今にして想うと
父も母も 自分自身が
不安そのものだったのだろう
もっと 自分を見てほしい
もっと 自分を愛してほしい
すべてが そこから始まっていたのだろう
あるとき父は
私が わが子を抱いている姿を見て
「わしは そんなふうに 大事に抱かれたことがあるじゃろうか」
と 言ったことがあった
ないことは ないだろう
・・・いや、どうかな
昭和20年代の、田舎の、家父長制度色濃いなかでの
三人兄弟の次男坊
事実は どうであれ
父は(おそらく 母も)
「愛されている、必要とされている」 という
安心、実感を 感じることなく育ち
自分を形成したのかもしれない