酒場人生覚え書き -226ページ目

HARVEY石井 PART②

賑やかな笑い声に釣られて居間に行くと、いま流行りの“WII”とか言うテレビゲームに興じている

最中だった。


「なんだ下らん・・・・」


とその場を立ち去ろうとしたのだが、眼の片隅で捉えたテレビ画面はそれをさせなかった・・・・不

格好なマイケル・ジャクソンのムーンウオーク(ずいぶん古いねぇ)のように、後ろ向きのまま逆歩

行してそこに戻った。


40インチの大画面のど真ん中に“ヤツ”が居たのだ。



こんな顔で・・・・

そう、そこに居たのは前回の紹介でファン急増の“HARVEY石井”だったのだ。


無断で我が家のTV画面に登場した“家宅侵入罪”で指名手配をしたいのだが、そのデーターの

一部を挙げてみよう・・・・尚、人相書き制作者は我が「グランド・チャイルド探偵団」である。


出 身:千葉県茂原(日本のフレンチエだと言い張っている)


性 別:男(ただし時々オカマっぽくなる)


年 齢:多分36歳(独身)


最終学歴:東・大(ただし頭に“東”の付く大学は仰山あるデエ。東京でないことはあまりにも

冷厳なる事実)


職 業:ベニスのゴンドラ漕ぎではなく某一流建築会社


愛 車:BMW563i


愛唱歌:森山直太朗・坂元九・時々モー娘


愛飲酒:バランタイン17年、時々ドンペリ


好きな俳優:ショーンコネリー・故 渥美清


生涯学習のテーマ:モアイ像の神秘(何故かって・・・・“ヤツ”はかって“モアイちゃん”と呼ば

れていた為だろうと推測する)



趣 味:散歩(休日には“赤いバック”を片手にやたらと歩き回る)

どうかこんな顔をした“ヤツ”に出会ったら“ぼんそわーる”まで出頭するように伝えて欲しい。






出勤前に・・・・



お店に行く前の暫時「赤煉瓦倉庫」あたりをぶらついてみた。
赤煉瓦倉庫の向こうに見える大桟橋には、薄暮の中に贅沢すぎる明かりで装う「飛鳥」が停泊

中だった。



風に乗って漂ってくる花の香りに向かっていくと、広場一面のフラワーガーデンがあり、花々も

モニュメントもライトアップされ、中程の“愛の鐘”からカップル達が綱を引き鳴らす鐘の音が絶え

間なく聞こえていた。


横浜赤煉瓦倉庫5周年の記念イベント「フラワーガーデン」だった。




倉庫群を吹き抜けてくる海風は思ったより冷たいく、少し冷た身体を縮こませて帰ろうとしたとき

目にとまったのが、先日の強風に吹かれてひん曲がった酒瓶のモニュメントである。


「催し物も始まったばかりだというのに、いい加減修理するとか取り替えればいいのに・・・・」


と思いながら正面に廻ったら、曲ったネックとエクボに暖かみを感じるあの「J・P・.シェネ」の巨大ボ

トルだった。



なんでもこのデザインは店頭でお客様の目を引くばかりではなく『真似の出来ない美味しさ』

『工芸職人の手づくりのボトルを連想する』『ワインに芸術を取り込む』といった発想の元に生まれ

たとか・・・・



“ソムリエ呉葉”からお裾分けのチーズ『CAPRICE des DIEUX』(神々の気まぐれ)に合いそ

うだとは思ったが、「J・P・.シェネ」と試す前に“ぼんそわーるの気まぐれ天使達”が、ペットボトル

の「生茶」との相性を確かめてしまった。


爽やかでクリーミーな『神々の気まぐれ』は「ペットボトルの生茶」にも実によくあったそうで、一瞬

にして消えて無くなり、天使の描かれた空き箱だけがバックカウンターに、今もディスプレイされて

いる。


遠い青春の日

遠い昔日の宵に来た事がある・・・・


 恋を失い胸の奥から涙を絞りだした時もあった
 

友の仕打ちの酷さに握りしめたグラスが
                 小刻みに震えた時もあった
 

都会の暮らしに馴染めずに
           ふるさとの夜空を探しに来た時もあった
 

そんなとき      
 頭の芯が痺れ全ての思考が停滞してしまうまで
           安ウイスキーをガブ飲みしたものだった
 

全ての追憶がセピァ色に変わってしまった・・・・


この小さな酒場のカウンターが
            古ぼけた写真アルバムを繰るように 


甘酸く切なかった 涙のでるほどに

           懐かしい青春の日々を思い出させる
 

ここだけが時の流れが
    そのままとまっている・・・・

 ビヴァ!遠い青春の日


ビヴァ! 懐かしき酒友




常連客であり酒友でありライバルであったFさんとの

想い出から・・・・



時限爆弾

昨夜、二週間ぶりに顔を見せてくれたTA女史が帰ってから、暫くして自分も帰ってきた・・・・手紙を

読んだり日記の整理をして寝たのが午前二時頃。


それから四時間後、春眠の心地よさを一瞬にしてぶち壊されるハメになった。


またしても“グランド・チャイルド秘密工作員”によって仕掛けられた“時限爆弾”によるものだった。


早寝早起きのよい子“グランド・チャイルド秘密工作員”は、余り早起きしすぎると時間をもてあまし

て、遊び相手をたたき起こそうと密かに我が寝室に忍び込んで“時限爆弾”を仕掛けるのである。




その“時限爆弾”は


『♪子供だって、美味しいんだも~ん。QOO~!♪』


と、家中に響き渡るほどに絶叫し続ける“QOOの目覚し時計”である・・・・その時すでに敵の姿は

なく、ドアの隙間からニヤニヤと中の様子を窺っているのだ。



かくして小生の一日の始まりとなる。


そう言えばTA女史が見せてくれた爪にも春が来ていた。
女史のネールアートは折々に変わるのだが、今は桜が咲いていた。




矢張りネールアート・マニアの浩美クンと意気投合のアート談義・・・・締めくくりは


「この歌一緒に歌おうよオ・・・・“星の流れに”。あら知らないの?!じゃあ“岸壁の母”・・・・これも

駄目なの仕方ないわねぇ。それじゃあ、ずっと新しいところで“伊勢佐木町ブルース”なんかド

オ・・・・」



TA女史はBallantine21を、氷を入れたオールド・ファッション・グラスに注ぎ、そこに水を少しだけ

加えた特性ロックを3杯ほど美味しそうに飲みおえると、暖かな夜風に吹かれながら、桜の花が

見頃であろう外人墓地近くの我が家に帰って行った。

HARVEY石井

数週間前の昼下がり懐かしい男から電話が来た。

「もしもし、石井ですけど」
「おー、久しぶりじゃん。どうしたの?」
「今ねえ、馬車道歩いてるんですよ」
「この近くで仕事だったのか」
「今日は休みです」
「休みに何で馬車道なんか歩いてるんだよ。ダレか一緒なのか?」
「ひとりで散歩・・・・」
「この良い天気に良い若いモンが独りで散歩もねえだろう」
「健康のためです」
「それで・・・・これからどこへ行こうての?」
「ここを真っ直ぐ行ってMM方面・・・・」
「そうか、それじゃあワールドポーターあたりに着いたら電話くれよ・・・・お茶でも飲もうよ」
「分かりました」


ワールドポーターのエントランスあたりに立っている石井君を見たとき、思わず回れ右して来た

道を戻ろうかと思ったのであります。

何故って・・・・赤いバックが・・・・赤いバックが・・・・だけど気を取り直し、笑顔で近づき聞いてみた。



「石井君、なんだその手提げ袋は・・・・犬の糞袋か」
「なんですか!犬の糞袋とは・・・・犬を連れて歩いてないんだから、犬の糞袋のわけないでしょ!」
「そん中何入れてんだア?」
「見たい?ミ・タ・イ・デ・ス・カア~・・・・携帯電話にティッシュにリップクリームに・・・・」
「分かった・・・・もういい!!何がリップクリームだよ!男のくせに」
「何怒ってるの・・・・今の季節はねぇ唇が荒れるんですよ」
「バカヤロ、頭ん中が荒れるのを気をつけた方が良いぞ」

「それで、どこでお茶します?」
「なんかさぁ、お前ってキモイよねぇ・・・・なんだよ、その“どこでお茶します?”って言い方」
「マスタ~!“キモイ”なんて言葉は死語ですよ、死語!今時使ってる人いないよ」
「うるさい!!オレはねぇ流行りすたりで言葉を選ばないんだよ・・・・千葉の茂原の“田舎っぺ”に

流行りだのすたれだの言われたくネエよ」
「あ~~~!茂原を馬鹿にしましたね。茂原はイタリアのミラノなんですよ。茂原の人達は道です

れ違うと“ボンジョルノ~”って挨拶するんですよオ~!」
「何がミラノだよ。なにが“ボンジョルノ~”だよ・・・・去年、ゴルフに行くとき茂原を通ったんだけど、

田圃とカカシしか見なかったぞ・・・・もっともカンカン帽をかぶったゴンドリーエみたいなカカシもい

たけどな」
「ゴンドリーエって何です?」
「ゴンドラの漕ぎ手・・・・キミがカンカン帽をかぶって、横縞のシャツにネッカチーフを巻いたら・・・・

うーん、茂原のゴンドリーエじゃん!絶対、日本人には見えないね」
「でしょ!だから言ったでしょ“茂原はイタリアのミラノ”だって」
「チョット違うな。ゴンドリーエがいるのは“水の都ベニス”なんですよ」



・・・・等と戯れ口をききながら、一本のビールと一枚のピザを二人で楽しみ終えると、これから

権太坂上のマンションまで歩いて帰るのだと、意気揚々と去っていった。

ちなみにMM21から権太坂上までは約1時間は掛かるらしい。


その翌日のことである、3才になる“グランド・チャイルド”が「いしいシャンだよ。いしいシャン・・・・」

と良いながら遊んでいるのを聞き留めて、手元を覗くと「機関車トーマス」の仲間“HARVEY”だ

った。
あのクレーンとタンク機関車が合体したユニークな姿をしていたやつで、我が“グランド・チャイルド”

のお気に入りなのだ。



石井君は無類の子供好きで、我が家に遊びに来ても夢中で遊んでいるから、“グランド・チャイルド”

も石井君が大好きなのである。

そう言われれば“グランド・チャイルド”の観察眼を誉めたくなってしまうほどに“アゴのライン”が似て

いなくはないな(笑)


その夜から“HARVEY石井”と命名されたのは言うまでもないが、せめて“HARVEY”をイタリア風

に変えてあげたくなった・・・・・どのように発音するのだろう?


愛車“BMW525i”を駆って夜な夜な飲みに来ていた“HARVEY石井”も、道交法改正以後は

“ぼんそわーる”にピッタリと来なくなり、その遵法精神には敬服するが、バックカウンターの奥に

押しやられたBallantine 17Years”が少し淋しそうである。

開店42周年記念の夜



ある歌人が「一輪の花の中に、久遠の春が宿っている」と歌った。
この一輪の花とは、桜の花なのだろう。


開店42周年記念日の夜だというのに、閑散とした店に居たたまれず帰ってきた昨夜、鎌倉鶴岡

八幡宮の参道で花をつけた桜木がヘッドライトに浮かんだので、車を停め段葛に昇ってみた。
小雨に濡れ戯るぼんぼりの薄明かりの中、つぼみ混じりの幼い花が、まだ浅い春の深更に肩を

寄せ合っていた。



桜の花は心で見るものとも言われる。
心の目に映る桜は、移ろうものの姿であり、反対に移ろわぬものの姿でも有ろう。


昨年も、一昨年も、その前の年もと長い間、通い慣れた八幡宮の参道から見上げる段葛の見馴

れた風景も、桜の花の咲く季節になると、その年毎の感動と感傷が入り乱れ襲いかかってくるの

だが、その一つの要因はこの季節のこの時期に迎える『ぼんそわーる』の開店記念日にある。


長かったような、過ぎてしまえば余りにも短かったような“42年”だけど、桜の花に映される我が

身は、年々歳々移り変わっていく・・・・そんな移ろいを感じる心など、桜の花の季節に躍動する

生命の歓喜だけを心に取り入れ、なにか素晴らしい出来事が起こる期待だけに心弾ませていた

・・・・遠い青春の日々には感じ得なかったものだ。


華やかであるが故に、余りにも儚いと感じてしまう花は、己の一生を思い起こさせる投影力を秘

めているのかも知れない。


42年前の3月27日に、己の第二の人生を僅か四坪の“ぼんそわーる”という舞台にかけたのが

『酒場人生』の始まりだった。
オレの人生にはゴールは見えない・・・・明日からも「一輪の花の中に、久遠の春が宿っている」事

を胸に、今まで通りに歩いてゆくだけ。


そんなことを考えながら来た道を振り返り、これからの道に微かな希望を見ながら、43年目に至

る扉を押した・・・・あと幾つの扉を開ける事が出来るのか・・・・。



それにしても今日の初夏のような暖かさ、段葛の桜は一気に満開になるだろう・・・・まるで一日遅れ

開店祝いをしてくれるかのように。



HAPPY BIRTH DAY !!

「誕生パーティやってくれるんなら、お願いがあるんですけど・・・・」


「なんだよ」


「26日は“くれはチャン”来てくれないスかねぇ・・・・本物のソムリエに一杯注いで欲しいんだけど

・・・・駄目ですかねぇ」


「大丈夫だろ・・・・良いシャンパンでも探すように言っておくよ」


「“くれはチャン”が顔出してくれるんなら“シャンメリー”でも良いですよ」


「シャンメリー・・・・聞いたこと無いけど、美味しいのか?」


「出来ればペコちゃんラベルの“シャンメリー”がいいですねぇ」


「なんだよ!“シャンメリー”ってのは、クリスマスなんかに子供が飲むシャンパンかよ・・・・ふざけ

るのもいい加減にしろよ」


47回目の誕生日を祝ってくれる家族も遠く離れてしまった“本チャン”を、今年も“ぼんそわーる”

で祝福すると決まった時の彼のリクエストであった。


そして昨日(26日)休みだった呉葉も、駆け付け酒場での誕生パーティとなった。



“チョイ悪親父”のファッション雑誌「レオン」にハマっている“本チャン”が、“可愛らしいスゴ悪親父”

になっていそいそと来店・・・・本人ご満悦ファッションなのだが・・・・う~~~ん。



 

その日の献立は鯛飯に

ケーキ代わりのスペインオムレツ


メインディッシュは黒毛和牛のサーロインステーキに“シュリンプとマンゴーのサラダ”添え・・・・

もちろんドレッシングは濃厚でほんのり甘い“マンゴードレッシング”


そして“ソムリエ呉葉”の選んだシャンパンは、

モエ・エ・シャンドン・ブリュット・ロゼ 1999年





芋焼酎大好き人間で“しゃれたお酒”は苦手という “本チャン”のために、“シャンメリー”の如き

甘さを秘めた飲みやすさを考えてのセレクトだったのだけど、本人大ご満悦でしたな・・・・この顔

見てチョ。



かくして創業42年のぼんそわーるで47回目の誕生祝いの夜は終えたのである。

と言うことは、“本チャン”が長崎の田舎で嬉々として“シャンメリー”を飲んでいた頃、この店は

開業したのだなぁ・・・・

話は別だが“ソムリエ呉葉”ご幼少の頃、クリスマスケーキを口いっぱいに頬ばりながら、左手に

抱えたペコちゃんマークの“シャンメリー”をがぶ飲みしていたのを想いだした。


その頃からソムリエこそ天性の仕事と思っていたのだろうか(笑)


NEVER ON SUNDAY



昨日の激しい雨をともなった春嵐に、とうとう終日閉じこもりの日曜日となってしまった。


手持ちぶたさにこの『酒場人生覚え書き』を振り返ってみたら、書き始めて24回にもなっていた。

様々な思いが浮かんでは消え、消えては浮かぶあれもこれもと夢中に書いてきたが、読み返し

てみると書きたかったことの半分も書き表せていなかったり、薄っぺらな内容や文章に思わず

赤面したり・・・・で、ありながらも削除してしまう気にもなれずに今日まで来た。


自分の人生の軌跡とも言えず、それでなければ意味が無いとも考えながらも、時分のために書

き続けるのか、それとも顔の見えない不特定多数の人々に発する自己満足の排泄物のごとき

モノなのか・・・・等々と、この戸惑いとも苛立ちとも言える感情の根底には、どうも時代に取り残さ

れまいとする焦りがあるのかも知れない。


始末が悪いのは人生の大半を「鉛筆と紙」で過ごしてきたゆえに、全てをデジタル信号に変換し

て記録するような正確無比さを心の何処かで否定し続けているのだろうか。


そんなことを考えていたら、昨日はブログを書く気も失せ『NEVER ON SUNDAY』(日曜日は

ダメよ)のサントラ盤を聴きながら、オレも『NEVER ON SUNDAY』と物憂げな時を過ごした。


ついでに書き添えると映画の『NEVER ON SUNDAY』は1960年に作られた名画で、主演は

ギリシャ女優の“メリナ・メルクーリ”演じる娼婦“イリヤ”と、堅物考古学者の“ホーマー”の恋物語。
“ホーマー”を演じているのがアメリカ人の“ジュールス・ダッシン”で、監督もしているというアメリカ・

ギリシャ合作映画である。


この題名のどうして「日曜日は駄目よ」なのかというと、娼婦のメルクーリは日曜日には客を取らな

いで、彼女を崇める荒くれ男達と酒場で楽しく騒ぐのを決まりとしていたのに、イリヤに恋をした堅物

考古学者ホーマーが娼婦をやめさせようとしたのに、いつのまにか酒場の取り巻きの連中と一緒に

なって歌い踊っていたという、コメディタッチの恋物語なのだから、ブログを書く気も失せた事とは全く

無関係だな・・・・。



仕事部屋には「ゼンマイ仕掛けの柱時計」があるが、ゼンマイを巻き忘れると停まってしまうし、

時間も少しも正確ではない・・・・それでも人には言えない愛着を感じている。


冬と夏には振り子の下に着いているネジで微妙に調節しないと、気温差で伸びたり縮んだりする

振り子が、それでなくても適当な時しか告げられないのに、ますますもって夏には遅れがちになるし、

冬には進んでしまうのだ。

それでも月に一度、生き物に餌をやるような気持ちで振り子を止めてジー・ジーとゼンマイを巻き、

巻き終わったら再び指で振り子を動かし、コチ・カチと少し勢いづいて時を刻み始める音を聞くのが

大好きである。


だから、スーッと音もなく正確無比に時を指すデジタル時計はどうしても好きになれない・・・・と

言うのも、ブログの『NEVER ON SUNDAY』とは無関係だな・・・・ヾ(@^(∞)^@)ノ。

ダンベルシューズ



毎朝の散歩に履いていくダンベルシューズを下駄箱から引っ張り出すたびに想い出すことがある。


一昨年の夏にお盆休みで帰省したとき、高校時代の悪友3人に誘われて、石和温泉郷の広場で

催されていた「盆踊り」に行った。


会場を取り仕切っているのは、テントの中からにらみをきかせている温泉郷の役員で、会場の警備

は消防団である。

婦人会の有志らしき迫力のあるおばさん達や、子供会のお母さんが店開きしている“金魚すくい”や

“綿アメ”“焼き鳥”に“たこ焼き”などの屋台は、盆踊りの人の輪よりも人気を集め、子どもばかりか

若いカップル達でにぎわっていた。


その屋台での買い物や“金魚すくい”の代金は、テントの中に居並ぶ“お偉いさん”のところに行って

“金券の綴り”を買い求めるのだ。


「味噌おでんが旨そうじゃんけ・・・・食うけえ?」

「ビールも飲みてえなあ」
「焼き鳥も良いじゃんね」

と言うことで衆議一決、テントに金券を買いに向かった。


「おーっ、応援団にいた石原じゃんケ!新谷や雨宮には時々会うけんど、オマンは久しぶりじゃん!

元気けぇ~」

「ああ、元気だよ・・・・」
・・・・とは答えたものの夜目にも鮮やかな禿げ頭で、猿の日干しのように黒くやせこけたその男に

全く見覚えがない。


卒業以来会っていない疎遠のヤツでも、二言・三言喋るうちに何となく想い出してくる面影があり、

話のつじつまを合わせることも出来るのだが、浴衣をだらしなく巻き付けた“金壺まなこ”の彼だけ

はどうしても思い出せない。


「金なんかいらんから金券を持ってけし・・・・」
と小声だが親愛の情を込めて金券の綴りを握らせてくれた。

「悪いなあ・・・・」

「良いさよオ~、明日の晩もこうしねぇ」
「明日から小樽だよ・・・・来年また来るよ」
「おお、待ってるよ」


ビールや焼き鳥や味噌おでんを“タダの金券”でしこたま買い込み、会場の隅の縁台に腰掛け

グビリ・グビリやり出した・・・・BGMはラッパスピーカーから弾け出る“東京音頭”である。


「おまん、アイツを覚えていんずら」

「いやあ、分からんなあ・・・・ダレだっけ」

「高校時代は運動部にも入ってなかったし、温和しかったからなぁ」

「帰ったらアルバムひっくり返してみるよ。名前は・・・・?」

「オレと同じ5組にいたS・Kだよ・・・・昔から色が黒くてひょろっこいヤツさ」

「いま何やってるんだ」

「金貸し・・・・それもモグリの。あんな顔してえれえ金を残したちゅうど」

「まさか悪徳金融じゃなかろうが・・・・」
「そこらへんがハッキリしんだけんど、この間だナ、日が暮れようって時分に奴さんがヒーヒー走っ

てたから“どうしたでえ?”って聞いただよ・・・・」


彼は立ち止まるとズボンの裾をめくりあげて、重そうなウエイトバンドを得意げに見せ毎日欠かさ

ず一時間以上は走り回っているとの答えに、オマンも偉いじゃんけえ・・・・と感心したら、実はこれ

には訳があるのだという。

その訳というのが奴さんの金貸しの相手には、石和温泉に巣くうヤクザ者も多く“トイチ”でも借りに

くるらしい。

だがそんな連中だからモメると手荒い厄介事になるが、だからといって警察に行くわけにもいかず、

ヤバイと思ったらとりあえずその場から一目散に逃げるのだそうだ。


「ヤツはそうして命と金を守るために、足首に“重し”をつけて、雨の日も風の日も走り回ってるんだ

とよ・・・・」


テントの中で湯飲みに注いだ酒を、チビリチビリと飲んでいるKを遠目に眺めたが、そう言われれば

頼りなげに見えた“猿の日干し”の“金壺まなこ”は、少しの油断も無く光っているような気がした・・・・

名前も顔も覚えては居なかったが、心の中で缶ビールを掲げ敬意を込め乾杯をしたものだった。


そのKが脳卒中で死んだと聞いたのはつい先頃である。


それからというもの、散歩用の“ダンベルシューズ”を履くたびに、干からびてはいたが気迫ある眼光

と、“タダの金券綴り”をそっと渡してくれた時の、親愛の情を込めた笑顔の中にむき出された黄色い

を想い出している。

吾妻鏡



鎌倉生まれの芋焼酎『吾妻鏡』(あずまかがみ)が今月中旬に発売されました。


さっそく近所の酒屋で買い求め“ぼんそわーる”で試飲をしてもらったところ・・・・


金田君 「良い香りですねぇ・・・・すごくまろやかですよ」
・・・・と言った直後、立て続けにお代わりをして<しまいには、陶酔の境地で“ハマ・ショウ”を

歌いまくりでした。



浩美君 「わーっ、美味すぃ~い!」

オ レ 「君はお酒と名が付いた飲み物なら、何でも“わーっ、美味すぃ~い”じゃあないか!」

・・・・と言ったそのとたん、ドラゴンボールの太陽拳のような“火玉”を飛ばし感動して見せたの

であります。




X 氏 「この顔見てよ・・・・これが俺の評価」



M 氏 「てやんでぇ!何が芋焼酎だイ!男は黙って“角瓶”じゃあア~」




・・・・と様々なコメントを頂きました。


鎌倉生まれの芋焼酎『吾妻鏡』は鎌倉市内の農家が栽培した「紅あずま」を、黒麹を使い
甕壺(かめつぼ)でじっくり仕込み、杉木の樽で蒸留したという、正真正銘の鎌倉生まれの本格

焼酎です。


酒屋さんで聞いたら今年は限定4000本だけの生産とのことです。


箱の蓋には清和源氏のシンボル「笹りんどう」が描かれていますが、この紋は鎌倉市内のあらゆ

るところで見かける(例えばマンホールの蓋)のも、鎌倉幕府を開いた源頼朝が清和源氏の本流

であった事にちなんでのこと・・・・。



そもそもこの焼酎を『吾妻鏡』と命名したのは、家康の“座右の書”として幕府運営の参考にして

いたという、鎌倉時代に成立した歴史書『吾妻鏡』にちなむのも、この鎌倉生まれの芋焼酎

『吾妻鏡』もまた、歴史に名を残して欲しいという夢を託してのことなのでしょうか・・・・。