1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
2012年02月13日 littleyohaneの投稿

イザヤ61章・イエスは油そそがれ良いたよりを告げる

テーマ:神の王国

「主権者なる主エホバの霊がわたしの上にある。それはエホバがわたしに油をそそぎ、柔和な者たちに良いたよりを告げるようにされたからである。・・・エホバの側の善意の年とわたしたちの神の側の復しゅうの日とをふれ告げる(ようにされた。)」(イザヤ6112


イザヤ6112節が誰に成就したかは、成就させた人自身が説明しました。イエスはナザレの会堂に出席された時、イザヤ6112節を朗読され、「あなた方がいま聞いたこの聖句は,きょう成就しています」と言われました。(ルカ4:17-21)そのようにして、イエスは、イザヤ書のその聖句がご自分に成就していることを説明されました。


では、イザヤ61章はどのようにイエスに成就したのでしょうか。まず、エホバはイエスに「油をそそぎ」ました。イエスは西暦29年に、ヨルダン川でバプテスマを受けられた時、天からエホバの聖霊を注がれました。(マタイ3:16,17)その時イエスは、神によってメシア(油そそがれた者)として任命されました。


イエスはまた、柔和な者たちに「良いたよりを告げ」られました。イエスが、バプテスマを受けられて後、イエスは「の王国は近づきました。あなた方は悔い改めて,良いたよりに信仰を持ちなさい。」と言われました。イエスは、神の王国が近いという良いたよりを宣べ伝えられました。(ルカ1:14,15。マタイ4:23)


イエスが宣べ伝えた神の良いたよりは、神の王国が来て、神のご意志が地上で行なわれるという良いたよりでした。(マタイ6:10)また、神の王国の支配のもとで、「永遠の命」を享受できるという良いたよりでした。(マタイ25:34,46)また、神の王国が人間の支配に取って代わり、神の王国の支配のもとで、地上が「パラダイス」になるという良いたよりでした。(ルカ23:43)


イエスは、ご自分が人々に遣わされた目的が、「捕らわれ人に釈放を,盲人に視力の回復を宣べ伝え,打ちひしがれた者を解き放して去らせ」るためであったと言われました。(ルカ4:18)イエスは、どのようにそうされたのでしょうか。イエスは、実際に悪霊の捕らわれとなっていた人々を悪霊から解放されました。(ルカ4:41;11:14。マタイ4:24)また、盲人に視力を回復されました。(マタイ11:5;15:30,31)


エホバは、打ちひしがれた人に好意を示されます。エホバはとりわけ、自分の罪を後悔してエホバの言葉におののき、打ちひしがれる人に好意を差し伸べられます。(イザヤ57:15;66:2)同様に、イエスも自分の罪のために打ちひしがれ、悔い改めようとする人に対して、「あなたの罪は許されています」と言われて、その罪の重さから開放されました。(ルカ7:48)そして、イエスはその当時それらの人々に、神の王国に入る機会を差し伸べられました。


また、イエスはどのようにして、「エホバの側の善意の年とわたしたちの神の側の復しゅうの日とをふれ告げ」られたのでしょうか。イエスは、当時のエルサレムが神から「見捨てられている」と言われました。(マタイ2338)そして、エルサレムが敵によって攻撃され、徹底的に破壊されることを予告されました。(ルカ194344)イエスは、当時のエルサレムに神の「憤り」が臨むことを予告されました。(ルカ2123


イエスの予告された「神の側の復しゅうの日」は、西暦70年に、ローマ軍によって、エルサレムを中心とした当時のユダヤ教の体制に臨みました。しかし、その神の裁きが臨むまでは、「エホバの側の善意の年」ということができました。誰でも、悔い改めて、クリスチャンとなり、将来イエスと共に神の王国の支配者になるという類まれな機会をとらえることができました。


イエスはこの終わりの時にも、「神の側の復しゅうの日」が臨むことを予告されています。それは、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」すなわち、国際連合が、対型的なエルサレム、アメリカ合衆国を攻撃する時です。その時、クリスチャンは、一世紀のクリスチャンがそうしたように、山に逃げることによってエホバに避難することができます。(マタイ241516


山に逃げるクリスチャンは、エホバの恵みを受ける立場に立ち、そのまま今の体制の終わりを生き残り、地上の楽園に入り永遠の命を受ける機会があります。(啓示71417)しかし、今日でも、エホバは人類の中の「小さな群れ」の人に神の王国の支配者となるという見込みを差し伸べておられるでしょう。(ルカ1232


このように、イザヤ6112節は、イエス・キリストに見事に成就していることが分かります。私たちはイエスが宣べ伝えてくださった神の王国の良いたよりに今日も感謝し、信仰を働かせることができます。








2012年02月12日 littleyohaneの投稿

気分障害に取り組む(3)-医療の助けを得る

テーマ:感情の問題

先回、「気分障害に取り組む(2)―双極性障害 」をアップしました。今回は、気分障害に対処するために医療の助けを得る必要性について取り上げたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


かつて,気分障害に苦しむ人は周囲から敬遠されがちでした。そのため,社会からのけ者にされる人もいました。仕事の面で差別を受けた人もいれば,家族から遠ざけられた人もいます。それは時に問題をただ悪化させ,苦痛を抱える人が助けを得るのを妨げることにもなりました。


しかし,ここ数十年で,うつ病や双極性障害に関する理解は大きく前進しました。今では,それらの病気は治療できることがよく知られています。とはいえ,助けを得るのは必ずしも容易ではありません。なぜでしょうか。


兆候を読む


気分障害の診断は,簡単な血液検査やレントゲン検査では行なえません。それは,当人の行動,考え方,判断力を一定の期間観察することによって行なわれます。正しく診断するには,幾つかの症状が出ている必要があります。問題なのは,家族や友人が,自分の見ている事柄を気分障害の証拠とは認識しないことがあるという点です。医師のデービッド・J・ミクロウィッツはこう書いています。「人々は,ある人の行動が通常から外れていることに同意しても,その理由については実に様々な考えを持っていることがある」。


さらに,家族が深刻な状況と感じても,医師の助けが必要なことを当人に納得させるのが難しい場合もあります。あるいは,あなた自身がその苦痛を抱えている場合,助けを求める気持ちにならないかもしれません。


マーク・S・ゴールド医師は,こう書いています。「あなたは抑うつ状態の時に浮かぶ考え,つまり自分はだめな人間で,自分のような者には何の希望もないのだから助けを求めても意味がない,という考えを信じてしまうかもしれない。だれかに相談したいと思っても,抑うつ状態になっているのは恥ずかしいことで,すべては自分が悪い,と考えるだろう。……そうした気持ちになるのがうつ病のせいであることも知らないかもしれない」。しかし,大うつ病の人が医師の手当てを受けるのは非常に大切です。


もちろん,時にひどく落ち込むことはだれにでもあり,それは必ずしも気分障害のしるしではありません。しかし,そうした感情が単なる憂うつな気持ちより強く思える場合はどうでしょうか。それがいつになく長引き,2週間以上も続く場合はどうですか。さらに,ふさいだ気分のために,職場や学校,社会における通常の活動に支障が生じる場合はどうでしょうか。そのようなときは,うつ病の診断や治療を行なう資格のある専門家に相談するのが賢明でしょう。


生化学的なバランスの乱れが関係している場合,薬が処方されるでしょう。その他の場合は,問題に対処する方法を学ぶ助けとして,カウンセリング・プログラムが勧められるかもしれません。両方を組み合わせて良い結果の得られたケースもあります。大切なのは,進んで助けを求めることです。


前の記事に出てきた,双極性障害を抱えるレノールはこう述べています。「苦しんでいる本人はしばしば自分の状態におびえ,恥ずかしく思います。でも,何か問題があると感じているのに,ぜひとも必要な助けを求めないことのほうが恥ずかしいことです」。


レノールは自分の経験をこう語ります。「1年間,ほとんど寝たきりの状態でした。そんなある日,少し力が出てきたので,医師に電話して診察を受けることにしました」。レノールは双極性障害であると診断され,薬が処方されました。それは生活上の転機になりました。こう述べています。「薬をのむと普通の気持ちになります。でも,のむのをやめれば,以前の症状がみな戻ってくることを絶えず思い出す必要があります」。


うつ病を抱えるブランドンも同様にこう語っています。「十代の少年のころは,自殺することをよく考えました。自分は無価値な人間だという気持ちに圧倒されていたからです。30代になるまで医師のもとに行きませんでした」。ブランドンも,レノールのように薬をのんで障害に対処しています。しかし,それだけではありません。「全体的な健康を保つため,心身の両面に気を配っています。休息を取り,食事にも注意しています。また,思いと心を聖書からの積極的な考えで満たすようにもしています」。


しかし,ブランドンが指摘するとおり,うつ病は医学的な問題であって霊的な問題ではありません。この点を認識することは,回復のために重要です。ブランドンはこう述べています。「ある時,全く悪気のない仲間のクリスチャンから,ガラテア 5章22,23節によれば喜びは神の聖霊の実だから,憂うつになるのは何か聖霊を妨げることをしているからに違いない,と言われたことがありました。その言葉でますますとがめを感じ,落ち込みました。でも,助けを得るようになってからは,自分を覆っていた黒い雲は晴れてゆき,ずっと気分が楽になりました。もっと早く助けを得ていればと思いました」。



薬が処方されたら



薬の服用は,弱さのしるしではないかと感じる人がいます。では,こう考えてください。糖尿病患者はある一定の治療プログラムに従わなければなりません。それにはインシュリン注射も含まれるでしょう。それは失敗のしるしでしょうか。決してそうではありません。それは単に体の栄養バランスを整える手段であり,そうすることによって患者は健康状態を保つことができます。



うつ病や双極性障害の薬をのむのも,それとよく似ています。カウンセリング・プログラムだけで自分の病気についてよく理解できたという人も多くいますが,注意も必要です。化学的なバランスの崩れが問題となっている場合,病気はただ論理的に話すだけでは片づきません。


双極性障害を抱えるスティーブンは,こう述べています。「治療してくれた専門医は,こんな例えを話してくれました。人にあらゆる運転技法を教えたとしても,ハンドルやブレーキのない車を与えるなら,それまでに教えたことはほとんど何の役にも立たないでしょう。それと同じように,うつ病の人に認知療法を行なうだけでは,必ずしも望ましい結果は得られません。脳の化学物質のバランスを整えることが,まず大切な一歩です」。


イエスは,病んでいる人には医者が必要なことを認められました。―マタイ 9:12



大うつ病の症状

憂うつな気分が,ほぼ一日中,毎日のように,少なくとも2週間は続く

以前は楽しかった活動に興味を失う

急激な体重の増加または減少

睡眠過多,または不眠

種々の動作が異常に速くなるか遅くなる

原因不明の極度の疲労

無価値感と不適切な罪悪感,ないしそのいずれか

集中力の減退

自殺について繰り返し考える


ある症状は,気分変調症―軽度ながら慢性的なうつ病―のしるしの場合もあります。



[脚注]

アメリカ精神医学会によるこのリストは,病気の概要を知るためのもので,自己診断のためのものではありません。一部の症状は,うつ病ではない別の病気の症状である場合もあります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



以上は目ざめよ2004年1月8日号「気分障害に取り組みながら生きる」からの引用です。「気分障害に取り組む」は(1)~(5)まであります。「(1)うつ病(2)双極性障害(3)医療の助けを得る(4)さまざまな助け(5)他の人たちはどのように助けになれるか」です。次回は気分障害に対処するためのさまざまな助けについて取り上げたいと思います。




                   診察を受ける
                 



  詩編143編・深刻な憂うつに対処する



ヨハネのブログ

若い人のうつ病-小さな苦痛を処理する実際的な方法

2012年02月06日 littleyohaneの投稿

イザヤ53章・予告されたイエスの死と贖い

テーマ:イエス・キリスト

「彼が自分の魂を死に至るまでも注ぎ出したためであり、彼は違反者と共に数えられた。彼は多くの人々の罪を自ら担い、違反を犯す者たちのために仲裁に入ったのである。」(イザヤ53:12)


キリスト教会の中には、イエスは、苦しみの死を遂げることによって、神のご意志を果たせずに失敗したと考える人たちもいます。例えば、統一教会では、イエスは結婚するという神の目的を果たせずに失敗したと教えています。しかし、イザヤ53章はイエスが地上に遣わされた目的が人々の罪のための贖いとなって死ぬことであったことを示しています。


イザヤ53章には、人々にさげすまれ、取るに足りない者とみなされる神の僕が登場します。(イザヤ53:3)しかし、実際は、人々の違反やとがのために、彼は刺し通され、打ち砕かれることが予告されていました。また、人々の代わりに彼に懲罰が臨み、それゆえに、人々にはいやしがもたらされます。(イザヤ53:5


そして、エホバは、人々のとがをその者が受けるようにされます。(イザヤ53:6)その神の僕は、抵抗せずに苦しめられるままに任せます。(イザヤ53:7)彼は、生ける者たちの地から絶たれる、すなわち死ぬことになっていました。(イザヤ53:8


また、エホバは、その神の僕を打ち砕くことを喜びとされました。(イザヤ53:10)つまり、その神の僕が苦しみのうちに死ぬことは、神の喜ばれることでした。なぜなら、その神の僕は、多くの人に義なる立場をもたらし、人々のとがを自ら負うからです。(イザヤ53:11


また、その神の僕は、自分の魂を死に至るまで、注ぎ出すとも述べられていました。それは、多くの人々の罪を自ら担い、違反をおかす者たちのために仲裁するためでした。(イザヤ53;12


このイザヤ53章で予告されていた神の僕は誰でしょうか。一世紀に、ユダヤ教の改宗者となっていたエチオピアの宦官がイザヤ537,8節を読んでいました。クリスチャンのフィリポが宦官に、その預言がイエスに成就したことを説明しました。(使徒8: 27,28,3235)また、使徒マタイも、イザヤ53章4節の聖句がイエスに成就したことを述べています。(マタイ8:17)


イエスご自身もご自分に対する神のご意志を認識しておられました。イエスは、ご自分が「自分の魂を,多くの人と引き換える贖いとして与える」という使命を持っていると言われました。(マタイ2028)また、ご自分が苦しみのうちに死ぬことを予告されました。(マタイ1621)そして、イエスは、そういう事態の進展に抵抗されませんでした。そうするのは、神の言葉が成就するためだと言われました。(マタイ265354


それでイエスはイザヤ53章の預言をご存知であり、それがご自分に成就することを理解しておられました。またご自分に成就するように行動されました。イエスが首尾よく贖いを捧げてくださったおかげで私たちの罪は許され、そのみ子に信仰を働かせる私たちには、天であれ、地上であれ、永遠の命を受ける機会が開かれることになりました。(コロサイ114。ヨハネ336。ヨハネ第一513)私たちは、イザヤ53章が成就して、イエスが、私たちの罪のために、贖いとなってくださったことを感謝できます。私たちは、イエスが神のご意志を行なう点で成功されたことを喜ぶことができます。


今年2012年の記念式の日付は、45日(木)です。始まる時間は地域のエホバの証人の集会場所毎に違いますので、地元のエホバの証人に確かめてください。午後630分か7時頃に始まる場合が多いと思います。









ヨハネのブログ-杭の上のイエス・キリスト








2012年02月05日 littleyohaneの投稿

気分障害に取り組む(2)-双極性障害

テーマ:感情の問題

先回、「気分障害に取り組む(1)―うつ病 」をアップしました。今回は、双極性障害について取り上げたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


双極性障害―常に不安定


うつ病は確かに試みとなる問題です。しかし,そのうつに躁が加わると,双極性障害と呼ばれます。「双極性障害で一つだけ変わらないのは,常に不安定だということです」と,これに苦しむルシアは言います。「ハーバード大学精神衛生レター」(英語)は,躁の時期の双極性障害の患者について,「周囲が我慢できないほど干渉的かつ支配的になり,無鉄砲で落ち着きのない高揚感が,いきなりいら立ちや激怒に変わることがある」と述べています。


レノールという女性は,躁状態の浮き浮きした気分をこう思い出しています。「本当にエネルギーに満ち満ちていました。多くの人からスーパーウーマンと呼ばれ,『あなたのようになれたらいいのに』と言われました。何でも成し遂げられるような大きな力を感じることがよくありました。激しく運動し,ほんのわずかしか眠らずに動きました。二,三時間しか眠りませんでしたが,目覚めた時には同じほど大きなエネルギーがありました」。


ところが,やがて暗い雲がレノールを覆い始めました。「浮き浮きした気分が最高潮に達すると,決まってどこか意識の底に不安を感じました。まるでモーターが止まらなくなったかのようでした。快い気分だったのに,急に攻撃的で破壊的になり,これといった理由もなく家族に食ってかかりました。激怒し,憎しみを抱き,自制心を全く失いました。こうした恐ろしい状態になると,今度は急に疲れ果て,涙もろくなり,極端に落ち込みました。自分は無価値で,邪悪な人間だと感じました。そうかと思うと,何事もなかったかのように,驚くほど快活な自分に戻ることもありました」。


双極性障害を持つ人の不安定な行動は,家族に当惑をもたらします。双極性障害の夫を持つメアリーはこう述べています。「陽気で話し好きな夫が,いきなり意気消沈して無口になるのを見るとわけが分からなくなります。それを本人としてはほとんど制御できないという事実を受け入れるのは,並大抵のことではありません」。


皮肉なことに,双極性障害を抱えている人自身も苦痛を感じている場合が少なくありません。むしろその人自身のほうがそう感じていると言えるでしょう。双極性障害を患う女性のグロリアはこう述べています。「バランスの取れた安定した生活を送っている人をうらやましく思います。双極性障害を持つ人にとって,安定性は旅先のようなものです。だれもそこに実際に定住してはいないのです」。


双極性障害の原因は何でしょうか。遺伝的な要素も多少あります。それは,うつ病の場合よりも強いようです。アメリカ医師会は次のように述べています。「複数の科学的研究によると,肉親―両親,兄弟姉妹,子ども―に双極性障害がある場合,健康な人の近親者よりこの病気になる率は8倍から18倍高い。さらに,肉親に双極性障害の患者がいる人は,大うつ病にかかりやすいと言えるかもしれない」。


うつ病とは異なり,双極性障害に苦しむ人の割合は男性も女性も変わらないようです。青年期に症状の出る場合がほとんどですが,ティーンエージャーや子どもが双極性障害と診断される例もあります。とはいえ,症状を分析して適切な判断を下すのは,医療の専門家でもかなり難しい場合があります。


ジョンズ・ホプキンズ大学医学校のフランシス・マーク・モンディモール医師はこう書いています。「双極性障害はカメレオンのような精神障害で,症状の現われ方が患者によって,また同じ患者でも発症期<エピソード>によって変わる。幽霊のように,患者に忍び寄って憂うつの闇に包み込むかと思えば,ある時は何年も姿をくらまし,その後,まばゆくて激しい躁の衣をまとって再び現われる」。


医師たちによれば,それぞれの気分はしばしば何か月も続きます。しかし,「サイクルの速い人」は,うつと躁の変動を年に何度か経験します。まれな例として,24時間以内の周期で一方の極端から別の極端へと変わる患者もいます。


確かに,気分障害の診断は難しく,それに取り組みながら生きるのはさらに難しいと言えます。しかし,その障害に苦しんでいる人たちにも希望があります。



配偶者の目から


「病気になる前のルシアは,相手の気持ちをよく察することができ,多くの人の生活に感化を与えていました。今でも,妻が落ち着いている時に訪ねて来る人たちは,妻の温かさに引き付けられるようです。ルシアが極度のうつ状態と躁状態を交互に繰り返すことに,たいていの人は気づきません。でも,双極性障害とはそのようなもので,妻はその病気に4年も耐えてきました。


「躁の時期には,ルシアの頭に創造的なアイディアが次々と浮かんできて,午前1時や2時,あるいは3時まで起きていることも珍しくありません。とにかくエネルギーにあふれています。ごく小さなことにも過敏に反応し,衝動的にお金を使います。また,非常に危険な状況に足を踏み入れてしまいます。自分は大丈夫,道徳面や身体面その他の点でも危険はないと感じるのです。こうした衝動のある時には自殺の恐れがあります。躁状態の後には必ずうつ状態が来ます。うつの程度は,普通それに先立つ躁の程度に比例します。


「生活は大きく変わりました。ルシアの症状に対処する方法一つを見ても,今日できることは,昨日できたことや明日できることと違う場合があります。状況次第です。自分にできると思った以上に柔軟にならなければならないことに気づきました」。―マリオ。



[脚注]

この特集記事に出てくる名前は一部変えてあります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以上は目ざめよ2004年1月8日号「気分障害に取り組みながら生きる」からの引用です。「気分障害に取り組む」は(1)~(5)まであります。「(1)うつ病(2)双極性障害(3)医療の助けを得る(4)さまざまな助け(5)他の人たちはどのように助けになれるか」です。次回は「(3)医療の助けを得る」を取り上げます。







ヨハネのブログ


                      双極性障害








2012年01月30日 littleyohaneの投稿

イザヤ42章・神が是認した僕イエス・キリスト

テーマ:イエス・キリスト

「見よ、わたしがしっかりととらえているわたしの僕を! わたしの魂が是認したわたしの選んだ者を! ・・・・・・彼は諸国民への公正をもたらすであろう。」(イザヤ42:1)


イザヤ42章には、エホバが是認して選んだ神の僕が登場します。その神の僕は、公正をもたらします。この神の僕とは誰なのでしょうか。


イザヤ42章1節から4節までが、マタイによる福音書に引用され、神が是認した僕はイエス・キリストに適用されています。そこではこうなっています。「[イエス]はその人々をみな治された。16 しかし,ご自分のことを明らかにしないようにと彼らに厳重に言い渡された。17 それは,預言者イザヤを通して語られたことが成就するためであった。彼はこう言ったのである。 18 『見よ,わたしが選んだわたしの僕,わたしの魂が是認したわたしの愛する者! わたしは自分の霊を彼の上に置き,彼は,公正とは何かを諸国民に明りょうにするであろう。19 彼は言い争わず,声を上げて叫ばず,まただれとて大通りでその声を聞くのでもない。20 彼は打ち傷のついた葦を砕かず,くすぶる亜麻の灯心を消さず,やがて公正を成功裏に送り出す。21 まさに,諸国民は彼の名に望みをかけるであろう』」(マタイ12:15-21)


エホバは、イエスが神が「是認した」「愛する者」であることを明らかにされました。イエスがヨルダン川でバプテストのヨハネからバプテスマを受けられた時、エホバは天から彼に聖霊を注がれ、「自分の霊を彼の上に置(かれました)」。また、その時エホバは、イエスに対して「あなたはわたしの子、わたしの愛する者である。わたしはあなたを是認した。」という声を聞かせました。(ルカ3:21)


またイエスはイザヤ42章の預言によると、「公正とは何かを諸国民に明りょうにする」ことになっていました。(イザヤ42:1。マタイ12:18)イエスは福音書の中で「公正」について言及されました。それは、その当時の宗教指導者を糾弾されたときでした。


イエスは次のように言われました。「偽善者なる書士とパリサイ人たち,あなた方は災いです!あなた方は,はっか・いのんど・クミンの十分の一を納めながら,律法のより重大な事柄,すなわち公正と憐れみと忠実を無視しているからです。これらこそ行なうべきことだったのです。」(マタイ23:23)


イエスは、その当時の書士とパリサイ人が、厳格にモーセの律法の規定に従いながら、公正と憐れみと忠実という律法のより重要な事柄を無視していると言われました。それで、律法を厳格に守ることも無視すべきでなかったとはいえ、イエスは、真の公正とは憐れみと忠実の伴うものであることを明らかにされました。


イエスは生き方によっても公正とは何かを明らかにされました。当時の宗教指導者たちは、一般の人々を見下げていました。(ヨハネ7:49)しかし、イエスはその当時罪人とされていた人たちとも交わられて、エホバとその王国について教えられました。また、多くの病気の人々を憐れみの気持ちからいやされました。そのようにして、神の公正とは、人々に対する憐れみを特徴としていることを示されました。


イエスは、どのように「叫びもせず、声を上げもせず、ちまたでその声を聞こえさせもしな(かった)」のでしょうか。(イザヤ42:2)マタイ12章にもあるように、イエスは、奇跡によって病人をいやされた時にも、その人がそのいやしについて他の人々に明らかにしないようにと命じられました。そのようにして、イエスはご自分の奇跡がちまたではなばなしく喧伝されないように取り計らわれました。イエスは人々が感情的に動かされることによってではなく、聖書の理解にもとづいて冷静に判断してご自分をメシアとして見分けることを望まれたのでしょう。


また、イエスはどのように、「砕かれた葦を折らず、薄暗い亜麻の灯心については、それを消すこともな(かった)」のでしょうか。(イザヤ42:3)イエスは自分の罪の重さによって砕かれた葦、また消えかかった亜麻の灯心のようになっている人を、それ以上糾弾して、その人が罪の重さに押しつぶされてしまわないようにされました。(ルカ7:47,48。マタイ9:2)イエスは弟子たちに罪を悔い改めた人を許すように、人を罪に定めるのをやめるようにと諭されました。(ルカ17:3;6:37。マタイ18:21,22)人々が罪を犯したくないという願いを持っていることを信頼され、それ以上罪を犯さないように優しく励まされました。(ヨハネ5:14)


確かに、イエスは、イザヤ書で予告されたエホバ神が是認し選んだ僕でした。予告された神の僕であったイエスの言葉と生き方から、神の公正とは憐れみを伴うものであることが分かります。私たちはたとえ、罪を犯してしまっていても、悔い改めるなら神とイエスから、憐れみ深い扱いを受けることを信頼することができます。




                 イエスのいやし











ヨハネのブログ
2012年01月29日 littleyohaneの投稿

モアブ碑石(メシャ碑文)は聖書の正確さを裏付ける

テーマ:聖書と考古学

モアブ碑石(メシャ碑文)は、モアブの王メシャの作成したほぼ3,000年前の碑文で、1868年にディボンの遺跡の中で発見されました。モアブ碑石は、聖書の歴史や場所の多くの点を裏付けています。また、モアブ碑石は、神のみ名が使われている聖書以外の最古の記録でもあります。


モアブのメシャ王は,自分がイスラエルの支配を打破したことを記念し,自らの神ケモシュのためにモアブ碑石を建てました。モアブ碑石は、黒光りする玄武岩でできており、頂上部が丸く、高さは112センチ、幅は71センチ、奥行きは36センチです。石碑の本文はヘブライ語と同系統の言語であるモアブ語で、34行の碑文が刻まれています。


モアブ碑石は一度壊されましたが、復元され、現在もパリのルーブル美術館に展示されています。また、ロンドンの大英博物館でも、その複製品を見ることができます。


モアブ碑石の内容は普通、列王第二 3章に記されている出来事のあった時期の事柄であるとされています。聖書が述べていることは、メシャの宣伝調の碑文とは少し異なっています。聖書はモアブ人が屈辱的な敗北を被ったことを伝えています。


聖書によると、モアブの王メシャは、イスラエル王国に隷属していた時、アハブ王に子羊10万頭と、毛を刈っていない雄の羊10万頭を貢ぎ物として支払いました。しかし、アハブが死ぬとすぐ、メシャはイスラエルの王アハジヤに反逆しました。(列王第二 1:1; 3:4,5)しかし、アハジヤは長く支配せずに死に、その後を兄弟のエホラムが継ぎました。


エホラムは、メシャを再び服従させるために、ユダおよびエドムの王と同盟し、モアブを攻めます。同盟軍は、行軍の途中で水が尽きてしまいました。しかし、預言者エリシャは、彼らを助け、乾いた奔流の谷が水で満たされました。(列王第二 3:5‐11,16-20)翌朝、日の光が水面に映り、モアブ人はそれを血だと錯覚し、イスラエルとユダとエドムの連合軍が同士討ちをしたのだと考えました。モアブ人は油断して、イスラエルの陣営に入りましたが、敗走させられました。イスラエルは追撃して、モアブ人の諸都市を滅ぼし、彼らの泉をふさぎ、良い土地に石を満たしました。(列王第二3:21-25)


それでメシャは、剣士700人を引き連れ、エドムの王のところに突入しようとしましたがそうすることができませんでした。「ついに彼は、自分に代わって治めることになっていた長子を取り、その子を城壁の上で焼燔の犠牲としてささげ」ました。何らかの理由で「イスラエルに対する大いなる憤りが臨み」、攻囲は放棄されました。(列王第二 3:26,27)


モアブ碑石の中でモアブの王は自分を「モシャ」と言っています。聖書ではこのモアブの王は「メシャ」と発音されてきましたが、ギリシア語70人訳で「モサ」となっているようにモアブ語で「モシャ」であったと思われます。また、碑文の中に「イスラエルの王」「オムリ」の名前が出てきます。そして、彼は、オムリとその子の時代、すなわち聖書によればアハブの時代にモアブがその支配下に置かれていたことを認めています。



メシャはその碑文の中で,自分が非常に信心深いこと、都市や街道を作ったこと、そして、オムリの子らの時代に、40年間続いたイスラエルの支配を撃ち砕いてイスラエルに対して勝利を収めたことについて誇っています。そしてこの点で、すべての誉れを自分の神ケモシュ(カモシュ)に帰しています。聖書は「モアブ」の神が「ケモシュ」であると述べています。(列王第一11:7,33)


日本人の考古学者による碑文の訳文がネットで公開されています。「モアブの王メシャの石碑 和田幹夫 」です。確認されてみてください。その中にも、「イスラエルの王」「オムリ」の名前と、「アタロト、ネボ、アロエル、マヘダバ、ディボン、バト・バアルマオン、ヤハツ、キルヤタイン、ベツェル、バアルマオン、ハウロナイン(ホロナイム)、バト・ディブラタイン(ベト・ディブラタイム)、キリヨト(ケリヨト)」の地名が確認できます。それらの地名はイスラエルの領地にある都市であり、それらの場所は聖書に記載されています。(民数記32:34,37,38。ヨシュア 13:9,17‐19,20:8。イザヤ 15:5。エレミヤ 48:22,24)このようにモアブ碑石は聖書に登場する場所の史実性を裏付けています。


メシャは、また、イスラエルの神エホバについて言及しました。その文書の第18行目に四文字語テトラグラマトンが記されています。その部分でメシャは,「わたしはそこからヤハウェの[器]を取り,それらをケモシュの前に引いて来た」と豪語しています。日本人の考古学者は「わたしはそこから18ヤーウェの英雄たち(?)を捕らえて、カモシュの前に連れ出した。」と訳出しています。聖書以外の文書で神のみ名が使われている例としては,これが恐らく最古の記録であろうと思われます。


しかし、碑文は、モアブの神ケモシュと王メシャに栄光を帰するものであったため、モアブの王は自分の敗北や息子を犠牲にしたことは省いています。「聖書考古学レビュー」誌(1986年5/6月号,57ページ)は次のように述べています。「支柱なしで立っている石や神殿の壁の記念碑文は、宣伝を目的として、また国民の神と国の支配者を栄化するために造られた。したがって、メシャが、自分の国に対するイスラエル、ユダ、エドムの王たちの軍事行動に何も触れていないのも驚くにあたらない。一方,聖書はそのことを詳しく述べている」。


古代のモアブ碑石は、モアブ人の神ケモシュと、王メシャをたたえるために、作られましたが、はからずも、聖書の歴史的正確さを裏付けています。私たちは聖書の記録が詳細な点に至るまで、正確であリ、実際に起きたことであることを信頼できます。



列王第二18章・ニネベとセナケリブに関する聖書の記述の真実性

ヨハネのブログ
モアブ碑石

















2012年01月23日 littleyohaneの投稿

イザヤ40章・全宇宙の星を創造された偉大な神

テーマ:エホバ神

「あなた方の目を高く上げて見よ。だれがこれらのものを創造したのか。それは,その軍勢を数によって引き出しておられるであり,その方はそれらすべてを名によって呼ばれる。満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強く,[それらの]一つとして欠けてはいない。」(イザヤ40:26)


聖書は私たちに天の星を見上げて、それらの星を創造された神がおられることを考えるように勧めています。私たちは、夜、星を見上げる時、何個の星を確認できるのでしょうか。ネットのあるデータによると、肉眼で確認できる星は、だいたい6等星までで、その数は全天で8600個です。日本がある北半球で、その半分が見えると考えると、条件が良い場所で確認できる星の数はだいたい4300個になるとのことです。


しかし、宇宙にはそもそも何個の星があるのでしょうか。わたしたちの属する太陽系は銀河系に含まれています。わたしたちの銀河系は1,000億個以上の恒星を含んでいます。少なくとも2,000億個から4,000億個と推定する科学者たちもいます。また,そして、宇宙全体には、1,000億以上の銀河があると考えられており,今では推定500億から1,250億の銀河が存在し,それぞれに幾千億個もの星が含まれていると見られています。それで、全宇宙の星の数は膨大なものです。


もし、ハッブル宇宙望遠鏡が撮った1万個の銀河を元に全宇宙の星の数を計算してみると、およそ、300ガイ個(0が22個つく)になります。こうした推定からも、全宇宙の星の数が膨大なもので私たち人間の理解を超えている数であることが分かります。


それでも、エホバはその「軍勢を数によって引き出しておられる」と述べられており、エホバが全宇宙の星の数を把握しておられることが分かります。詩編 147編4節にも,「神は星の数を数えておられ(る)」と述べられています。


さらに、エホバは、全宇宙の星に名前をつけておられます。エホバは「それらすべて(全宇宙の星)を名によって呼ばれる」と述べられています。また、聖書は「星は他の星と栄光の点で異なります」と述べています。(コリント第一15:41)ですから、エホバは全宇宙の星の数を把握されているだけでなく、星に名前をつけて、それぞれの星の特徴を把握しておられます。


また、イザヤ書には、「満ちあふれる活動力のゆえに,その方はまた力が強(い)」と述べられています。「満ちあふれる活動力」は英文字義では,「満ちあふれる起動的エネルギー」となっています。全宇宙に存在する膨大な数の星の持つ物質とエネルギーは、創造者エホバから来ました。


エネルギーは物質と転換することができます。アインシュタインの有名な公式、E=mc2(エネルギーは、質量に光の速さの二乗を掛けたものと等しい)という関係式はそのことを裏付けています。この公式から物質から膨大なエネルギーを生み出すことができるのと同じように、エネルギーから物質を生み出しうるということが分かります。エホバは、理知を持たれる無限のエネルギーの根源である方です。ですから、エホバは、膨大な数の宇宙の星を創造することができました。


創造者エホバは、全宇宙にある星の数も把握できない微小な人間と何と異なっているのでしょう。エホバの無限の知恵と全能の力を持ってすれば、エホバは、聖書の中で明示しておられる地球を楽園にしてそこに住む人間に永遠の命を与えるというご自分の目的を必ず成し遂げることができるでしょう。(ルカ23:43。詩編37:29)これからも、エホバ神に依り頼んでまいりましょう。







ヨハネのブログ















2012年01月22日 littleyohaneの投稿

気分障害に取り組む(1)-うつ病

テーマ:感情の問題

気分障害が驚くほど広く見られます。例えば,ある推定によると,世界中で3億3,000万人が重度のうつ病を患っています。これは,圧倒されるような悲しみや,日常の活動に喜びを感じられなくなるといった症状を特徴としています。うつ病は,今後20年以内に,心血管系の病気に次いで2番目に多い病気になると考えられています。うつ病が「心の風邪」と呼ばれているのも不思議ではありません。


近年,双極性障害に特に注目が集まっています。その症状には,うつと躁が激しく入れ替わる気分の変化が含まれます。アメリカ医師会が最近出した本はこう述べています。「うつの時期には自殺観念に悩まされ,躁の時期には的確な判断力が失われ,自分の行動のもたらす害が見えなくなることもある」。


双極性障害を患う人は,米国の人口の2%に上ると考えられています。つまり米国だけでも数百万人もの患者がいるということです。しかし,そうした数字だけでは,気分障害に取り組みながら生きる人たちの苦悩を表現することはできません。


うつ病―圧倒されるような悲しみ


たいていの人は,込み上げてくる悲しみというものを経験したことがあります。そうした感情は,数時間あるいは数日もすると収まります。ところが,うつ病の場合は,それよりもはるかに深刻です。どのようにでしょうか。医師のミッチ・ゴラントはこう説明しています。「うつ病でない人は,感情という乗り物がやがて停止することを知っている。しかし,うつ病の人は,まるで暴走列車に乗っているかのように上下左右に振り回される。その列車からいつ,どのように降りられるか,いや,果たして降りられるのかどうかさえはっきり分からない」。


うつ病には様々な形態があります。例えば,季節的情動障害(SAD)と呼ばれるうつ病を抱える人がいます。これは,一年の特定の時期に現われるタイプで,冬季に多く見られます。国民医療協会が出した本は,こう述べています。「SADの患者によれば,そのタイプのうつ病は,住まいが北方にあるほど,またどんよりした天気が続くほどひどくなる。SADはおもに冬の薄暗い日々と結びつけられてきたが,薄暗い室内の作業スペース,季節外れの曇った時期,視力障害などが関係する場合もある」。


うつ病の原因は何でしょうか。答えははっきりしていません。遺伝が関係しているように思える例もないわけではありませんが,たいていは生活上の種々の経験が大きな要素となっているようです。うつ病と診断されるのは,男性より女性のほうが2倍も多いことが知られています。 しかし,だからと言って男性はうつ病にならないというわけではありません。男性の5%から12%は,生涯のある時点でうつ病になると見られています。


女性は産後うつ病になることがある上に,更年期のホルモンの変化に弱いという理由もあるようです。また,一般に男性より女性のほうが医師の助けを求める傾向があるので,うつ病と診断される率も高いと言えます。


このようなうつ病になると,人は憂うつな気分に満たされ,生活のほとんどすべての面で影響を受けます。この苦しみを持つシーラという女性はこう語ります。うつ病は「人の根幹まで揺さぶり,自信や自尊心,正しく考えて決定する能力をむしばみます。もっと進行すると,これでもかと言わんばかりに,時折ぐいぐい締め付けます」。


時には,感情移入をして話をよく聴いてくれる人に感情を打ち明けることによってかなり救われる場合もあります。(ヨブ 10:1)とはいえ,生化学的な要因が関係している場合,うつ病は単に積極的な見方をするだけでは治せないことを認める必要があります。実際,そのような場合,この病気による暗い気分は当人の力ではどうすることもできません。さらに,家族や友人だけでなく,苦しんでいる人自身も自分の状況に当惑させられていることがあります。


ポーラというクリスチャンの例を考えましょう。ポーラは,うつ病と診断されるまで,何もできなくなるような強い悲しみの発作に耐えていました。彼女はこう述べています。「時折,クリスチャンの集会が終わると自分の車に駆け込み,何の理由もなく泣くことがありました。ただ圧倒されるような孤独感やつらさに襲われました。気遣ってくれる友がたくさんいることはいろんな点に示されていたのですが,自分にはそれがよく見えませんでした」。


うつ病で入院する必要のあったエレンも似たような経験をしました。「わたしには二人の息子と,かわいい二人の義理の娘,そして夫がいます。みんなとても愛してくれていることは感じています」と言います。理屈からすれば,エレンが良い生活を送り,家族から大切にされていることははっきりしているように思えます。ところがうつ病と闘っている時には,どんなに不合理でも,暗い考えに圧倒されてしまうことがあるのです。


うつ病が家族に与え得る大きな影響も見過ごせません。ゴラント医師はこう書いています。「自分の愛する人がうつ病になると,慢性的な不安を抱いた生活になりがちである。愛する人がうつ状態からいつ立ち直り,また新たなうつ状態にいつ陥るのか,全く分からない。普通の生活にはもう戻れないと考えて深い喪失感を覚え,悲嘆や怒りさえ感じるかもしれない」。


多くの場合,子どもは親がうつ病であることに気づきます。「うつ病の母親を持つ子どもは,母親の感情にかなり敏感になり,感情の微妙な差異や変化すべてをつぶさに観察する」と,ゴラント医師は書いています。キャロル・ワトキンズ医師によれば,うつ病の親を持つ子どもは,「行動上の問題や学習困難,仲間との問題を抱えやすく,自分もうつ病になることがある」ということです。


[脚注]


この特集記事に出てくる名前は一部変えてあります。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


以上は目ざめよ2004年1月8日号「気分障害に取り組みながら生きる」からの引用です。「気分障害に取り組む」は(1)~(5)まであります。「(1)うつ病(2)双極性障害(3)医療の助けを得る(4)さまざまな助け(5)他の人たちはどのように助けになれるか」です。次回は双極性障害について取り上げたいと思います。次回は、さ来週になると思います。



ヨハネのブログ

              うつ病-圧倒されるような悲しみ











2012年01月16日 littleyohaneの投稿

イザヤ38章・新改訳 生きている者だけが神をほめたたえる

テーマ:死の状態

「よみはあなたをほめたたえず、死はあなたを賛美せず、穴に下る者たちは、あなたのまことを待ち望みません。生きている者、ただ生きている者だけが今日のわたしのように、あなたをほめたたえるのです。」(イザヤ38:1819




多くの教会では、人は死んだ後神に召されて天に行くと、教えています。それで、多くの教会員は死んだ後も、意識が続いて天国の神のもとで過ごせると信じています。




ところがヒゼキヤ王は冒頭の聖句のように祈りました。このように、ヒゼキヤ王は生きている者だけが神をほめたたえることができるのであり、人は死ぬと、神を賛美することができなくなると述べました。ですから、ヒゼキヤ王は、人は死んで天の神のもとに行くとは信じていませんでした。



ヒゼキヤ王はいつこのように語ったのでしょうか。ヒゼキヤ王は、病気になって死にかかっていました。そこで、預言者イザヤが彼のところにやって来て、「あなたは死ぬ。直らない。」という神の言葉を伝えました。そこで、ヒゼキヤは、自分が神に良いと見られることを行なってきたことを思い出してくださいと神に祈って大声で泣きました。(イザヤ38:1-3



神はヒゼキヤの祈りに耳を傾けられました。そこでイザヤは、ヒゼキヤの寿命にもう十五年を加えるという神の言葉を彼に伝えました。(イザヤ38:5)病気から回復した時、ヒゼキヤがしるした言葉の中に冒頭の言葉が含まれていました。



ですから、ヒゼキヤは命が延びたことを感謝しました。それは生きているからこそ、神を賛美したり感謝したりすることができるからです。ヒゼキヤが述べているように、死んでよみに行くと、神を賛美したり、神を待ち望んだりできません。このように聖書は人が死ぬと神をほめたたえることも何もできなくなると述べています。(詩篇6:5。伝道者の書9:10



ですから、死ぬと天に行くという教会の教えは聖書が述べていることではありません。私たちは自分の行っている教会の教えが聖書と調和しているかどうかを調べてみるべきでしょう。



聖書は確かに死後に天に復活するという希望をある人々に差し伸べています。(コリント第一15:52,49)しかし、その希望が差し伸べられているのは、人類の中の少数の人々です。(ルカ12:32)聖書は大多数の人には、地上に復活するという希望を差し伸べています。復活とは神によって再創造されることです。聖書は、「義人も悪人も必ず復活する」と述べています。(使徒24:15)悪人が聖なる天に復活することは、神の公正さに反しています。それで、義人も悪人も人類の大多数はこの地上がパラダイスになる時に復活します。(ルカ23:43)悪人も、この地上のパラダイスに復活するのは、神の教育を受ける機会を提供されるためです。



ですから、死者は地上が楽園になるまで復活をしばらく待たなければなりません。死者はその間、神をほめたたえたり、語ったりすることはできません。(詩篇115:17)死者は無意識、無存在になります。私たちは、生きて神を賛美できることをエホバ神に感謝できます。




詩篇103編・人は塵に過ぎずはかないとする聖書の記述(新共同訳)








2012年01月15日 littleyohaneの投稿

夫婦の愛は取り戻せる(4)-口論を鎮める方法

テーマ:結婚と家庭

先回「夫婦の愛は取り戻せる(3)-配偶者に対する話し方 」をアップしました。今回は、結婚生活において口論を鎮める方法についてアップしたいと思います。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


口論を鎮める


ある人たちは,配偶者の行動ではなく,自分の感情を強調するなら,怒りを抑えて根本的な問題に取り組むのがいっそう容易になることに気づきました。例えば,「あなたの言葉に傷ついた」と言うほうが,「あなたに傷つけられた」とか,「もっとましなことが言えないの」などと言うよりもずっと効果的です。もちろん,自分がどのように感じているかを述べるときは,声の調子に苦々しさや嫌悪感を出してはいけません。配偶者の人格を攻撃することではなく,問題をはっきりさせることを目標にすべきです。―創世記 27:46‐28:1。


さらに,「黙っているのに時があり,話すのに時がある」ということをいつも忘れないことです。(伝道の書 3:7)二人が同時に話すと,どちらも相手の言うことを聞いていないので,得るところは何もありません。ですから,自分が聞き手に回った時は,「聞くことに速く,語ることに遅く」あってください。また,「憤ることに遅くある」ことも同じほど大切です。(ヤコブ 1:19)


配偶者の辛らつな言葉をすべて額面通りに受け取ることも,「自分の霊にせき立てられて腹を立て(る)」こともしないようにしましょう。(伝道の書 7:9)むしろ,配偶者の言葉の裏に隠されている感情を読み取るよう努めてください。「人の洞察力は確かにその怒りを遅くする。違犯をゆるすのはその人の美しさである」と,聖書は述べています。(箴言 19:11)夫あるいは妻に洞察力があれば,意見の不一致の裏にある事柄が見えるようになります。


例えば,妻が夫に,わたしと一緒に過ごす時間を取ってくれないとこぼす場合,それは単に時間だけの問題ではない可能性があります。むしろ問題は,妻が,わたしはなおざりにされている,あるいは感謝されていないと感じていることにあるのかもしれません。同様に,夫が妻の衝動買いに文句を言う場合,それは単にお金だけの問題ではないことが考えられます。むしろ問題は,自分に無断で買うことに決めたと夫が感じていることにあるのかもしれません。洞察力のある夫あるいは妻は,裏に隠れている問題を探り,その核心に触れることでしょう。―箴言 16:23。


言うは易く行なうは難しでしょうか。確かにそのとおりです。最善の努力を払ったのに,思いやりのない言葉が返ってきて,怒りが燃え上がるということもあるでしょう。そのようになりそうな時は,箴言 17章14節の次の助言に従う必要があるかもしれません。「言い争いが突然始まってしまう前にそこを去れ」。


気持ちが落ち着くまで話し合いを先に延ばすのは間違いではありません。話しているとどうしても収拾がつかなくなるというのであれば,円熟した友人の一人に同席してもらい,問題を十分に検討できるよう助けてもらうとよいかもしれません。



聖書の箴言の知恵



箴言 10:19: 「言葉が多ければ違犯を避けられない。しかし,唇を制する者は思慮深く行動しているのである」。

だれでもかっとなると,思わぬことを言ってしまい,あとで後悔するものです。



箴言 15:18: 「激怒する人は口論をかき立て,怒ることに遅い者は言い争いを静める」。

辛らつな言葉で非難するなら,相手に徹底抗戦の構えを取らせかねません。一方,相手の言うことに辛抱強く耳を傾けるなら,それは二人が解決に向けて努力するのに役立ちます。



箴言 17:27: 「自分のことばを控える者には知識があり,識別力のある人は霊を冷静に保つ」。

怒りがこみ上げてくるのを感じたら,余計な口はきかないようにして,本格的な対立を避けるのが最善です。



箴言 29:11: 「愚鈍な者は自分の霊をさらけ出し,賢い者は最後までこれを穏やかに保つ」。

自制することが大切です。かっとして厳しい言葉をぶつけるなら,配偶者を遠ざけるだけです。



現実的な見方を保つ


結婚生活が,求婚時代に思い描いたようなものではないとしても,幻滅を感じる必要はありません。ある専門家のグループは,「いつまでも幸福に暮らすというわけにいかないのが,大半の人の結婚生活だ。すばらしい時もあれば,たいへんな時もある」と述べています。


確かに,結婚はおとぎ話に出てくるロマンスのようなものではないかもしれませんが,悲劇である必要もありません。互いに忍耐し合わねばならない時も来ますが,意見の不一致など忘れて,共にいることをうれしく思い,楽しく過ごし,友達のように話せる時も来ることでしょう。(エフェソス 4:2。コロサイ 3:13)そうした時に,冷めていた愛をもう一度呼び覚ますことができるかもしれません。


そもそも二人が不完全である限り,完全な結婚生活を送ることはできません。それでも,ある程度の幸福を見いだすことはできます。実際のところ,問題がある場合でも,結婚関係は計り知れない満足をもたらすものとなります。一つのことは確かです。夫と妻の両方が努力を払い,進んで融通を利かせ,互いの長所を探そうとするなら,夫婦の愛を取り戻すことは可能だと信じてよい十分な理由があるのです。―コリント第一 10:24。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



以上は目ざめよ!2001年1月8日号「夫婦の愛は取り戻せる」からの引用です。「夫婦の愛は取り戻せる」は(1)~(4)のシリーズです。(1)結婚の誓いを果たす(2)結婚生活を守る努力を払う(3)配偶者に対する話し方(4)口論を鎮める方法です。






ヨハネのブログ


                            話に耳を傾けましょう












Amebaおすすめキーワード

    1 | 2 | 3 | 4 | 5 |最初 次ページ >>
    アメーバに会員登録して、ブログをつくろう! powered by Ameba (アメーバ)|ブログを中心とした登録無料サイト