ある時、昼休みに国語の教科書の話になり
彼女はスーホの白い馬の話をして
わたしは、ぼろぼろな駝鳥の話をした。
私の頭はどんどん忘れていくけれど
ぼろぼろな駝鳥の記憶は今でも鮮明だ。
悲しい目をした駝鳥が脳裏にうかんだ。
人間はなんて馬鹿なことをするんだろう。
そう思った最初だったんだ。
そんな風に思う子供だったんだね。
今は、そんな風に思う質をもった子供だったんだ
と、私のことを受けとめている。
高村光太郎
ぼろぼろな駝鳥
何が面白くて駝鳥を飼ふのだ。
動物園の四坪半のぬかるみの中では、
脚が大股過ぎるぢやないか。
頸があんまり長過ぎるぢやないか。
雪の降る国にこれでは羽がぼろぼろ過ぎるぢやないか。
腹がへるから堅パンも食ふだらうが、
駝鳥の眼は遠くばかり見てゐるぢやないか。
身も世もない様に燃えてゐるぢやないか。
瑠璃色の風が今にも吹いて来るのを待ちかまへてゐるぢやないか。
あの小さな素朴な頭が無辺代の夢で逆まいてゐるぢやないか。
これはもう駝鳥ぢやないぢやないか。
人間よ、
もう止せ、こんな事は。