コトノハ つづれ織 〜2〜 | 魂のよろこぶ生きかた

魂のよろこぶ生きかた

 やはぎのりか 矢作 典加 

人間はなんてばかなことをするんだろう。

     この記事を書いたとき
     変わりゆく時の中にいて
     今、これを書いておかないで
    
     いつ、書くのだろう。

     そんな気持ちでした。
     時は経ち
     時の流れの景色はすでに変わっているのですが
     
     ずっとずっと長いスパンを感じると
     やっぱり 今。
     


それは、あとになって
そう言葉で表現したのであって

それを読んだ当時は
切なくて悲しい、そんな気持ちだった気がする。

子供だから
そんな感情に心を真っ青に塗られて
ブルーな毎日を送っていた訳じゃない。

けれど、その色は無意識の中に降りて
心のひと隅をわずかに青くそめたままにしていたのかもしれない。


ごく普通に学校生活を送りながら。


そして
中学に入った頃

ガキ大将やちょっと、やんちゃだった男の子が

『不良』というレッテルを貼られはじめた
先生に、大人たちに。

なんで?
何が変わったの?

彼らの本質が変わった訳ではないのに
理不尽な大人の世界の扱いに

青く染まった心の隅は
知らない間にその深みを増していたんだろうな。


そんな中1の頃。

当時の担任の先生は少し違った視線を
私たちに向けていた。

そのメッセージは

『世の中を見る目を持ちなさい。世界を知りなさい。』

だった。

水俣病、イタイイタイ病...and more
新聞の記事を読み
世の中で起こっていること知り学ぶ時間が
私たちに与えられた。

13歳

大人と子供の間を生き始めた年ゴロに
それはセンセーショナル。

知れば知る程
青に浸食された世界は深く広がってゆくばかり。
そうとは気づかないまま。

今から振り返ると
勉強すること、何かを学ぶことは
きっと
単純に好きだったと思うのだけれど

偏差値至上主義
~やがてそう思うようになる~と合わせて

これからどう生きていけばいいんだろう
というところへ
関わらざるを得なくなっていく心の世界が

そんな風に染まっていった。



そして、今は

そのように世界を見る質、受けとめる質が
私の中にあったんだね、ということも

理解している。