「文師はメシヤか?」
メシヤの定義
メシヤとはどういう意味があるのでしょうか?
メシヤはヘブライ語であり、ユダヤ教のメシヤは救世主ではなく「油を注がれた人」「聖別された人」を意味し、ソロモンの直系の王を意味します。
聖書のメシヤに対する記述をまとめると…
①ソロモン一族の子孫
②ソロモン以上の知恵の持ち主
③長老や預言者よりも偉大
④どの王よりも栄誉を与えられる
⑤世界の王として統治する
…となります。
ユダヤ教のメシヤ思想はイスラエルを救う王がメシヤとして降臨するという考えです。そのような思想的環境の中で、イエス様がメシヤを自称して現れました。ですから、ユダヤの人々はイエスをメシヤとして受け入れるのは困難だったのです。
では、原理的にみて、メシヤとはどういう存在でしょうか?文先生の裁判における証言から直接、紹介したいと思います。
メシヤとはどういう存在か、直接文先生が裁判で証言された記録があります。1982年、米国での「暴力改宗裁判」です。
統一教会の信徒が両親に金で雇われ、プロの誘拐業者に連れ去られたことに、教会と信徒が告訴した裁判です。5月26日、文師が米国で初めて証人として喚問され、証言台に立ちました。
以下、一問一答…
質問:メシヤの役割とは何か?
文師:イスラエルの例をとろう。ヤコブは家庭のメシヤ、モーセは民のメシヤ、イエスはイスラエル民族と世界のメシヤであった。それがメシヤの継承である。
質問:統一原理のメシヤは何か?
文師:全ての人は誰でもイエスによって植えられた種の穂であり実なので、メシヤになれると言っている。イエスを信じるものは誰でもイエスのようにメシヤであるべきである。
質問:統一原理ではキリストは東洋に再臨するだろうと、それは韓国であろうというではないか。
文師:その通りである。メシヤは韓国に生まれる可能性がある。しかしどこで生まれたかが問題ではない。そのためには彼はイエスの真の信仰者でなければならない。
また正しく信じてついてくる信者の群れを持たなければならない。韓国でも、アメリカを含む他の国にも、多くの自称メシヤがいる。霊的インスピレーションで、自分をメシヤだと自称しているのである。
質問:あなたは本当のメシヤなのか?
文師:神の御旨と教えに従い、それを行うものであれば、それがメシヤである。であるから私もメシヤとなる可能性がある。
単に誰かが自分は本当のメシヤであると言って、誰もがその人を信じるという保証はない。弁護士のあなたに私がもし本当のメシヤであると言えば、あなたは信じるだろうか。全ては信仰の問題になる。
信仰がなければこの本(原理講論)で言っているメシヤを信じることはできない。本当に信仰のない人々との間で信仰について論ずることは意味のないことである。
もしよろしければ、あなたに質問を提議したい。あなたは宗教を知っていますか。もし宗教を知らないならば、あなたは宗教について尋ねる資格はないのである。
質問:1936年、イースターの朝、イエスから啓示を受けたというが。
文師:私はイエスと会いました。
質問:それがイエスだとどうしてわかったか?
文師:イエスの聖画を見ていたし、彼が自分からイエスと言ったからである。
質問:あなたはイエスと話したというばかりでなく、イエスを見たというのか?
文師:その通りである。
質問:イエスはあなたに何と言ったのか?
文師:イエスは宇宙の救いにおいて、自分を助けるように、世界救済に私が参加するように願った。
質問:モーセと話したことがあるか?
文師:ある。
質問:いつ話したのか?
文師:モーセとは何度も会ったので、正確な日付は覚えていない。
質問:モーセとどうしてわかったのか?
文師:モーセが自分からモーセであると証したからである。
質問:モーセとの会話の内容は何であったか?
文師:それはイスラエルと彼の関係、そしてイスラエルに対するメシヤとしての彼の役割、そして聖書に含まれている重要な啓示に関わっている。
質問:モーセとは何回あったのか?
文師:数え切れないほど会った。
質問:仏陀と話したことがあるか?
文師:ある。
質問:初めて会ったのはいつのことか?
文師:正確には覚えていない。数十年前のことである。
質問:仏陀とどうしてわかったか?
文師:彼もまた、自分は仏陀と言った。また以前、見た寺院の仏陀によって、彼を確認した。
質問:仏陀を見たというのか?
文師:その通り。
質問:一回以上話したのか?
文師:何回も会って話をした。
質問:仏陀と最初に会ったとき、何を話したのか?
文師:全ての宗教は同じであるから、一つの宗教があるべきであると仏陀は言った。仏陀はキリスト教を含む様々の宗教間のセクトにおける闘争と敵対を述べ、世界救済の共通の協力のために全ての宗教と教会の統一を激励した。
質問:イエス・キリストやモーセ、仏陀と韓国語で話したのか?
文師:霊的関係では言葉でなくとも、互いに通じ合うことができる。もちろんいくつかの言葉は通じ合えるが、そこでは心と心の交流が最も重要なのである。このことはあなた自身の体験なくして多分理解出来ないでしょう。
質問:イエス・キリストとは何回くらい話す機会をもったのか?
文師:非常に多く、正確な数は覚えていない。だから統一原理を私は書いたのである。
質問:統一原理はイエス・キリストと話して書かれたものか?
文師:その通りである。私が祈るとき、いつでも私はイエスに会っている。
(以上、部分掲載)
この文師に対する裁判は、2千年前、イエスに対してエルサレム大議会が行った裁判と状況が酷似しています。
証拠、証言も決め手もないため、ついにイエスを引き立てて、イエスの言葉尻をとらえることにして、それに成功し、イエスを処刑してしまいました。
文師も同じような状況におかれ、法廷侮辱罪と偽証罪で罠にかけられようとされましたが、慎重に言葉を選ばれて、それに引っかかりませんでした。
以上の宗教裁判の内容をニューヨーク・タイムズやワシントン・ポストなどの新聞が書きたて、
社会問題となり、危険な司法権の乱用が行われたとして、裁判は異例の停止処分となりました。
イエス様が通過された道と文師が通過された道を重ねると、まさに文師はメシヤとしての道を歩まれていると思わされます。
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