泰安洋行Ⅱーートロピカルなダンディーとサディスティックな海賊 | Let's Go Steady――Jポップス黄金時代 !

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そんな時代を活写した幻の音楽雑誌『MUSIC STEADY』をネットで再現します。

※「泰安洋行Ⅰーーしまなみ海道を銀輪で駆ける」から続く

 

翌日、今井裕から返信が来ていた。いきなりの報告に驚いたみたいだが、しまなみ海道の先輩として、この時期のサイクリングは正解だったと教えてくれた。向かい風などの影響で、自転車のレンタルを一時、中止していたこともあったそうだ。心強い先輩である。

 

今井裕と瀬戸内のしまなみ海道。意外な組み合わせかもしれないが、実は不思議な縁みたいなものを感じていた。そもそもサディスティックスのファースト・アルバム『Sadistics』(1977年)のコンセプトとキービジュアルは海賊である。村上水軍(海賊)の故郷である瀬戸内海とは繋がりがないわけではない。こじつけめくが必然としておこう。彼にはこの後、徳島から南紀白浜へ渡り、最終的には大阪から新幹線で帰ることを伝え、タイミングが合えば、お会いしましょうと返信した。

 

「サンライズ糸山」を7時過ぎの朝一のバスで出発する。今治駅のうどん屋に鯛めしとうどんという朝食セットがあるという。これは行かないわけにはいかない。駅へは路線バスなので、時間はかかるが、30分ほどで着く。駅のうどん屋に聞くと、このコロナ禍のため、いまは朝食セットはやってないという。しかし、提携する駅前の食堂で朝食をやっているそうだ。うどんはなかったが、鯛めしの定食を堪能する。朝食にしては量が多かったが、今治でも鯛めしという課題(!?)をクリアー。

 

今治から列車で高松を経由して徳島へ行くつもりだが、ただ、そのまま行くのでは面白くない。今治でも足跡を残すべきと、駅の観光案内所に飛び込む。温泉に入りたかった。身体は昨日の冒険で足が釣る直前の強張り、首も肩も腰もこりまくりである。応急処置が必要だ。案内所で最寄りの温泉を聞くと、愛媛県今治市玉川町にある鈍川渓谷の鈍川温泉を勧められる。鈍川渓谷は「奥道後玉川県立自然公園」に属し、「二十一世紀残したい四国の自然100選」に第2位で入選したほどの名勝地らしい。山間にある鈍川温泉を紹介される。バスやタクシーで30分ほど。そう遠くはない。道後温泉、本谷温泉とともに「伊予三湯」と言われ、美人の湯としても有名だそうだ。そして、いまなら片道のタクシー代が無料になるサービスもあるという。コロナ禍にあって観光業の窮状を救うための策かもしれないが、同サービスを利用しない手はない。指定されたタクシー会社に連絡を取り、鈍川温泉に行くことを伝える。駅前のタクシー乗り場で車に乗り込み、同温泉を目指す。今治の市街地から渓谷を目指し、進んでいく。昨日まで海の風景をずっと見てきたが、渓谷の景色に変わる。鈍川渓谷は紅葉スポットで例年なら11月中旬から下旬が見頃らしいが、温暖化のためか、あまり色づいてはいなかった。もっと、奥までは分け入れば変わったかもしれない。温泉自体は鈍川温泉のHPによると昭和レトロでのんびりした温泉郷らしいが、本当に鄙びたところ。温泉街特有の禍々しさはない。日帰り温泉施設「せせらぎ交流館」を利用することにしたが、お湯に身体を浸すと、やわらかく肌に優しい。とろみのようなものが身体にまとまりつくが、嫌なとろみではない。美人になるような気がする(笑)。私には珍しく長湯をしたが、身体のこわばりが少しだけ、ほどけたようだ。流石、伊予三湯である。

 

鈍川温泉から今治駅までは路線バスを利用する。途中、イオンがあった。イオンモール今治新都心とあったが、どの地方にもイオンはある。田舎の郊外が新都心へと開発されていく。良くも悪くも均質化し、どこも似たような風景になってしまう。いま路線バスは病院だけでなく、イオンにも必ず停車する。“路線バスの旅”で学んだ。

 

今治で昼食の店を探す。今治に行ったら食べたいと思っていたB級グルメ「焼豚玉子飯」の名店は残念ながらやっていなかった。いろいろ検索するが、これはという店は探せない。実はこれはという店は昨日、通り過ぎた大三島や大島にたくさんあった。バスやフェリーで戻るのもいいが、それには時間が足りない。仕方なくではないが、今治城の近くの回転寿司で地魚三昧をする。

 

 

今治駅から高松駅を目指し、JR特急「いしづち」に乗車する。列車にはアンパンマンの絵が描かれていた。8000系アンパンマン列車(「それいけ!アンパンマン」の原作者であるやなせたかしは高知県出身)というらしい。瀬戸内海に沿って、列車は進む。海を間近に感じる。場所によっては砂浜を走っているようにも見える。テレビなどで見た光景だが、それを目の当たりにする。2時間ほどの旅程だが、文庫本を読むところではなく、車窓から見える景色にくぎ付けだった。

 

高松で下車し、観光案内所でうどんマップをもらい、駅近のうどん屋に駆け込む。徳島への乗り換え時間を利用しての夕食である。心の福岡県人(!?)で、柔らかいうどんが好きな私にとって、こしのある讃岐うどんは天敵だが、実はこしのあるうどんも嫌いではない。福岡の方に罪悪感を抱きながらも肉ぶっかけをかきこむ。やはり美味だった(笑)。

 

うどんを食べ終えると、高松から徳島へ、JR特急「うずしお」に飛び乗る。高松滞在は1時間にも満たない。文字通り、立ち寄り&かき込み。実は徳島も立ち寄りだった。翌日は徳島観光などなく、早朝に徳島港から出る和歌山港行きのフェリーに乗るためのトランジットになる。1時間ほどで徳島に着き、ホテルにチェックインする前にこの日、二回目の夕食をかき込む。またもや連食。徳島といえば、徳島ラーメンである。本場徳島の味と言われる人気店「東大」の大道本店に入る。徳島ラーメンは濃厚な醤油と豚骨のスープに甘辛く煮込んだ柔らか豚バラ肉に生卵を入れて食べるすき焼き風のラーメン(生卵は入れ放題!)。2食続けてのがっちり系だが、名物は食べないわけにはいかない。ずっしりとくるが、不思議に胃はもたれない。生卵がいい仕事をしているのかもしれない。

 

ホテルにチェックインし、慌ただしいこの日を終え、眠りにつく。たっぷり睡眠時間が取れたかはわからないが、フェリーに乗り遅れないように早起きする。ホテルの朝食バイキングを急いで食べ、徳島港のフェリーターミナルを目指す。急いだせいか、出航の1時間前に着いてしまう。南紀白浜へは徳島経由でなく、高松から列車で神戸(4年ほど前、青春18きっぷを利用した“この世界の片隅に”の聖地巡礼の帰りに四国へ立ち寄り、高松から神戸への阪神フェリーに乗っている)へ出て行くこともできるが、船旅に拘りたかった。“泰安洋行”というからには船旅でないと気分が出ないだろう。

 

徳島港から和歌山港までは南海フェリーで2時間ほど。海洋浪漫に浸ろうにも船酔いをする間もなく、着いてしまう。和歌山港から和歌山駅までバスで30分ほど。同駅からJR特急「くろしお」で白浜駅を目指す。車窓からの光り輝く、穏やかな海(車内アナウンスで見どころを教えてくれる!)を見ながら1時間30分ほどで白浜に着く。「アドベンチャーワールド」のパンダに目もくれず、西日本で最大級の海鮮マーケットと言われる「とれとれ市場」へバスで直行。フードコートや回転寿司で本クエや生マグロ、真鯛など、ここでも海鮮三昧。腹パンになりながらも白良浜のホテルへ辿り着く。数年前、大阪で打ち合わせの翌日、白浜に寄ったが、目の前に雄大な太平洋が広がり、波しぶきが届く、海を望むというか、海に突き出た白浜温泉の露天風呂「崎の湯」を再訪することを考えていた。先日の『ブラタモリ』でも白良浜や崎の湯が紹介されたが、しまなみ海道の冒険で痛めた身体を癒すには絶好の場所である。白浜町のHPには“白浜が温泉地として世に知られるようになったのは、今から約1400年前の飛鳥・奈良朝の頃で、その走りが「崎の湯」です。その頃の「崎の湯」は、「牟婁温湯」と呼ばれており、「日本書紀」や「万葉集」にも記されています”と紹介されている。由緒正しいところ。ただ、この日はホテルの温泉に浸かり、翌日、朝風呂に浸かることをした。太平洋を眺めながらの朝風呂なんて素敵だろう。

 

ホテルの展望露天風呂に浸かり、白浜の街の景観を愛でる。これまで慌ただしく移動してきたので、暫しゆったりとした時間を過ごす。その日の夕食も外ではなく、ホテルで済ますことにする。熊野牛や紀野国地鶏など、地場の旬の食材を楽しむディナーを堪能する。

 

翌朝、朝食バイキングを食べ、ホテルから崎の湯まで歩いて向かう。ところが、国道から同湯への分岐には「臨時休業」という看板が掛かっている。昨日のものがそのまま残っているのかと思い、「崎の湯」まで行ったが、人の気配もなく、本当に休業だった。まさに聞いてないよー状態。日頃の行いの良さ(!?)が祟る。他の海辺にある公衆浴場にあたってみるが、白浜町以外の人間は入れないと張り紙がされている。緊急事態宣言は解除されたものの、まだまだ、本当の解除まではほど遠いことを体感した。

 

白浜から大阪へはJR特急「くろしお」で向かう。昼食は時間がないので、車中で和歌山名物、めはり寿司をつまむ。塩でつけた高菜で大きなおにぎりをくるんだもので、目を見張るほど大きい、目を見張るほど美味しいから命名されたらしい。電車で弁当を食べる、鉄道旅の醍醐味というもの。2時間30分ほどで、大阪に着き、梅田のグランフロント大阪北館「ナレッジキャピタル・イベントラボ」を目指す。大阪へ来たら行きたいところがあったのだ。2019年に六本木ヒルズ展望台「東京シティビュー・スカイギャラリー」で開催された細野晴臣のデビュー50周年記念展「細野観光1969 – 2019」が「細野観光1969 - 2021」として大阪の同所で11月12日(金)から12月7日(火)まで開催されていた。東京の開催時は見逃していたので、この機会にと思っていた。丁度、2019年に行ったUSツアーのライブドキュメンタリー映画『SAYONARA AMERICA』も見たばかり。これは行かないわけにはいかないだろう。同展覧会はHPによると“細野晴臣がデビューした1969年から、2021年までの50数年の軌跡を、「情景の音楽」、「楽園の音楽」、「東京の音楽」、「彼岸の音楽」、「記憶の音楽」という5つの年代から巡るビジュアル年表を中心に、音楽、写真、映像、ギター・世界各地の楽器コレクション、音楽ノート、ブックコレクション(細野文庫)などを通じて、来場者が体験する展覧会”だという。

 

私にとって細野晴臣と関西での関わりは、奈良だった。細野は1989年7月に奈良県吉野郡の天河大辨財天社(天河神社)で奉納演奏をしているが、同公演で来ていた細野と天川村の大峰山洞川温泉でばったり鉢合わせした。細野の奉納演奏の翌日、イーノの奉納演奏(細野とイーノ、場所などは記憶しているが、時期だけは曖昧。誰かご存知の方はこっそりと教えて欲しい。こっそりと修正する!)を見たのだが、終演後、たまたま行った同温泉で彼を見かけ、それ以前に何度か取材をしていたので、挨拶だけはしている。彼とは裸の付き合い(!?)と、知り合いには勝手にいっている。

 

そんな縁もあり、関西で開催されている細野展を見るのも必然かもしれない、そんな勝手なこじつけをした。同展には同行者がいた。今井裕である。彼に細野展へ行くことを伝えたら、興味を示し、一緒に行くことになった。今井によれば細野晴臣は今井のソロアルバム『A Cool Evening』(1977 年)にも参加している。そのお礼も兼ね、感謝の気持ちで細野展へ行くと言うのだ。

 

会場前で今井と合流。彼とは2019年12月、コロナ禍前に大阪で会って以来になる。細野展は彼の50年を辿る時間旅行だった。貴重な写真や楽器、音源、資料、文献、などが網羅され、音の万華鏡が聞こえてくる。時代によっては、ティンパンアレイの時代はサディスティックスの時代と交差していることもあって、今井裕の副音声(!?)での解説が入る。より立体的に時代が見えてくるのだ。細野晴臣と今井裕。東京の山の手のおぼっちゃんと大阪の下町っ子とは出自も違えば、その背景や軌跡も違う。しかし音楽の冒険に果敢に挑み、変遷していく様が通底する。そして多くの人を勇気づけ、元気をくれる。それも頑張れや元気を出せなど、一言も言わなくても不思議と人をエンパワーメントしていく。さらにいえば、海外での評価も獲得している。今井に関しては、いまは事務所やレコード会社に所属してないため、充分にアナウンスされていないが、今井が尺八の山本邦山とコラボレーションした映画『悪魔が来たりて笛を吹く』(1978年)のサントラを含め、過去の作品が再評価され、イミテーションの過去の音源が海外のレーベルのコンピレーションにも収録されている。ちなみに1982年にリリースされたイミテーションのセカンド・アルバム『Muscle And Heat』(トーキング・ヘッズに参加したスティーヴ・スケールズ<Per>、ドレット・マクドナルド<Vo>の他、サンディー、久保田麻琴も参加している)は本2021年5月にアナログ盤がHMV限定で発売された。同レコードの惹句には“日本人によるワールドミュージックの最高峰”とある。この細野展、ダブルで力を貰った感じだった。

 

 

細野展の後は今井裕行きつけの新梅田食堂街の居酒屋で、しまなみ海道サイクリングの話しを肴に鴨なべをつつき、シラサエビの天ぷら、刺身の盛り合わせ、白子などを頬張る。大阪を満喫。今井にはいろいろ考えていることがあるらしい。いまは明かせないが、乞う、ご期待というところだ。

 

 

今井と梅田で別れ、新大阪へ。亡き父と母の仏前に供えるため、伊勢の赤福(我が家では関西のお土産といえば赤福か、大阪寿司だった)を新大阪駅で買い求め、新幹線「のぞみ」へ飛び乗る。東京駅のホームに直線的でシャープなN700系の車体が滑り込むのは2時間30分後のこと。漸く、長い旅が終わった――。

 

※(写真上から下へ)鈍川温泉、徳島から和歌山へ南海フェリー、船上から徳島を望む、船上から和歌山を望む、細野観光の看板、細野晴臣展の水先案内人は今井裕

 

 

細野晴臣デビュー50周年記念展「細野観光1969 - 2021」

https://hosonokanko.jp/