望郷の父・・・2 バイクの父、歌う父 | 魂の選ぶ声を聴く ~言葉にならない想いをつなぐ~

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無意識のストレス反応を意識的に変化させて
気づきと自然治癒力を高め 自分や周りのひとの存在に光をみる人生を楽しんでいます

望郷の父・・・目次



そんな父 天候のいい時期は、250ccのバイクで通勤していた


恒例の「いってらっしゃい」をするとき


父の機嫌なのか、気分なのか


「妙子の気がすむけえ」


と 私をバイクに乗せて、近所をひとまわりすることがあった



・・・幼い私が 出勤する父と離れがたくて ぐずるから?



そんなことがつくりあげられていたようだが


私の感情の記憶では


そんなものは ほとんどなかった


単純に バイクの後ろ(ときには 前に)に乗せてもらうのは


風をきって とても心地よかった、大好きだった



母は そんな父の言動に


・・・出勤前の忙しいときに 大丈夫か?


とか


・・・バイクに乗せて 大丈夫か?


とか


心配するような、少し苦るような顔をしていた



・・・が なかば そんな「ふり」だったのかもしれない


つかの間の「ひとり」時間に ほっとしていたか?




幼い私は バイクに乗せてもらう「特権」が


母に対しての「へへーんだ」みたいな、ざまあみろみたいな気分もあり


小気味よかった



そして、そんな小気味よさもすぐに忘れる、風の爽快感だった 




幼い頃の私には 母の存在感というものが、あまりなかった


母には 期待できない・・・と どこかで感じていたんだと想う



母が何を言っても 父の一言ですべてが覆される


「立場がない」母の表情を 想い出す



幼い三姉妹を育てるなかで


両親の間で 「いいとこどりは 父がする」 と 決めていたそうだ



そんなはずはないと想うのだけれど


母から 優しく抱きしめられたとか、見つめられたとか、遊んでもらったとか


そんな記憶がない



夕方 父の帰宅する時間が近づくと


それまで まるで寝込むように横になっていたような母が


急にいらいらとあわてて 晩ご飯の支度にとりかかり


ヒステリックに 娘たち(ほぼ長女の私)に 八つ当たりし始める



父が帰ると その状態から解放されるので


父の帰宅にほっとしていたような 気もする


・・・母の機嫌から 父の機嫌へと 家の空気が変わるだけなんだけど





ずっとのちになって、母曰く


「おとうさんが 全部いいとこもっていっても、女の子だから いつか私の気持ちは通じる」


と 信じていた? らしい





実家のあった、静かな田畑が広がる環境のなかでは


バイクの ババババ ブルブル という音は


かなりの騒音だったのでは?


あの頃、あの辺りで バイクに乗っていた人は・・・いたかなあ?



父は 「近所迷惑」 ということを いっさい気にすることがなかったが


たくさんの動物がいた、あの家からは


動物の鳴き声


一家の歌声、怒鳴り声、泣き声、叫び声


が かなりのものだっただろう



だいぶ大きくなってから


父が 機嫌のいいときに お風呂で歌う声を聴いた、隣りのおばさんが


「・・・っうるさい」


と 憎々しげに吐き捨てているのを見て


何年にわたって そう言われ続けていたのかと


恐ろしく感じたこともあった




そんなことを言われようが、言われなかろうが


自分の機嫌のままに 腹から声を出して


独特のこぶしをつけて 父がお風呂で歌う歌は


「北国の春」


「夕焼け雲」


「津軽平野」


「望郷酒場」


・・・千昌夫、ときどき吉幾三 である




父は 生まれも育ちも 広島のど田舎


望郷は、雪国では ないんだけどな