いです。テレビ番組で、母親を殺すという罪を犯して、裁判で温情のある判決を受けたものの、結局、経済的に困窮し自殺してしまった人のことが取り上げられました。それで、その人はある程度、自分が行なったことに対する罪悪感を抱いていたでしょうし、また、自分の状況に絶望してしまったのでしょう。





私は、その自殺をした男の人は神に信仰を抱いていなかったと思います。また、罪を犯したとしても、聖書の神は悔い改めて神に許しを求めるならば許してくださることも知らなかったと思います。(ヨハネ第一1:9)また、どんな状況に直面しても、神に依り頼む人に神が愛ある親切を示して助けてくださることも知らなかったと思います。(詩編32:10)




聖書の中で登場する自殺に至った人のひとりに元ダビデの親しい助言者であったアヒトフェルがいます。(サムエル第二16:23)アヒトフェルはなぜ自殺に至ったのでしょうか。




聖書中の例はある程度、神に対する信仰を抱いている場合であり、日本のように神への信仰があまりない場合には、当てはまらない場合もあるかもしれません。けれども、アヒトフェルに起こったことから学べる点はあると思います。





アヒトフェルは当然、ダビデと親交のあった時代に神に対する信仰を抱いていたと考えられます。アヒトフェルはとても賢い人で、彼の助言はとても役立ちました。(サムエル第二16:23)




ところが、彼はダビデを裏切って、ダビデに反逆した息子アブサロムに寝返りました。それで、アヒトフェルは、ダビデがエホバの油そそがれた者であることを考慮せず、またそれまで培ってきていたダビデや他の人との絆に忠実を示しませんでした。




アヒトフェルは、油注がれた者であったダビデが神に忠実を保つ努力を払っている限り、それまで通り、ダビデについていた方がエホバのご意志にかなっていたでしょう。エホバ神がダビデに味方して行動されたので、アヒトフェルの助言は、アブサロムの陣営で、尊重されませんでした。(サムエル第二17:14)アヒトフェルは、エホバのご意志に逆らうことになり、うまくいきませんでした。










エホバがダビデの祈りを聞かれたのでアヒトフェルの助言はアブサロムに尊重されずアヒトフェルは落胆して自殺をしてしまいました





彼は落胆して自殺をしてしまいました。私は、一度、自分の助言が受け入れられなかったくらいで、自殺をしたアヒトフェルはもろすぎると思います。普通は人は物事が一度うまくいかなくても、二度、三度とトライします。ところが、彼は、いったん自分の助言が上官に退けられると絶望してしまいました。







エホバ神ではなく自分に頼る人は大変もろく自殺に走りやすくなります








もし、アヒトフェルが神への信仰を少しでも抱いていたなら、彼は物事がうまくいかなくても、神にさらに助けと導きを祈り求めたと思います。




ダビデに災いが起きたのは、ダビデに罪があったからでした。(サムエル第一12:10,11)そして、それが油注がれた者ダビデに反する行動であっても、エホバ神は、アヒトフェルの信仰と彼の観点からの助けを求める祈りに答え応じられることがありえました。エホバ神は、ご自分の際立った僕を尊重されますが、そうではない人の観点や信仰も尊重されるからです。(創世記21:12,17)





または、アヒトフェルは賢い人だったので、アブサロムに対する自分の助言が退けられた時点で、ダビデに対して反抗するアブサロムの企てがうまくいかないと考えたのかもしれません。しかし、アヒトフェルが謙遜で知恵がある人であれば、アブサロムから退けられた時点で、また、ダビデに鞍替えしても良かったかも知れません。











Death of Absalom Tapestry 1817. Public domain via Wikimedia Commons.

実際エホバが油注がれた者ダビデの味方をされアブサロムの企ては失敗しました―アヒトフェルはエホバのご意志を考慮してダビデに鞍替えしたらよかったかもしれません






アブサロムが有利だと見えていた時に、ダビデにひどいことをしたシムイは、ダビデが勝利をした時に、ダビデに許しを請い、自分の命をながらえました。(サムエル第二19:18-20)



しかし、アヒトフェルは神を愛して神との関係を大切にしていたわけではなく、神に頼っていたわけではありませんでした。彼は、自分の知恵に頼っていました。




聖書は、「エホバに依り頼み,エホバがその確信[のよりどころ]となってくださった強健な者は祝福される」と述べている一方、肉を自分の腕とし,その心がエホバからそれて行く強健な者はのろわれる」と述べています。(エレミヤ17:5-8)ですから、エホバに頼るのではなく、自分に頼る人はうまくいきません。





神に頼る態度がない場合、人は大変もろくなることがあります。神への信仰を抱いていないと、人は容易に希望を捨ててしまいます。そういう場合、人は自殺に走りやすくなります。




それで、油そそがれた者に対する敬意も求められているとは言え、一番重要なのは、エホバ神に対する愛と信仰と神に依り頼む態度です。




それがあれば、エホバに助けていただけます。自分の罪や失敗のために自殺したくなるような状況に直面しても、エホバ神への信仰を失うのではなく、エホバ神に罪の許しと助けを懇願しましょう。










アヒトフェルが自分の知恵ではなくエホバに頼る気持ちがあればエホバは彼の祈りを聞かれたかもしれません-どんな状況になってもエホバに罪の許しと助けを祈りましょう















































ある人は、聖書の神が存在するのに、その神は人々が災いを経験するのをなぜ許されるのかと考えるかもしれません。聖書は、エホバ神は、人々がご自分の基準に反した行動をする時に、災いを経験することを許されることも述べています。



エホバ神は義なる基準を持たれる方です。それで、諸国民が流血や偶像崇拝や淫行や心霊術や軍事力に頼ることなど、神の律法に違反することを行なう時、怒りや「憤り」を抱かれます。(エゼキエル24:15,16,18。コロサイ3:5,6)









Statue of Buddha in Wat Phra Si Rattana Mahathat , Phitsanulok, Thailand



それで、基本的には、ご自分ではなく、異教の神に偶像崇拝を捧げている人々にエホバ神は、保護を差し伸べられません。偶像は、その崇拝者に救いをもたらす力はありません。(詩編31:6)




そのため、人々が偶像崇拝などをして神の目に悪いことを行なう時、戦争などの災いを経験することを許されることがあります。(エレミヤ19:15)それは、エホバ神は悪を憎まれるので、悪に対して義なる怒りを抱かれるからです。(エゼキエル16:38)








Aftermath of the tsunami in Aceh

エホバ神は淫行や偶像崇拝などの罪があると保護を差し控えられ災いが起こることを許されることがあります




また、神は、神の僕に対する「懲らしめ」のために災いが起こることを許されることがあります。「懲らしめ」とは、神の僕の側に正されなければならない悪があるからです。(ヘブライ12:6。イザヤ10:5,6)その時もたらされる災いは、神の民がより一層、神の基準に沿って生活するようになることを目的としています。しかしながら、それでも、その災いはエホバ神が引き起こされるものではないでしょう。



義人のヨブは災いにあって、かろうじて生き残りました。もちろん、これまでの記事で述べたように神の信仰を働かせる人々も、災いに遭って死ぬことさえあります。しかし、偶像崇拝者はエホバの保護がないので、エホバ神に保護を求める神の僕よりも、死亡率が高いでしょう。(箴言18:10)


確かに、エホバ神は、悪魔サタンや悪霊たち、南の王や北の王や邪悪な人々が存在することを許されています。そのためエホバ神は、サタンや邪悪な人々が、自分の思うままにすることを許されます。それらの戦争や災いは、エホバ神が生じることを許されたものだと言うことができるでしょう。



しかし、すべての戦争や災いをエホバ神が直接引き起こすわけではありません。



それは、ヨブに起きた災いを引き起こしたのが、すべて悪魔サタンであったことからも分かります。ヨブの子供たちは、ヨブに倣ってある程度正しい行いをするように努力していた子供たちも含まれていたかもしれません。しかし、ヨブのようには神の律法を守っていない子供たちも含まれていたかもしれません。ヨブの息子や娘たちは、崩壊した家の下敷きになってみんな命を落としてしまいました。(ヨブ1:18,19)


ですから、いずれにしても、義なる人も不義な人も災いに巻き込まれて、命を落とすことがあります。(詩編34:19。箴言24:16。イザヤ57:1)しかし、義人であったヨブはエホバの保護と助けで生き残り、彼は自分の平常の生活を取り戻しました。ですから、この場合も、エホバ神に信仰を抱く義なる人の場合は、死亡率がより低く、神の助けがあると言えます。



とりわけ、聖書中のダニエル書などに起こることが言及されている戦争や災いは、エホバ神が起こることを許されるものです。また、啓示の書や福音書の中にも、神の民や信仰を持たない一般の人に災いがふりかかることが予告されています。しかし、それらの予告された戦争や災いからできるだけ害を受けないようにする方法や知恵は聖書の中に記されています。



しかし、大いなるバビロンや、北の王や、邪悪な人々が、行なう流血や殺人をエホバ神が是認されるわけではありません。




エホバ神は、人々が完全に平和や幸福を享受することを望んでおられます。(コリント第一14:33)それで、聖書は、神に信仰を持つ人々が、大患難が起こる前に山間部に逃げることを予告しています。(マタイ24:15,16)



しかし、神の民が山で生活していること自体が完全な保護になるわけではありません。神の民は山に逃げて、なおかつ、そこで偶像崇拝などの神の律法違反を避けていることが求められます。もし、山間部で生活していても、神の律法違反があるならば、やはり、邪悪な人々からもたらされる災いを経験する可能性は高くなるでしょう。



しかし、聖書は将来神の民が自分の罪を悔い改める時が来ることを予告しています。(ダニエル8:14)


さらに、エホバ神は神の民に対して災いをもたらす邪悪な人々に対して、また、ご自分の是認されない流血や殺人に関して、「復しゅう」をされます。そのため、神の民に対する災いがもたらされる原因が減ることになります。(啓示6:10;19:2)




そこで最終的には、山々の上で暮らす神の民がある程度の平和と繁栄を享受することを聖書は予告しています。(エゼキエル38:12)


そして、それらの人々は、邪悪な人々の全滅という世の終わりを生き残って、地上の楽園に導き入れられることを聖書は予告しています。(啓示17:15-17)それで、エホバ神は、ご自分に信仰を働かせる人々の幸福で平和な生活を願っておられ、そのような方向に導いていかれます。



それで、聖書の神は、人々がご自分に信仰を抱いて、ご自分の律法を守ることを期待されます。エホバ神は、ご自分に信仰を抱く人々の信仰を試みるために、それらの人びとに対する悪魔サタンの攻撃を許されることがあります。









A typical Shingon shrine set up for priests, with Vairocana at the center of the shrine


Tktru - Own work





しかし、ご自分に信仰を抱く人々や、そうでない人々がご自分の律法に反している場合、とりわけ、悪魔サタンや邪悪な人々の攻撃が生じることを許されることがあります。



















熊本地震が起こりました。人によっては自分が経験していることは神が引き起こしたのだろうかと考えるかもしれません。また、何によって地震は起こるのかと考えるかもしれません。しかし、聖書は、そのような災いは神が引き起こしたものではないことを示しています。











人神之间

ADBC (Agriculture Development Bank of China) branch in Bei Chuan after earthquake

聖書の中には神が今の時代に地震を引き起こして人々を罰することを示す記述はありません

- Own work (Original text: self-made 自己制作)





啓示の書は、イエスが天で王権を取られた後、サタンが地に投げ落とされ、地と海に災いをもたらすことを予告しています。(啓示12:12)また、イエスは、ご自分の天での王としての臨在の証拠について預言された時に、地震が起きることを予告されました。(ルカ21:10,11)啓示の書は、別の個所で、イエスが王として進んで行かれた後、大量の死者が出ることも予告しています。(啓示6:2-8)




私は、今は、まだイエスが王として天で即位してはいないと考えています。しかし、悪魔サタンは、イエスが天で王になる前でも災いを引き起こすでしょう。実際、悪魔は昔、ヨブの時代も、ヨブにさまざまな災いをもたらしました。悪魔サタンは、じっと静かにしていないでしょう。今でも、地上で活動して、さまざまな災いをもたらすでしょう。




聖書の中には、神が引き起こした地震や地割れについて書かれています。(民数記16:30-33。使徒16:26。マタイ27:51,54)ですから、エホバ神も確かに地震を引き起こす力を持っておられます。一世紀にも神に由来するさまざまなしるしや奇跡が起き、また地震も起こされました。(ヘブライ2:4)






しかし、それらの超自然的な業は、なくなってしまうことが予告されていました。(コリント第一13:8)ですから、一世紀にイエスの十二使徒たちの死と共に、神由来の不思議は終わってしまいました。





ですから、聖書の中には、この事物の体制が続いている間、私たちの時代に、エホバ神が地震を引き起こして、邪悪な人々に処罰を与えることを示唆する記述はないと思います。




しかし、エホバ神が創造されたみ使い、つまり天使は、超人間的な力を持っています。(列王第二19:35)サタンも悪霊たちも、もともとは天使なので、強力な力を持っています。ですから、エホバの天使に地震を引き起こすことができるのであれば、悪霊たちにもある程度それができるでしょう。




モーセの時代に、エジプトの魔術師たちは、モーセがエホバの力で行った奇跡に近い奇跡を行なうことができました。(出エジプト7:11)エジプトの魔術師たちは、悪霊の力で奇跡を行なっていました。




ポルターガイストという悪霊に起因する現象があります。その現象はおおむね悪霊によって物体が勝手に動いたり、大きな音が生じるという現象です。もし、物体が勝手に動くのであれば、悪霊のために家が振動したりということも起こり得るでしょう。




そして、サタンが「強力な業」と「しるし」と「異兆」を引き起こすことができると聖書は述べています。(テサロニケ第二2:9)ですから、悪魔サタンや悪霊たちも、ある程度神と同じことができるので、おそらく、家を揺り動かしたりはできるでしょう。




また、悪魔サタンは、ヨブに災いをもたらすために、シバ人、カルデア人などの暴力的な人々を用いました。(ヨブ1:14,15,17)それで、彼らが邪悪な人々を用いて、地震を引き起こすということも起こり得るでしょう。とりわけ、心霊術に関係している人々は、悪魔サタンや悪霊に影響を受けることが多くはなるでしょう。(使徒16:16)







Job and his friends

ヨブはサタンに動かされた人々によって全財産と子供たちも失ってしまいました






ただ、この世の終わりには、エホバ神が、ご自分の持っておられる自然界の脅威を用いて邪悪な人々を滅ぼすことを示唆する記述はあります。(エゼキエル38:22) 



しかし、この記述は、神の民がこの世の終わりに軍事的な攻撃を受けた時のエホバ神の反応ですから、エホバ神はこのことを神の民に対する最終攻撃がないのに一般の人々に対して行われることはないと思います。




それで、今日起きている地震は、純然たる自然災害、あるいは、サタンと悪霊に由来するもの、もしくは、サタンと悪霊に動かされた邪悪な人々が引き起こす地震でしょう。



















今回熊本で地震がありました。何十人かの人が命を失いました。私は、地震で命を失った人は、必ずしも、エホバの不興を受けて、命を失ったわけではないと思います。聖書によると、悪魔サタンが引き起こした災いによって人々は命を失うことがあります。








しかし、いろいろな聖書の言葉を調べたり、事実を調べてみると、エホバ神は、人々が苦難に直面するとき、義なる人の場合、保護を与えて、苦難から救い出してくださることが分かります。







私は東日本大震災の津波に直面して祈って生き残ったエホバの証人の経験を聞いたことがあります。エホバの証人は、もちろん、決して間違いをしないというわけではありませんが、一般的に聖書の道徳基準を守るように努力を払っています。





東日本大震災の後で、エホバの証人とその聖書研究生で、亡くなった人が14名であるという発表がありました。その時に、亡くなった一般の人の数がおよそ一万九千人ほどだったと思います。私は、計算してみて、その地域のエホバの証人の人数のうちでの死亡率が大変低いと思いました。









ChiefHira • CC BY-SA 3.0


東日本大震災の時エホバの証人の死亡率は高くはありませんでした

エホバ神の保護があったのでしょう








エホバの証人はそうした災害の際に、完全に無傷で済まないとは言え、その他の災害の時も、死亡率が低いようにいつも思っていました。それで、危機に直面すれば、当然、エホバの証人はエホバに助けを叫ぶはずなので、エホバ神が祈りを聴いておられるのではないかと思います。(箴言18:10) しかしながら、私はエホバの証人の預言的な理解がすべて正しいとは考えてはいませんが。






実際に、東日本大震災の津波の際に、ある男性のエホバの証人が、津波に巻き込まれて、車の上でエホバ神を賛美する歌を歌いました。また、その兄弟はエホバの証人の姉妹が車で津波に流されるのを見て、その姉妹のために祈りました。彼は結局、救助され、姉妹も後になって助かったことが分かったという経験がありました。




私は、今回の熊本地震で、エホバの証人の状況がどうであるかは知りません。ご存知の方は教えてください。おそらく、一般の人々よりは、巻き込まれている人が少ないかもしれません。でも、犠牲になった人がたまたまいるかもしれません。






しかし、聖書は、義なる人々が、そうした災いに巻き込まれて命を落とす場合もあることも認めています。(エゼキエル21:3,4)上で述べたようにヨブのような義なる人でも災いに遭います。ヨブの場合、命は守られていましたが、義なる人々でも、災いにも巻き込まれて、最悪の場合、命を落としてしまう場合もあるでしょう。(ダニエル3:17,18)










Distant Shores Media/Sweet Publishing

ヨブのような義人でも災いにあうことがあります









聖書は義なる神の僕が保護された例も、義なる神の僕が命を落とした例も両方、述べています。また、誰もが、「予見しえない出来事」に巻き込まれます。(伝道の書9:11)





しかし、神に信仰を抱く義なる者たちに、エホバ神は復活を約束されています。(ヘブライ11:35)





結局、運よく災いに巻き込まれなかったとしても、今の事物の体制が続く限り、誰もが皆最終的には年を取って死にます。(伝道の書3:19)故意の罪を繰り返し犯して復活しない人もいるかもしれません。(マルコ3:29)しかし、聖書は通常は、義なる者も邪悪な者もエホバ神が復活させることを約束しています。(使徒24:15)







Job restored to prosperity

エホバ神はヨブを是認しておられたのでエホバ神の助けを得ました







hyolee2

熊本地震で崩壊した熊本洋学校教師館ジェーンズ邸(側面)

熊本地震で熊本は被害を受け亡くなった方もいました

- Own work



世界各地で地震や津波が起きます。最近でも東日本大震災や熊本地震が起きました。その際に被害にあった人々の中には、 聖書の神にある程度信仰を抱いていて、聖書の道徳的な教えを守っていた人もおられるでしょう。それらの人々がそうした災いを経験するのは大変気の毒なことです。















では、正しいことを行なおうと努力する人が災いにあうことは神がいないことを意味するのでしょうか。エホバ神は、義なる人々に対しても天災で災いをもたらされるのでしょうか。そうではありません。





今の時代は、エホバ神は、理由があって悪魔サタンや悪霊たち、また、邪悪な人々の存在を許されています。聖書によると、エホバ神はそれら悪魔サタンや邪悪な人々を滅ぼすことも可能ですが、目的があって存在させています。(出エジプト9:15,16)エホバ神は、悪魔サタンや邪悪な人々が地に災いをもたらすことを許されます。




昔、ヨブという人がいました。ヨブは悪いことをしないようにして、神の目に正しいことを行なう努力を払っていました。(ヨブ1:1)そして、ヨブは大変富んだ人でした。(ヨブ1:3)




しかし、エホバ神ではなく、悪魔サタンがヨブに災いをもたらしました。悪魔サタンは、邪悪な人たちがヨブの所有物を奪ったり、ヨブの従者を殺したり、ヨブの資産を天からの火で燃やしたり、大風で家を倒壊させヨブの子供たちがみんな下敷きになって死ぬようにさせました。(ヨブ1:12-19)



エホバ神は、悪魔サタンがヨブに災いをもたらすことを許されました。それは、ヨブがどんなことを経験しても、ご自分から離れないと信頼しておられたからです。(ヨブ1:12)それは、悪魔サタンが主張したことが間違いであることを証明するためでした。




悪魔サタンは、ヨブがエホバ神に敬意を払っているのは、その富のためであると最初に主張しました。(ヨブ1:9,10)次には、ヨブがエホバ神に従うのは、ヨブが神から保護されて健康であるからだと主張しました。(ヨブ2:4,5)





サタンは、ヨブの神に対する信仰や忠誠の気持ちを疑って、その信仰を試すためにヨブに苦難をもたらしました。サタンの主張は人の動機を疑う何と愛のないものだったのでしょう。その目的は、エホバ神の崇拝を卑しめるのが目的だったでしょう。




それで、エホバ神がヨブの家族や資産を奪ったわけではありませんでした。ヨブは、さまざまな苦しみを経験しても、エホバ神に対する信仰を失わなかっので、エホバ神はヨブを苦難から救い出されました。(ヨブ2:10)








Distant Shores Media/Sweet Publishing

ヨブは財産をすべて失い病気にかかりましたがその災いはエホバではなくサタンがもたらしたものでした









そして、ヨブが再び家族を持ち、以前より二倍の富を持つようにされ、ヨブはとても長生きする結果になりました。(ヨブ42:12-16)それで、義なる人であり、エホバの崇拝者であったヨブは大変な災いを経験したとはいえ、命は保護されました。




 聖書は、義なる人であっても、災いに遭う場合があること、それでも、エホバ神は義なる人が苦難から救い出されるように助けて下さることを述べています。(詩編34:19箴言11:8; 12:13; 24: 16)なぜなら、箴言には、「義なる者たちの願いはかなえられる」とあり、エホバ神は義なる者たちの味方をされるからです。(箴言10:24;15:29)

















Job restored to prosperity

エホバ神はヨブを是認しておられたのでヨブが受けた害を元に戻されました

ヨブの経験した災いは神がもたらしたものではありませんでした





ですから、エホバ神ご自身がご自分に信仰を抱く義なる者に災いをもたらすことはありません。義なる者が災いにあうとすれば、その災いは、エホバ神以外の源から、悪魔サタンや邪悪な人々から来ています。





それで、ヨブが経験したことは、義なる人でも、悪魔サタンから災いをもたらされて苦難にあることがあることを示しています。それで、義なる人々が災いを経験するとしても、それは、エホバ神がもたらした災いではありません。










The Aso-Ohashi bridge fallen by a landslip of the 2016 Kumamoto earthquakes

熊本地震が熊本は甚大な被害を受け亡くなった方もいました

- Own work

啓示12章には、天でミカエルとその使いたちとが龍とその使いたちと戦い、龍の側が敗北して地に投げ落とされることが預言されています。(啓示12:7-9)これは、いつ起きるのでしょうか。エホバの証人は、これは1914年に起きたと考えています。





私は、これは、これから将来に起こる北の王と南の王の間の最後の国際戦争である大患難の前に起こるのではないかと考えます。なぜそのように考えられるのか理由を説明したいと思います。





まず、イエスは地上に来られる前はみ使いの頭ミカエルでした。(テサロニケ第一4:16。ユダ9)そして、ミカエルの使いたちとは、天でイエス・キリストに率いられるみ使いたちの軍勢です。





龍とは悪魔サタンを意味します。(啓示12:9)それで、エホバ神の側に立つキリストとみ使いたちと、悪魔サタンに率いられた悪霊たちの間で戦争が起き、エホバ神の側が勝利します。





なぜ、その天の戦争は、大患難の前でしょうか。その根拠をいくつか述べます。






天の戦争で、ミカエルが勝利を得た時、「今や、救いと力とわたしたちの神の王国とそのキリストの権威とが実現した。」という発表がなされます。(啓示12:10)これは神の王国の設立を宣言していると思います。この時イエスが天で王権を受けられるでしょう。



Gustave Doré for John Milton 's Paradise Lost .



Michael casts out rebel angels. Illustration by

天で戦争が起こりイエスの軍勢が悪魔サタンの軍勢に勝利し彼らを地に投げ落とすことになっています









天での戦争でイエスが勝利した後イエスはエホバから天で王権を受けられます








また、その発表の言葉は、「天と天に住む者よ、喜べ。地と海にとっては災いである。悪魔が、自分の時の短いことを知り、大きな怒りを抱いてあなた方のとこに下ったからである。」という言葉を含んでいます。(啓示12:12)





「地と海」にもたらされる「災い」とは、一番考えられるのは、北の王と南の王との間で行われる大患難です。ですから、天での戦争とは、大患難の前だと考えられます。



French infantry charging in the early stages of
サタンは地上に投げ落とされ怒り狂って地上で大患難を引き起こすでしょう



また、福音書の中でも、神の王国が実現したことを示す証拠として、世界中に非常に多くの死者が出ることを予告しています。(マタイ24:27,28)それは当然大患難による死者です。







地上では大患難で多くの死者が生じます―このことは天ではキリストが王権を与えられたことを示します





地上で生じる大患難で多くの死者が出ることはイエスがエホバから天で王権を受けられたことを示しています





さらに、聖書は、大患難の前に神の民が山に逃れることを示しています。(マタイ24:15,16,21)ですから、天で戦争が起きて、イエスが勝利し、イエスがエホバ神から王権を受けられた後、サタンと悪霊が地上に投げ落とされ、怒り狂ったサタンが地上に大患難を引き起こすのでしょう。











gößweinstein

世界的にクリスチャンが山に逃げるという活動が行われて後大患難が起きることは天でキリストが王権を受けられたことを示しています









以上のような理由で、天での戦争は、これから将来生じる大患難の前ではないかと考えます。







それで、大患難が起きることは、神の王国が地上に対する権威を全面的に掌握する時、つまり、神の民にとっての「救出」が近いことの証拠となります。(ルカ21:28)