ものみの塔2014年7月15日号より | ひとりごちる ~エホバの証人(JW)・ものみの塔(WT)・jw.orgについて考える~

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一般人りんごの思うこと、あれこれ書いてます。
基本的に公開記事が多いので、個人情報に気をつけてコメントして下さいね。

久々に「ものみの塔」研究用へのツッコミです☆


第二研究記事に

「エホバの民は『不義を捨てよ』」

と題された記事があります。


まず

「神のみ名を使うだけで,エホバの好意が得られるわけではありません。

エホバの定めた道徳規準に従って生活しなければなりません。

ですから聖書は,

「悪いことから遠ざか(る)」

べきであると教えています。 (詩 34:14)

使徒パウロはその責任に言及し,

「すべてエホバのみ名を唱える者は不義を捨てよ」

と述べました。

(テモテ第二2:1 9を読む。)

エホバの証人であるわたしたちは,エホバのみ名を唱えることでよく知られています。

ですから,不義を捨てなければなりません。

どのようにしたらよいでしょうか。」

と始まりますが。。。


それはどのようなことかと言うと。。。

「9 神の言葉は,クリスチャンがどんな不義を捨てるべきか,つまり退けるべきかについて,具体的な助言を与えています。

例えば,

「言葉のことで争わないように」

とか,

「むだ話からは遠ざかりなさい」

という助言があります。
(テモテ第二 2:14,16を読む。)

テモテが交わる会衆には,背教的な教えを広めようとする人たちがいました。

論争を招く考えを持ち込む人たちもいたようです。

そうした考えは直接聖書に反していなくても,一致を脅かしていました。

その結果,言葉をめぐる口論や議論が生じ,霊的に不健全な状態が見られていました。

パウロが,

「愚かで無知な議論を退け」

るよう強調したのは,そのためです。—テモ二2:23, 「新世界訳」 2013年版(英語)。」


つまり、

「直接聖書に反していなくても」

一致を脅かすような議論は避けなければならない。。。

と、主張しています。


さらに

「10 今日,エホバの民が会衆内で背教に直面することは,まれです。

それでも,非聖書的な教えに直面したときには,その出どころがどこであっても,断固とした態度で退けるべきです。

背教者と議論するのは賢明ではありません。

直接話すことはもちろん,ブログにメールを送ることも他のどんな方法も,間違っています。

そのような交流は,相手を助けるためであったとしても,ここで考慮してきた聖書の指示に反しています。 むしろわたしたちはエホバの民として,背教を完全に避けます。
そうです,不義を退けるのです。」

と書かれていますね。


これはアメブロを含む多くの反JWブログがあることを組織上層部は知っていて、そういう人たちとの交流を本格的に(神の名を使って)禁止することを強調しています。


その割に、

「12 わたしたちの組織は,特定の映画やコンピューターゲームや本や歌を批評して避けるべきものを定める,ということはしません。

なぜでしょうか。

個々の人が

「自分の知覚力を訓練し,正しいことも悪いことも見分け(る)」
よう,聖書は勧めているからです。

(ヘブ 5:14)

聖書は,クリスチャンが娯楽を選ぶ際に考えるべき基本的な原則を明らかにしています。

わたしたちは,生活のあらゆる面で

「何が主に受け入れられるのかを絶えず確かめ(る)」

ようにすべきです。 (エフェ 5:10)

聖書によれば ,家族の頭はある程度の権限を持っています。

ですから,家族に対して特定の娯楽を認めないことがあります。 —コリ一11:3。エフェ 6:1‐4。」

と、

「組織は禁止していない」

などと主張しているのは、何とも不思議ですね。


こうやって、いかにも

「個人の決定」

によってさまざまなものを判断しているかのように、信者に錯覚させているのでしょう。


そう書いておいて、さらにこのように命令しています。

「16 それと同様に,清い生活をするために努力する今日のエホバの民は,かたくなにエホバの原則に不敬な態度を取る会衆の成員との親しい交わりを,避けなければなりません。
(コリント第一 15:33を読む。)

会衆内での悪い交わりを避けるべきであるのなら,会衆外の人との親しい交わりも,当然避けなければなりません。

会衆外の人たちの多くは,

『金を愛する者,親に不従順な者,忠節でない者,中傷する者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,神を愛するより快楽を愛する者』
なのです。—テモ二3:1‐5。」


ここでは、しつこく「避け」のことについて書かれています。


それも、

「会衆内の不敬な態度を取る成員との親しい交わりを避ける」

だけにとどまらず、会衆外の人たち、つまり

「世の人」

との親しい交わりに対しても

「当然避けなければなりません」

ときましたよ。。。


もしかしたら、私の「避け」シリーズでもお読みになってのことでしょうか?(笑)


それにしても、

「会衆外の人たちの多くは

『金を愛する者,親に不従順な者,忠節でない者,中傷する者,粗暴な者,善良さを愛さない者,裏切る者,神を愛するより快楽を愛する者』

なのです」

って。。。


なんてひどい中傷でしょうね(-_-;)


そんなことを言っていたら、そもそも野外奉仕なんてしちゃいけないんじゃないでしょうかね(・・?


どこまでも閉鎖された世界に閉じ込められて、

「そこ」

だけが救われる道だと、他の情報を取り入れることすら拒む宗教。。。


そういう宗教を見かけたら、

「カルトだ」

そう思われても仕方がない気がしませんか?