使徒2章・クリスチャンが神のみ名を用いるべき理由 | ヨハネのブログ

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使徒2章・クリスチャンが神のみ名を用いるべき理由

エホバの名を呼び求める者はみな救われるであろう」(使徒221)


今日、教会員の中には、神のみ名を発音しようとしない人がほとんどです。しかし、それは初期クリスチャンの習慣ではありませんでした。初期クリスチャンの時代には、神のみ名が重んじられていたことを示す一般の資料が残っています。



ユダヤ教のラビの教えや伝承を集大成したものである、ユダヤ教のミシュナにのせられている情報はそのことを示しています。それを編さんしたのは,西暦2および3世紀に生きていたラビとされています。ミシュナの一部の資料は、明らかに西暦70年におけるエルサレムとその神殿の滅亡以前の状況です。つまりイエスやイエスの初期の弟子たちが地上で生きていた時代の状況を反映しています。



それによると、年に一度の贖罪の日に関して、ダンビー訳のミシュナはこう述べています。「神殿の中庭に立つ祭司たちや民は、大祭司の口から発せられて言い表わされた御名を聞くと、ひざまずいて身をかがめ、ひれ伏して、『その王国の栄光の御名が、限りなく永久にほめたたえられますように!』と言うのであった。」それで、神殿で大祭司は神のみ名を発音し、神のみ名は一般の民から重んじられていました。


また別のミシュナの記録によると、祭司が日ごとに述べる祝福の言葉について、こう述べられています。「彼ら(祭司)は神殿では御名を書かれている通りに発音したが,地方では代わりの言葉で発音した。」それで、このことからも、初期クリスチャンの時代に、神殿で祭司は神の御名を発音していたことが分かります。


また、ミシュナの他の部分には、「人は神の御名を使って仲間とあいさつすべきである」という積極的な命令もあり、その後にボアズの例が引き合いに出されています。ルツ記によると、ボアズは「エホバがともにおられるように」とあいさつし、それに答えて「エホバがあなたを祝福されますように」というあいさつがなされました。(ルツ24)それで、イエスの時代に人々は日常生活の中で神の御名を用いていたと思われます。初期クリスチャンは、そのような環境の中で、生活していたのですから、普通に神のみ名を発音し、用いていたであろうことは、容易に想像できます。



また、西暦2および3世紀にも、神の御名を用いるよう励ます事がユダヤ教の指導者であるラビによってある程度行なわれていたことをユダヤ教のミシュナは示しています。



このようにエホバの神殿がまだあった時代、初期クリスチャンの時代に神の御名が重んじられていたことを示す一般の資料があります。初期クリスチャンの時代に神のみ名は用いられ重んじられていたのですから、今日、教会員が神のみ名を発音しない習慣は、エホバ神が望んでおられる初期クリスチャンの本来の習慣から、逸れてしまったものです。



冒頭の聖句は、新世界訳です。新世界訳では、新約聖書の中でも、神のみ名を復元しています。使徒ペテロは、預言者ヨナの言葉を引用して、エホバのみ名を呼び求めること救いに肝要であることを述べました。新世界訳聖書はこのように多くの場合、旧約聖書からの引用の場合、神のみ名を復元しています。エホバ神はご自分のみ名が呼び求められることを望んでおられます。クリスチャンは、救いのために、神の御名を用いて、呼び求めるようにすべきだと言えます。



 神のみ名を用いている聖書について、また新世界訳聖書がどのような方針で神のみ名を新約聖書に復元したかについては、ブログの2009年11/12の分をご覧ください。