教会の愛の度合い測定器 | 統一原理の生活化

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ある人がいくつかの宗派の発展している教会と、衰退している教会を訪問した。そこで発展しているか、どうかがすぐにわかるバロメータを見つけた。それは「笑い声」があるかどうかだった。


教会員の会話の中に、すれ違う人の顔に、何かの集まりの時に…


笑い声は無理やり出るものではない。愛がある所には笑顔と笑い声がある。


家庭連合はよく、真の愛という言葉を使う。クリスチャンも神の愛という表現をする。


でもその教会に、愛があるかどうかは計りにくいもの。ある人は愛があると言うだろうし、ある人はないと言うだろう。


そこで客観的な計測法は?


一週間、または一ヶ月、あなたが接した会員との会話や行動の中で、どれだけ「摂理」以外の時間があったのか?


この摂理以外の時間が多いほど「愛がある」と言える。この考えには、反論もあるだろうが、一つのバロメータにはなる。もちろん摂理を通して深まる関係もある。


しかし本当に食口と言うのなら、摂理以外の関係でも深まる。家に帰ってきて、仕事の話ばかりだと嫌になる。それと同じ。


たまにはこういう側面から、教会の人間関係をチェックし直してみては、どうか?


ちなみに私は献金もそこそこしてないのに、食口にお金を上げた事がある。結構、大きなお金だった。


献金を通して自分が救われる道もあるが、その人の大変さを思うと、そんな事は考えなかった。

たまには私のような人間もいてもいいのでは…?


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